「あほリズム」(826)

2021-04-15 07:46:20 | アフォリズム(箴言)ではありません

       「あほリズム」

 

         (826)

 

 原子力技術は行き過ぎた科学技術だと言わざるを得ない。

何故なら、一度重大な事故が起これば原点にすら戻れないの

だから。

 《科学》とは失敗を繰り返して進歩するとすれば、失敗を

繰り返せない技術を《科学的》とは言えない。


「あほリズム」(825)

2021-04-14 21:19:27 | アフォリズム(箴言)ではありません

           「あほリズム」

 

             (825)

 

 三度問います、福島原発で貯水されている汚染処理された処理水

は、海洋放出してもまったく安全であると言うのなら、なぜ最初か

ら処理後にそのまま海に流さなかったのですか?

 

       *        *             * 

 

           「何故貯水したのか?」

                    2019-09-19 12:22:54

 

 福島原発事故の関係者は「世界の、日本の、全ての原発からは処

理水海洋放出が当たり前のように行われており、何の問題も起こっ

ていない。」(原田義昭前環境大臣のブログ)と言うが、それでは

何故これまで処理水を放出せずに100万トンもタンクに貯めてい

たのかの説明をしなければならない。問題があるから放出しなかっ

たんじゃないのか?今になって、海洋放出しても何の問題も起こら

ないというなら貯水する必要はなかったことになるではないか。


「あほリズム」(824)

2021-04-13 07:08:15 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

            (824)

 

 競泳の池江璃花子選手が難病を克服して東京五輪候補の内定が

確定したことと、そしてプロゴルファー松山英樹がアジア人への

ヘイトクライムが頻発するアメリカでのマスターズ優勝の快挙に

多くの日本のスポーツファンたちは久々の感動に心震わせたが、

そもそもスポーツ選手たちは困難に打ち勝って勝利を手にするこ

とによって「国民を元気にすること」が本来であって、かつて敗

戦間もない絶望に打ちひしがれた時代にはプロレスラーの力道山

やボクサーの白井義男、さらには前の東京オリンピック代表の女

子バレーボールチームなど、いずれも彼らは自信喪失した観客を

勇気付けることがあっても、決して「応援よろしくお願いします」

などと観客に応援を請うようなことはしなかった。しかし今日では

限界に阻まれたアスリートたちは手段と目的が転回(ケ―レ)してい

る。それでも一流のアスリートは観客が自信を取り戻せるように優

れた技を披露して「観客を応援する」。

 


「あほリズム」(823)

2021-04-12 06:56:00 | 「二元論」

         「あほリズム」

 

           (823)

 

 哲学者ハイデガーは主著である「存在と時間」の執筆途中に思想的

「転回」(ケ―レ)を余儀なくされて、筆を置きました。私はまったくの

素人ながら、彼が「存在の意味は時間である」(木田元)と考えたことに

誤りがあるのではないかと思います。私は「現存在は『おのれを時間化

する』」(木田元)までは何とか理解できますが、しかし「存在が時間に

還元される」ことにはどうしても納得できません。

 そもそもハイデガーは、まず「存在とは何か?」を問う「人間とは何

者か?」を問いました。何故なら答えが人間が了解できることでなけれ

ば意味がないからです。すると「人間とは時間性である」ということを

了解して、そして、その人間が設定した時間性(テンポラリテート)の場

に「存在」を企投して「存在とは時間である」という「存在了解」を得

ました。しかしそれではあまりにも人間本位に傾かざるを得ないのでは

ないかと思いました。そこで、そもそも「時間とは何か?」と考えまし

たが、何一つ時間についての概念が浮かんできません。それはまるでア

ウグスティヌスの言葉「私はそれについて尋ねられない時、時間が何か

を知っている。尋ねられる時、知らない」(アウグスティヌス『告白』

第11巻第14章)に共感を覚える次第です。しかし「時間」を検索し

てたまたま見つけた本「時間は存在しない」( カルロ・ロヴェッリ) を取

り寄せて、こんどは物理学の方から知ろうと思って読んでいます。

 ここまで、もうすこし勉強してからまた記事にします。

 


「・・・」(2)のつづき

2021-04-04 14:02:52 | 「二元論」

            「・・・」

 

             (2)のつづき

 

 そこで、もう一度「人間とは何か?」に戻って考えてみようと

思いますが、そもそも時間を認識できるのは人間だけである。本

能に支配された動物たちは目の前の現実がすべてで人間のように

理性による過去の記憶も記憶から派生する未来も思い描けない。

そして理性を進化させた人間は目の前の現実から脱け出して「お

のれを『時間化』する」ことによって世界へと「超越」する。こ

うして「時間化」こそがわれわれを「存在とは何か?」を問う契

機をもたらし、たとえば、そこで神の存在が「了解」されれば、

世界は一気に宗教的世界観に支配されることになる。つまり「存

在とは何か?」の答えが「存在了解」であり、「存在了解」が世

界を作り変える。こうして「存在とは何か?」という形而上学的

疑問は人間が構築した「時間的地平」(テンポラリテ―ト)へ「企

投」されて「存在了解」がもたらされる。つまり、「存在とは何

か?」とは、人間が目の前の現実を脱け出して時間化することか

ら提起され、時間化された地平のもとに「企投」され「存在了解」

される。つまり、「存在」は人間が創り出した時間的な地平の下

で「了解」され・・・

    アカン!どうしても「時間」に続けられんので(つづく)