「あほリズム」
(893)
ロシア軍によるウクライナ侵攻の現実はわが国の国防政策に大き
な影響を与えることはまず間違いない。改憲派が勢いを得て軍拡が
計られることだろう。それどころか、核武装までもが現実味を帯び
て来た。こうして平和憲法が掲げた理想は現実の前になし崩しに降
ろされようとしている。それにしても世界はデジタル化が進んでい
るにも係わらず何故アナログな地政学上の領土問題から脱け出せな
いのか。戦争こそデジタル空間でやればいいじゃないか。
「あほリズム」
(893)
ロシア軍によるウクライナ侵攻の現実はわが国の国防政策に大き
な影響を与えることはまず間違いない。改憲派が勢いを得て軍拡が
計られることだろう。それどころか、核武装までもが現実味を帯び
て来た。こうして平和憲法が掲げた理想は現実の前になし崩しに降
ろされようとしている。それにしても世界はデジタル化が進んでい
るにも係わらず何故アナログな地政学上の領土問題から脱け出せな
いのか。戦争こそデジタル空間でやればいいじゃないか。
仮題「心なき身にもあわれは知られけり」
(5)のつづき
絶対的な存在である神の子孫として降臨した天皇は代を繋ぐごと
に世俗化することは避けられない。皇室は絶対的な神の血統を穢さ
ないために近親婚を繰り返すほかなく、しかしそれは生物進化論に
逆行した退化ではないだろうか。神へと繋がる皇国史観の下では時
代を経るごとに神から遠ざかることになる。神なき後の世界はひた
すら相対化された穢れた世界にほかならない。「真の世界」は古(い
にしえ)にしかない。こうしてわれわれは絶対者が君臨する伝統文化
へ回帰しようとするが、決して理想を将来に求めようとはしない。
ところが、サルから始まった人類進化は、サルへと回帰するわけに
はいかないので、未来にしか人類の理想を求めない。
酔ったので(つづく)
仮題「心なき身にもあわれは知られけり」
(5)改稿
今の社会から古(いにしえ)の時代を省みてまちがいを論(あげつ
ら)うのは過ぎた議論にちがいないが、ただ忘れてならないことは
古人の寿命はわれわれよりもはるかに短かったことである。彼ら
が生死の境界をまるで閾(しきい)を跨ぐようにいとも容易く越えて
しまうことに驚かされるが、それは現代のような医療のない時代に
おいては生き死には神仏に縋るしかないとすれば執着したところで
どうすることもできなかったからに違いない。さらに、仏教の伝来
によって仏教的死生観に救いを得て、生死の閾は更に低くなった。
天武天皇の後の皇位継承を巡る対立は、鸕野皇后がわが子草壁皇
子の皇位を脅かす甥の大津皇子を陰謀によって殺害して憂いを払っ
たが、ところがそのわずか3年後になんと愛息草壁皇太子が即位す
る前に急逝した。そして草壁皇太子の子軽皇子は幼少だったので鸕
野皇后が仲天皇(なかちすめらみこ)として即位した、持統天皇であ
る。その後、軽皇太子が持統太政天皇の下で十四歳で即位、文武天
皇と称号したが、彼もまた在位十年二十五歳の若さで病死した。
『日本の歴史』第三巻 あいつぐ女帝 [近親結婚]よりによると、
「まず、天武・持統夫婦がすでに叔父と姪の結婚である。二人の間
に生まれた草壁皇子は、持統女帝の異母妹阿閉(あへ)皇女(元明)と結
婚したから、甥と叔母とが結ばれたことになる。その子が軽皇子、
つまり文武天皇である。草壁皇子は二十八歳、文武天皇は二十五歳
で病死した。この二代の早世は、両親が近親だったことと関係があ
るのではなかろうか。」
そもそも天皇とは天照大御神より繋がる血統こそが存在理由であ
り、血統こそが権力であることから皇族間での近親結婚が多く、そ
れが皇子たちの夭逝が多かった一因だと言われている。神々と天皇
を繋ぐ天孫降臨の神話は日本最古の歴史書である古事記と日本書紀
に記されているが、それらは漢字が伝来した後の8世紀始めに書か
れた。つまり、「記紀」は記録のない過去の伝承を記憶だけを頼り
にして書かれた神話にほかならない。ところで、人間とはサルから
進化したとする生物進化論から見れば、絶対的な存在である神の血
統を頑なに継承する天皇とは進化から取り残されたサルにもっとも
近い人間であるということにならないだろうか。なるほど、皇位継
承を巡る皇族間の争いは神々による叡智の所業というよりもサル社
会の本能的な争いに近い。
(つづく)