例によって、ワタクシはナマケモノである。
年も明けて、既に去年の話となってしまったが、12月、ビルボードライヴ大阪での上原ひろみのライヴに潜り込んだ。
上原ひろみのライヴという本題に入る前に、まず、この話題の背景を説明しておかなければならない。
話は達郎ツアー先行抽選にさかのぼる。
達郎の今回のツアー中、大阪フェスでのライヴは合計6本あったのだが、ワタクシは12月の2日間を狙って抽選に参加した。
第1希望を12月11日、第2希望をその前日12月10日、第3希望は10月某日として申し込んだ結果、第1希望の12月11日の当選を果たしたわけだ。
が、抽選に申し込んだ時点で心配でたまらなかったのが大阪でのホテル事情である。
相も変わらず、かの国から爆買い人民の大群が大挙としてやってくるため、京阪神(だけではないだろうが)のホテルの予約がとてつもなく難しい状態が続いている。
油断していると、既にどのホテルも満室となってしまう。
手頃な価格のホテルの予約が不可能になってしまうだけではなく、元来、お手頃価格の悪どい一部のホテルが売り手市場のドサクサにまぎれて、競って宿泊料金を吊り上げている。
ところがどうやら、2~3ヶ月前の宿泊予約できる可能性は高いという傾向もある。
なので、チケットの抽選結果が発表される前に、抽選に申し込んだ時点で達郎のライヴ日に合わせて宿泊予約も済ませておいた。
どちらか1本当選すれば良いわけで、宿泊の必要の無い日が確定したらばホテルのHPから早めにキャンセルすれば良い。
と考えて、達郎ライヴがある12月10,11日の2日間、ホール近くのビジホに予約しておいた。
抽選結果は12月11日分が見事当選。
だが、もしかすると達郎ライヴ前日に何やら興味のわくベントが見つかるかも知れないので、前日の12月10日のホテル予約はすぐにキャンセルしないで予約したままでいた。
達郎ライヴが近づいてきた11月中旬、達郎ライヴ日の前日である12月10日の予定が全く決められずにいた。
そこで、ビルボードライヴ大阪での上原ひろみの公演を狙ってみようと思いついた。
上原ひろみは12月8日から11日にかけての4日間、ビルボードライヴ大阪での連続公演を堂々と予告していた。
その気になって、ビルボードライヴ大阪のHPで残席状況を確認してみたら、ビックリ。
4日間とも全てソールドアウトになっている。
ビルボードライヴ大阪では、1st.ステージ、2nd.ステージと1日2回の公演がある。
つまり4日間通算8回本の公演が売り切れていたのだ。
電話で確認したが、立見席も含めて8回全て付け入る余地が無いのだ。
こう見えてもワタクシ、
「売り切れている」
とか
「入手不可能」
とかの言葉を目にすると、かえって欲しがってしまう傾向にある。
逃した魚の記憶を後悔の念たっぷりにとどめながら、残りわずかな生命体としての活動時間を過ごしたくはない。
まだこの時点では、予約を入れた人達の中から一人でも私生活のトラブルでも発生してキャンセルが出される可能性が無いわけではない。
との信念を持って、12月に入ってからもPCやiPhoneでこまめに残席情報のチェックは欠かさなかった。
ところが、そろそろあきらめるべきかと思い始めた12月6日の深夜に残席情報をチェックしていると、突如として12月10日の自由席に空席表示があるのを発見した。
空席表示はあるが、『自由席』という言葉に二の足を踏みそうになった。
これまで何度かビルボードライヴ大阪に来た事はあるが、カジュアルエリアでの鑑賞だったで自由席となるとそれよりも少し料金が高くなってしまう。
が、料金にこだわっているといつまで経っても上原ひろみトリオを観戦することはできない。
すかさずiPhoneから予約を完了した。
ようやく、12月10日は上原ひろみ、翌11日は山下達郎と連夜のライヴ観戦スケジュールが完成した。
こうして頑張って予約を勝ち取った12月10日の1st.ステージの上原ひろみのライヴ当日。
ステージ前のテーブル席の後半あたりの自由席に相席させてもらい、開演を待った。
いつものように単身乗り込んでいったわけなので、話し相手もいないし、場慣れした風を装って文庫本などを読むふりもせず、心を沈めて開演を待ちながら浮かんできたのは、初めて上原ひろみを目撃した時の印象だった。
とにかく、強烈だった。
今確認してみると、それは2006年12月20日兵庫県立芸術文化センター大ホールでのライヴ。
上原ひろみはすごい勢いで売れっ子ピアニストの道を駆け上っていたのだが、まだスタンリー・クラークのバンドに招聘される前で、バンドメンバーは、TONY GREYとMARTIN VALIHORAという、同世代のベーシストとドラマーとのトリオ編成だった。
初めて目にした上原ひろみのステージは、手も足も表情も活発に動き回る演奏姿に圧倒された。
ひたすら突っ走りっぱなしのステージのアンコールで演奏した曲は、『グリ-ン・ティー・ファーム』というタイトルだった。
最近(2006年時点で)おばあさんが亡くなって、ツアーの合間にお参りしてきた話の後、亡くなったおばあさんに捧げた静かな曲で幕を下ろしたのが印象的だった。
さて、前置きが長くなってしまったが、ここからが本題である。
この先大事なポイントとなるので、どうか上に赤字にした部分を憶えておいていただきたい。
去年の12月10日の上原ひろみトリオのライヴに話を戻すと、
これまでカジュアルエリアでしかライヴ観戦した事がないワタクシは、初めての自由席でとまどっていた。
カジュアルエリアだとワンドリンク付きなので、ノンアルコール人間であるワタクシはアイスコーヒーをオーダーするのが恒例となっているのだが、自由席エリアではフーズ又はドリンクは必須の上別料金でである。
上原ひろみのライヴを観戦しながらガッツリした食事を摂るのも至難の業だろうし、さほど空腹感も持ち合わせていない。
遠慮がちに小声でスタッフに確かめた上、ドリンクだけのオーダーで済ませることにして、ホットラテをオーダーした。
も一つとまどったのがテーブル席だということ。
座った位置の左側ほぼ90度方向にステージがある。
ステージに正対しようと左向きに椅子を回転させてみるが、隣の椅子との距離が近いため思うようにいかない。
カジュアルエリアに比べるとステージとの距離が近いので、観戦のためには座席の角度が大きな要因となる。
40度ほど椅子を回転させた上に、自分の上半身をさらに50度ほど左側に回転させる、これでステージに正対する体制を確立した。
演奏は相変わらず強烈だった。
アンソニー・ジャクソンのコントラバスギター(6弦ベース)もサイモン・フィリップスの大掛かりなドラムセットの音も気のせいかこれまでホールでのライヴで聴いた時よりも、クッキリと感じる。
着席位置がサイモン・フィリップスのドラムセットの正面辺りだった事もあり、どうしてもドラムの動きに目も耳も釣り込まれそうになる。
あっという間に、『新曲祭り』(この日の演奏曲は2月に発売されるニューアルバムの収録曲ばかり)のステージが終了した.
ホールライヴならばたっぷり2時間は鑑賞できるのに、ここでのライヴは、やはり時間的に食い足りない。
と、考えていたら、この後、とんでもないサプライズが待ち受けていた。
本編が終了してメンバーが一旦ハケるはずなのに、上原ひろみだけがステージ残ってマイクを手に話し出した。
な、な、な、なんと、矢野顕子の紹介を始めるではないか!
まさかと思っていると、ステージに向かって左側の客席からホントに矢野顕子が現れたのだ。
あちこちで大拍手と大歓声が上がる中、矢野顕子がマイクスタンドの前に立った時、ワタクシの背筋から後頭部にかけて、ゾクゾクと冷たい電流が走った。
拍手と歓声に遮られながら途切れ途切れに話す内容から、矢野顕子は翌日12月11日にNHKホールでのライヴを控えていたのだ。
そうだそうだ、11日には、あのティンパンと共にNHKホールで矢野顕子のライヴがあったんだ。
できる事ならそちらにも行きたかったのだが、ワタクシは先に達郎チケットを手に入れてしまったので行く事ができなかったのだ。
つまり、4日連続公演のうち、1日でもずれていたらば、矢野顕子のサプライズゲストは目撃できなかったという事になる。
ワタクシは、何というシアワセ者であろうと感謝せずにはいられなかった。
その上、上原ひろみのピアノに乗せてアッコちゃんが唄ったのは、何故だか開演前のワタクシの記憶装置に浮上していた『グリーン・ティー・ファーム』だった。
アッコちゃんの退場時には、観客席は総立ちになって拍手と歓声が沸きあがった。
2008年12月の大阪フェスでの達郎ライヴに竹内まりやがゲスト登場した時も、
2009年11月のシビックホールでの服部克久50周年発売コンサートで、その達郎がサプライズゲストで登場した時も、
どちらもビックリさせられたのだが、この日のサプライズはそれらをはるかに上回る出来事だった。
さて、あの時アッコちゃんが唄った『グリ-ン・ティー・ファーム』という曲は、2009年に発売されたアルバム『Place To Be』に日本版限定ボーナストラックとして収録されているようだ。
これまた矢野顕子との共演らしい。
俄然、入手したいという欲望が頭をもたげてきた。