WOWOW留守録
98年2月17日に行われた長野オリンピックスキージャンプ団体戦。
この日が休みだったワタクシはTV観戦していたのだが、1本目が終わった後、これはもう期待できないだろうと思い、花粉症の薬を処方してもらうため近所の耳鼻科(ほんの500mくらい)まで原チャリで行って点眼薬と点鼻薬をもらって帰って来た。
TVを点けてみたら、とっくに終わっているはずの競技が一本目終了直後に気象状況悪化のために中断していたようで、ジャンプ台の安全確認のためとかでたくさんのテストジャンパーたちが次々と連なるように飛んでいる最中だった。
あの中断中にテストジャンプが行われた意味は、この映画を見る前にどっかの記事で読んでいたし、原田選手が身に付けたアンダーシャツやグローブにも触れられていたので、とっくに知っていたのだが。
ワタクシの居住地は滅多な事で積雪を見ないので、当時は判断できなかったが、あの日の長野は雪が降るというよりも、どう見ても吹雪だった。
あのテストジャンプ中断があったおかげで、外出後に2本目を全部観れたし、あの原田の泣き虫インタビューもリアルタイムで見ていた。
そして、TVの音を聞きながら台所でゴソゴソやっていた母親が泣いてた。
母親はその翌年の99年2月13日に脳出血を発症し療養生活を送った後、2003年11月に逝ってしまった。