【 2019年11月11日 記 】
明仁天皇が退位して、美智子さんと共に次世代にバトンタッチをして、一連の即位の儀式が進み、昨日は即位を祝う「パレード」が行われていた。こんな時に、1か月前ほどから改めてこの本を取り出し読んでみた。
前回、これを読んだのは2006年の4月だった。
美智子さんと同様に、次期の跡継ぎである皇太子は妃を民間から迎い入れて結婚したが、雅子さんは勝手の違う皇室慣行になじみ切れずに、公務を離れがちになり、医師から《適応障害》と診断されのが2004年のことだ。マスコミや周囲から皇太子妃に関していろいろ言われる中、当時の皇太子の徳仁親王が《人格否定発言》をしたこともあって、皇族の在り方に関して様々な論議が飛び交っていたがそんな皇室論議のさなか、その2年後の2006年にこの本が出版された。
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板垣恭介が、この本を書くきっかけは、「はじめに」に書いてあるように、記者駆け出しの頃、上司から常陸宮のお妃選びの取材を命じられたところから始まる。その後、《美智子妃の人工流産騒動》や《皇后の美智子妃いじめ》などもあり、昭和天皇崩御報道担当などを経て、天皇家との《お付き合い》に深くかかわるようになる。そして、上に書いた雅子妃の問題から、【男系皇統】【女帝問題】に絡む憲法改正論議などで、「天皇制とは何か」という問題から逃れることができなくなったという。
本の中身を振り返ってみよう。
宮内庁記者になったところから始まる。
自分でいう《ガラ悪記者》が最初にしたことは、当時の宮内庁長官であった宇佐美毅に《天皇制廃止》を訴えることだったという。これを、「面白い考えだな」といい、つづけて
「天皇制というのは神社の鳥居と新聞社が消えない限り、なくならないヨ。」
と軽妙に受け流す長官と馬が合うようになる。本で、興味深い宇佐美の経歴と人柄を紹介している。長官は、天皇の政治利用を厳しく戒めたという。
次にあたった問題は「天皇家の花嫁の条件」。行きついた《条件》には「親が資産家だの語学堪能であるとか、健康で身長は高くないとか、新興宗教信奉者は避けるとか、父親が品行方正である」など、8項目くらい並んでいる。それに対する宇佐美長官の返答が滑稽だ。
「こっちだって妾のさんの子の孫だよ。そんな固いこと言えませんや」という言葉は、《昭和天皇の祖父である明治天皇は、その前の天皇である121代孝明天皇が17人の女性を擁して、そのうちの一人であった典侍中山慶子に産ませた子である》ことを暗に示していた。因みに孝明天皇の子は明治天皇以外の5人(4人の女性に産ませた)は早死にしたということだ。《万世一系の血》というのは怪しく、他方では、《西洋の王族の血統が示しているように、近親結婚が遺伝上好ましくない》ことも含んでのことだった。そのことからも、長官は《皇太子の妃選びは血筋の近い皇族は避け民間から》という見解に組みする考えに至ったようだ。
【 ラス・メニーナス 】 【 カルロス2世 】
このあと、上に書いた美智子妃への様々な圧力の話と、並行して板垣恭介が美智子妃の近くで接する中でのいろいろなエピソードを交え、妃の心労を描写している。天皇を始めとする皇族がいかに非人間的で、「基本的人権」が奪われているかの事実も記述されている。この本でそうした話を初めて知ったことも多いが、この著作の真骨頂は、週刊誌や商業新聞が喜んで取り上げるゴシップ記事のような話題にあるのではない。
板垣がこの本を書いた時からすでに10年以上が経過し天皇の代も変わったが、天皇・皇族の環境はほとんど変わらないし、新しい皇后にも美智子妃と同じようなことが起こっている。だからこの本を今読んでも、ちっとも古さを感じない。
代替わりに際して、新たな資料の発掘・公開があって、雑誌の特集や報道番組により、昭和天皇の《美化》が盛んにおこなわれた。前説を根本的にひっくり返すような新たな発見はないと言われているが、以前の『昭和天皇独白録』でも、またNHKがこの9月に放映した『昭和天皇「拝謁記」』でも、第一級の史料と騒ぐ割には、新たな発見は示されておらず、結局《天皇を美化する内容》になっている。
昭和の新憲法制定にもかかわることだが、それよりもアメリカで新たに公開された秘密文書や「東京極東軍事裁判」における『尋問調書』などを根気よく丹念に分析した研究の方がよっぽど説得力がある。
昭和天皇は日本の敗戦にあたり《人間宣言》をして天皇制を継続したが、これはアメリカ(GHQ)の戦後統治に、《憲法第9条の戦争放棄・戦力不保持》と合わせ、《天皇制の維持》が不可欠と判断した上での妥協の結果だった。
それまで最高統帥者として戦争を指揮していたものが一変して「戦争終結の英断をした功労者」の顔で地方を行幸する。自らの戦争責任は免れないと悟り「退位はやむを得ない」とするが、一方「皇室存続と国体維持はさせたい」とゆれる天皇。明らかになった様々な記録を読み解くと、2つの考えの間をゆれ動く様子と自己弁護の姿が浮かび上がる。
地方行幸の中で、民衆の歓迎を笑顔で返す天皇を見た伊丹万作が
「陛下はこの時、最も厳粛なる反省の機会を永久に失った」
と、書いていることを、この本で板垣が紹介しているのが印象深い。
ほかにも、「橋のない川」の住井すえも登場するし、憲法の空洞化も論じている。話題は豊富で、ただ《ガラ悪》で乱暴なのではなく、視点も鋭く正確である。
「平和憲法は、情けないことに憲法より下位の法律によってとっくに蹂躙されて、実質的に改悪されている。政府与党をはじめ一部野党の言う改憲とは、これでは後ろめたいから、大ぴらに戦争のできる国にしようとしているわけで、次に来るのは徴兵制なんだよ、若者よ!」
「郵政改革だって、アメリカの望んだものだし、庶民の虎の子のお金がアメリカを中心としたマネーゲームに吸い取られてしまう危険がある。」
少しも古いことなく何度読み返しても飽きることがない。
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昭和天皇の崩御によりあとを継いだ明仁さんと美智子さんは、戦前の「大日本帝国憲法」と戦後の「日本国憲法」の両方を《違う顔で生きた前天皇の姿》を知っている。その苦悩を見ていたから、「平成スタイル」を確立し、平和憲法を順守することと合わせ各地を慰問に回り、限られた行動範囲の中で新しい皇室像を描いていった。高齢には激務だったに違いない。今回、譲位された新天皇・皇后はこれをどう引継ぐのか。
著者である板垣恭介は、この本の最後にもう一度、
「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか?」
と問いかけている。そして、
「この本を、両陛下にも読んでほしい。
元宮内庁記者からのお願いである。」
と、書いている。
読んだかどうかは知らないが、この本の提案の対象に名が挙がっているお二人は皇室を辞めることでなく《天皇の退位》という形で一段落した。
しかし、住民票も基本的人権も、自分で判断する権利もない皇族の姿を見た板垣恭介は、天皇・皇族の負担をなくすためにも《譲位》に留まらず、「非人間的で非民主的である【天皇制】そのものを廃止すべきである」と暗に提示したように私には思われる。
【 2019年11月13日 追記 】
先日のパレードで、安倍首相は菅官房長官ともども、自らが主役であるかの様に車の窓を開け、沿道の歓喜に手を振っていたという。「桜を見る会」もそうだが、公人と私人の区別が出来ず、好き勝手にやり放題の安倍首相に言いたい。
『公的行事の私物化や天皇への好感を政治的利用するのは決して許されることではない。』と。
【 2019年11月14日 追記 】
また、今日から明日にかけて「大嘗祭」が執り行われる。神事であるにもかかわらず膨大な国費を使って権威付けがされる。「こじんまりと私費で」という皇室側の意向は顧みられず、「古来の伝統」という理由をつけて強行される。「桜を見る会」は来年は中止されると言っているが、そんなことで済まされる問題ではない。
『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』の2006年のMyブログ記事