【 2019年10月4日 】
3年ほど前、似たような映画で『帰ってきたヒトラー』という映画を見た。2番煎じかなとも思ったが、見てみたら《ヒトラー》にも増して納得のできる映画だった。監督のインタビュー記事を見てみたら、映画『~ヒトラー』の原作小説を読んで、これのイタリア版に移し替えた映画を作ってみようと思って制作したという。(ちなみに、監督のために書き添えておくと、映画「帰ってきたヒトラー」の完成前のことだったそうだ。)タイトルもストーリ展開も似ているのは当然だった。
下の映像は映画の1シーンだが、ここに映っているのは(ムッソリーニ以外は)俳優ではない、現実の人たちだという。つまり、この部分は台本があってそれに基づいて俳優が演じたものではなく、ムッソリーニ(そっくりさん)を街に登場させた場合、一般の人がどんなリアクションを返すかを《ドキュメント》タッチで収録したものだ、ということを後で公式サイトを見て知った。そういえば、登場者の一部に《なぜ、顔にモザイクがかかっているのか》不思議に感じたが、そういうだったのかと納得した。その中には、ムソリーニ式(ナチス式)敬礼をするシーンもあった-これはイタリアの現法律で禁止されているそうだ! それを知って、ただ笑っていられない空恐ろしい複雑な感情が沸き上がってきた。
【 架空の人物を現実世界に持ち込んだ時の反応を撮るロケ隊カメラマン 】
現実と空想が入り混じった映画の中では、売れない映像作家がその映像をインターネットに流し、SNSで拡散され、架空の話はイタリア中に広まる。テレビ局もニュース番組を流したり特別番組を組んだりして視聴率を上げる。
【 現代のムッソリーニはSNSも活用する 】
インタビューに答える《ムッソリーニ》は弁舌巧みで見るものを引き付ける。それはあたかも80年以上前の、現在と似たような混乱した時代にムッソリーニが人心を引き付け権力を握った時代を思い起こさせる。
現代の様々な矛盾に、ムッソリーニの言葉が快く響き、人々の気持ちを惹きつける。
監督はここでこの話を単なる喜劇仕立てのパロディに終わらせなかった。
《ムッソリーニ》がひょっとしたきっかけで訪問先の子犬を銃殺してしまう。それをきっかけに、それまでのテレビ局内で対立が起こる。雰囲気に流され迎合的な言動に熱狂する人々と背後にある危険な思想を感じたとった人。視聴率の数字のみを追い求めるのか、報道の使命とその影響を鑑み、正義を重んじ真実を追求しようとするのか。現実的で現代的な問題を突き付ける。
【 ある事件がきっかけで・・・ 】
クライマックスは、認知症を患っていた老婆の消し去りえない昔の鮮明な記憶だった。喜劇が一転してシリアスな人間ドラマに変わる。
「当時の人間は無知だった。80年以上たった今も何も変わっていない」と豪語した《ムッソリーニ》を前にして言う、次の言葉だった。
『私は忘れていない。この悪党を、当時も人は笑っていた!』
ルカ・ミニエーロ監督はインタビューで次のように言う。
『ファシズムの源泉はイタリアで、ヒトラーにも影響を与えた。そしていま、経済低迷や難民危機を経てヘイト犯罪は増え、極右政党は一定の影響力を保ち、ムッソリーニの墓や別荘も観光地化している。・・・独裁者が脚光浴びる、この危うい世界は現実だ。・・・そうした現実に警鐘を鳴らすためにこの映画を撮った。』
、と。
ムッソリーニに関して、もう一つ是非見てほしい映画がある。『愛の勝利を-ムッソリーニを愛した女』-名作である。
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『帰ってきたムッソリーニ』-公式サイト