【 2013年2月13日 】 京都シネマ
午後から休みを取って映画2本を見てくる。
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『アルベール・カミユ』の名前を思い出すのは、大学時代に当時流行っていた実存主義に興味を持ち、サルトル、ボーヴォワールの著作やその周辺の書籍をかじる中、カフカやシモーヌ・ヴェイユの詩集と共に、彼の著作『異邦人』を読んで以来のことだ。
他には『シジフォスの神話』(最近は『シーシュポス』と記述するようだ)を読んだくらいで、特に傾倒したわけでもなく、出自や思想傾向を探るようなこともなく、『不条理』という言葉と共に、自分の意識からは遠ざかっていた。
言ってみれば、単に時代の流れの中で、周囲がそういった書物を話題にしたから手にしたくらいなものだ。
カミユの名前と共に思い出すのは、一昨年肺ガンで急逝した友人-K.I.のことだ。高校で同じクラスになり、大学を卒業するまで同じクラスだった。大学で同じクラスというのが少しわかりにくいが、言い換えれば《同じ学部・学科専攻》だったということになる。
(実をいえば、もうひとり高校の同じクラスから同じ専攻に入学した友人がいて、3人はK.Iが1回生の後期に他に映るまで同じ下宿にいた。当時、横浜くんだりからわざわざ関西の私学に来ること自体が珍しかった-しかも高校の同じクラスから同じ専攻になどなおさらのこと-ので《横浜3人組》やど揶揄されて呼ばれたりしていたが、このことは別の機会に改めて書くことにしよう。)
高校に通っていたころ、通学途上、米軍基地に囲まれた校舎のある高台までの坂道で、よく《人生》や《友情》について話し合ったものだ。のびのびした開放感ある学校だった。(自分だけがそう思っていたのかもしれないが。)
そうこうしているうちに、学年が進み進学のことを考えなければいけないが、勉強そっちのけでそんな話ばかりしている。結果、新宿にある同じ予備校に通い、その行き帰りも同じように語り、同じ大学の同じ専攻に入学することになったのだ。
彼は熱心に『カミュ』を読んでいた。
彼にも「いいよ。」と薦められ読んだ『異邦人』は『太陽がいっぱい』を見たときのように《地中海の太陽》を全身に浴びたような開放感を身体中に感じた。
映画を見ていたら、昔のそんなことを、ふと思い出した。
しかし、今回映画で見たようなカミュは想像もしなかった。アルジェリアを故郷に持ち、フランス本国の帝国主義政策に対峙している人とは思わなかった。
フランスにとって、やはり《アルジェリア》は、日本の《朝鮮》みたいなもので、それ抜きには政治も物語も何も語れない存在であることを改めて知った。
『最初の人間』-公式サイト