【2012年3月25日】 京都シネマ
ヴィゴ・モーテンセンの『イースタン・プロミス』は“男の美学に迫るかっこよい渋さ”が良かったが、今回のは内にひめた“耐える渋さ”が光る。
それはともかく、映画の中身は深刻である。1930年代のドイツ、ヒトラーが権力を握り、ナチが全ヨーロッパに刃を剥きだし襲いかかろうとする時代。ベルリン大学の文学教授であるハルダーにナチス本部から声がかかる。ハルダーには、前の大戦を共に戦い、国の勲章までもらったモーリスというユダヤ人の無二の親友がいた。
ヒトラーに自分の作品が気に入られたおかげで、ふたりの運命が別の方向に向かざるを得なくなる。それまで善き市民として共に論議し、共に戦い、共に酒を酌み交わした中が、一方はアーリア人、もう一方はユダヤ人というだけで、引き裂かれる。
ハルダーは何とかモーリスを国外に逃そうと思うが、モーリスは勲章までもらった人をナチスといえども拘束するはずないと考え拒否するが、ナチスが勢いを増した時勢で、そんな甘い考えはあっという間に吹き飛んでしまう。
《善き人》で平凡に暮らしていた市民に降りかかる苦難。友を裏切らねばならない、選択の余地のない状況。
--いつも思うのだが、どうしてこんな状況になるのをゆるしてしまった。それまで、何とかならなかったのか。
映画だが、敢えて難点を言えば、ドイツを舞台にした映画を-それもナチスの映画を-英語でやるというのはどうも違和感が残る。やはり、ドイツ語でやってもらわないと。
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最近書店で、『ナチスの知識人部隊』(河出書房新社、クルスティン・アングラオ著・吉田春美訳、2012年・河出書房新社刊)で見かけて読みかけていたところだった。続きを、急いで読んでみたくなった。
『善き人』ー公式サイト