『「テロとの戦い」を疑え』 西谷文和著 2017年 かもがわ出版刊
【 2017年6月30日 記 】
今や世界中が「テロとの戦い」に追われている。頻繁にテロが起こっているのは、フランス・イギリスをはじめISに空爆を行っているヨーロッパの国だけではない。今や、アジアにもその《火の粉》が降りかかろうとしている。中東で追い詰められたイスラム過激派がフィリピンへの集結を呼び掛けているからだ。
テロが起きるたびに世界の指導者たちは「テロを許さない。テロを絶滅すまで断固戦う!」と主張する。今回、ミンダナオ島で起きた《事件》に際しても、フィリピンのドゥテルテ大統領は「過激派組織を壊滅させる」と言っている。一方、ISの本拠地であるイラクのモスルが、アメリカを中心とする「有志連合国」の爆撃により、まもなく陥落しそうだと伝えられている。これを受けて、イラクのアバディ首相は「ISは敗北を認めたも同然だ。ISもこれで終わりだ。」と言ったというが、果たしてそうなのだろうか。
『ISが最後のとりで爆破 モスル陥落間近か』の毎日新聞記事のページ
本書は、中東を中心に取材を続けている戦場ジャーナリストの西谷文和さんが、現地から直接得た情報をもとに、上の問いに対する率直な答えを示したものになっている。
構成は、以下の「目次」の通りである。
印象に残った、要点だけをかいつまんで列挙すると・・・。
「IS」が台頭したのは、「フセインのイラク」がアメリカに倒された事と、周囲の国が「アラブの春」によって独裁政権が倒されていく中で同様に打倒されると思った「アサド政権」が大国の利害のはざまで(ロシアのテコ入れで)生き延びて、「イラク」・「シリア』とも内戦に明け暮れる無政府状態になったもとで、勢力を拡大したことにある。(フセイン大統領やカダフィ大佐(リビア)も悪名高いが(アメリカの情報操作にもよるところ大)、このアサド(大統領)はとびきりの《悪党》に思えてならない。)
『「ISはアメリカのイラク戦争を生みの親として、シリア内戦を育ての親として、モンスターになった。』(P-27)
【 瓦礫の中の子供 】
その一方で、
『世界中のメディアがISのテロをセンセーショナルに報道し続けたので、「ISへの空爆は仕方がない」という世論が形成された。
・・・延々と空爆が続き、軍産複合体は空前の利益を上げている。』 (P-29)
米、ロシア、フランス、トルコやアサド軍による空爆は一般住民の殺害を伴う。映画「ドローン」や「EYE IN THE SKY」で観るような、無人機の爆撃も誤爆や巻き添えを伴う。『空爆こそテロではないか』という項目が目に残る。
しかし、世間は無関心のままだ。西谷さんは、それを「教育とマスコミの責任」と見るが、全く同感だ。
『厳しい受験戦争の下で、歴史は「こまぎれに暗記する作業」になっている。1914年セルビアでのオーストリア皇太子の射殺、第一次世界大戦勃発。
1939年ナチすのポーランド侵攻、第二次世界大戦の勃発。・・・戦争に反対してちかかつどうをしていた人々の記録は「試験には出ない」のだ。・・・
「1914年」や「ナチス台頭」は試験にパスするための記号でしかない。』 (P-30)
《試験に出る記号》を覚えるどころか、意図的か怠慢か分からないが学校の授業では「近代」までたどり着かず、授業が終わってしまうことが多い。
【 負傷した女の子 】
メディアについても、特にテレビでは、「視聴率第一」の風潮が安上がりの番組つくりと相まって、テレビ離れを起こし、悪循環を繰り返すと警鐘を鳴らす。
一部の番組を除いて《見るに堪えない番組》が多い。ゴールデンタイムには、どのチャンネルを開いても、タレントが大騒ぎして《なぜ公共の電波を使ってこんなしょうもない映像を流すのか》とあきれるばかりだ。観たくない安倍首相と菅官房長官の顔は必要以上に登場させ、政府の意向を押し付ける一方、「肝心なニュースは伝えない」(Pー81)。
【 公園の子供たち 】
どうして「テロが引き続き起こり」、「戦争は終わらない」のか。戦争はどうして引き起こされるのか。
「テロが起きる→メディアが繰り返し報道する→恐怖心が植えつけられる→「ISをやっつけて」という声が大きくなる
→空爆が始まる→イラク・シリアが廃墟になる→その画像を見たアラブ系の若者がISに入る→テロが起きる→メディアが・・・」(P=54)
「安易に「テロとの戦い」は正義だから空爆は仕方ない、と信じてしまうと、このような無間地獄につながってしまう。潤うのは
武器を売って儲けた人々、そこに眠る石油で商売をする人々、そうしたビジネスに投資をする金融機関・・・。」(P-55)
である。
【 教室で 】
「イスラム教徒とキリスト教徒がい・・長い対立で戦争になりました・・・スンニ派とシーア派の宗派間の争いが・・こうした《底の浅い解説》がメディアに
流れることがある。・・しかし人間は宗教が違うだけで殺し合ったりしないのだ。・・」(P-18)
例として、ツチ族とフツ族が対立した「ルアンダの内戦」や「パレスティナの問題」、「シリアの内戦」等を例に挙げているが、いずれも「大国のダブルスタンダード」、宗主国の統治の都合で、「宗教対立」や「民族対立」が利用されている。
「・・泥沼の内戦が続けば、どちらの側にも武器を売り続けることができる。ここでも真の勝者は、「死の商人」だ。
石油やダイヤモンド、地下資源のあるところに戦争あり。そして戦争は「欧米諸国」、つまり大国の都合で『早期に終わる場合』と
『長々と続ける場合』がある。私たちは気づかねばならない。『戦争はイディオロギーではなく、利権で動く』ということを。」(P-138)
前向きな取り組みも紹介しておこう。
第6章では、アフガニスタンの「太陽作戦」の実践例が紹介されている。この本を読むまでこんな取り組みがあることを知らなかった。これが、現在も続けられている。
「絶望から希望へ。憎しみの連鎖から喜びの連鎖へ。そして戦争から平和へ。ドイツ国際平和村こそ、本当の「積極的平和主義」と言えるのではないだろうか。」(P=166)
安倍首相が、欺瞞に満ちた《積極的平和主義》を掲げ、「秘密保護法」から「安保法制」の閣議決定をへて、テロ対策を口実に「共謀罪」まで遠し、戦争の道につき進んでいる。アフガン戦争でアメリカの片棒を担がないでも、イラクのサマワに自衛隊を派遣しないでも、集団的自衛権を行使してアメリカと共に戦わなくても、日本だけにしかできない貴重な役割があるではないか。
上の言葉は、現政府の政策への強力な【アンチテーゼ】となっている。
この本を読んで改めて感じることは、日本にいて自分らが感じる以上に、【海外の人々には、《日本は戦争をする国に突き進んでいる》と思っているのでは】ということである。もう、海外で「日本人だから安心」などとはいっていられない現実があるのだ。
いずれにしても、西谷さんのようなジャーナリストが【海外に出かけ真実を報道する】ということは非常に大切なことだ。
2012年にシリアで政府軍の銃撃に倒れた山本美香さんや、イラクで貴重な活動をしながら武装グループによって殺害された後藤健二さんのようなことを再び起こさないような日本でありたいと強く感じた。
【 2017年6月30日 記 】
今や世界中が「テロとの戦い」に追われている。頻繁にテロが起こっているのは、フランス・イギリスをはじめISに空爆を行っているヨーロッパの国だけではない。今や、アジアにもその《火の粉》が降りかかろうとしている。中東で追い詰められたイスラム過激派がフィリピンへの集結を呼び掛けているからだ。
テロが起きるたびに世界の指導者たちは「テロを許さない。テロを絶滅すまで断固戦う!」と主張する。今回、ミンダナオ島で起きた《事件》に際しても、フィリピンのドゥテルテ大統領は「過激派組織を壊滅させる」と言っている。一方、ISの本拠地であるイラクのモスルが、アメリカを中心とする「有志連合国」の爆撃により、まもなく陥落しそうだと伝えられている。これを受けて、イラクのアバディ首相は「ISは敗北を認めたも同然だ。ISもこれで終わりだ。」と言ったというが、果たしてそうなのだろうか。
『ISが最後のとりで爆破 モスル陥落間近か』の毎日新聞記事のページ
本書は、中東を中心に取材を続けている戦場ジャーナリストの西谷文和さんが、現地から直接得た情報をもとに、上の問いに対する率直な答えを示したものになっている。
構成は、以下の「目次」の通りである。
印象に残った、要点だけをかいつまんで列挙すると・・・。
「IS」が台頭したのは、「フセインのイラク」がアメリカに倒された事と、周囲の国が「アラブの春」によって独裁政権が倒されていく中で同様に打倒されると思った「アサド政権」が大国の利害のはざまで(ロシアのテコ入れで)生き延びて、「イラク」・「シリア』とも内戦に明け暮れる無政府状態になったもとで、勢力を拡大したことにある。(フセイン大統領やカダフィ大佐(リビア)も悪名高いが(アメリカの情報操作にもよるところ大)、このアサド(大統領)はとびきりの《悪党》に思えてならない。)
『「ISはアメリカのイラク戦争を生みの親として、シリア内戦を育ての親として、モンスターになった。』(P-27)
【 瓦礫の中の子供 】
その一方で、
『世界中のメディアがISのテロをセンセーショナルに報道し続けたので、「ISへの空爆は仕方がない」という世論が形成された。
・・・延々と空爆が続き、軍産複合体は空前の利益を上げている。』 (P-29)
米、ロシア、フランス、トルコやアサド軍による空爆は一般住民の殺害を伴う。映画「ドローン」や「EYE IN THE SKY」で観るような、無人機の爆撃も誤爆や巻き添えを伴う。『空爆こそテロではないか』という項目が目に残る。
しかし、世間は無関心のままだ。西谷さんは、それを「教育とマスコミの責任」と見るが、全く同感だ。
『厳しい受験戦争の下で、歴史は「こまぎれに暗記する作業」になっている。1914年セルビアでのオーストリア皇太子の射殺、第一次世界大戦勃発。
1939年ナチすのポーランド侵攻、第二次世界大戦の勃発。・・・戦争に反対してちかかつどうをしていた人々の記録は「試験には出ない」のだ。・・・
「1914年」や「ナチス台頭」は試験にパスするための記号でしかない。』 (P-30)
《試験に出る記号》を覚えるどころか、意図的か怠慢か分からないが学校の授業では「近代」までたどり着かず、授業が終わってしまうことが多い。
【 負傷した女の子 】
メディアについても、特にテレビでは、「視聴率第一」の風潮が安上がりの番組つくりと相まって、テレビ離れを起こし、悪循環を繰り返すと警鐘を鳴らす。
一部の番組を除いて《見るに堪えない番組》が多い。ゴールデンタイムには、どのチャンネルを開いても、タレントが大騒ぎして《なぜ公共の電波を使ってこんなしょうもない映像を流すのか》とあきれるばかりだ。観たくない安倍首相と菅官房長官の顔は必要以上に登場させ、政府の意向を押し付ける一方、「肝心なニュースは伝えない」(Pー81)。
【 公園の子供たち 】
どうして「テロが引き続き起こり」、「戦争は終わらない」のか。戦争はどうして引き起こされるのか。
「テロが起きる→メディアが繰り返し報道する→恐怖心が植えつけられる→「ISをやっつけて」という声が大きくなる
→空爆が始まる→イラク・シリアが廃墟になる→その画像を見たアラブ系の若者がISに入る→テロが起きる→メディアが・・・」(P=54)
「安易に「テロとの戦い」は正義だから空爆は仕方ない、と信じてしまうと、このような無間地獄につながってしまう。潤うのは
武器を売って儲けた人々、そこに眠る石油で商売をする人々、そうしたビジネスに投資をする金融機関・・・。」(P-55)
である。
【 教室で 】
「イスラム教徒とキリスト教徒がい・・長い対立で戦争になりました・・・スンニ派とシーア派の宗派間の争いが・・こうした《底の浅い解説》がメディアに
流れることがある。・・しかし人間は宗教が違うだけで殺し合ったりしないのだ。・・」(P-18)
例として、ツチ族とフツ族が対立した「ルアンダの内戦」や「パレスティナの問題」、「シリアの内戦」等を例に挙げているが、いずれも「大国のダブルスタンダード」、宗主国の統治の都合で、「宗教対立」や「民族対立」が利用されている。
「・・泥沼の内戦が続けば、どちらの側にも武器を売り続けることができる。ここでも真の勝者は、「死の商人」だ。
石油やダイヤモンド、地下資源のあるところに戦争あり。そして戦争は「欧米諸国」、つまり大国の都合で『早期に終わる場合』と
『長々と続ける場合』がある。私たちは気づかねばならない。『戦争はイディオロギーではなく、利権で動く』ということを。」(P-138)
前向きな取り組みも紹介しておこう。
第6章では、アフガニスタンの「太陽作戦」の実践例が紹介されている。この本を読むまでこんな取り組みがあることを知らなかった。これが、現在も続けられている。
「絶望から希望へ。憎しみの連鎖から喜びの連鎖へ。そして戦争から平和へ。ドイツ国際平和村こそ、本当の「積極的平和主義」と言えるのではないだろうか。」(P=166)
安倍首相が、欺瞞に満ちた《積極的平和主義》を掲げ、「秘密保護法」から「安保法制」の閣議決定をへて、テロ対策を口実に「共謀罪」まで遠し、戦争の道につき進んでいる。アフガン戦争でアメリカの片棒を担がないでも、イラクのサマワに自衛隊を派遣しないでも、集団的自衛権を行使してアメリカと共に戦わなくても、日本だけにしかできない貴重な役割があるではないか。
上の言葉は、現政府の政策への強力な【アンチテーゼ】となっている。
この本を読んで改めて感じることは、日本にいて自分らが感じる以上に、【海外の人々には、《日本は戦争をする国に突き進んでいる》と思っているのでは】ということである。もう、海外で「日本人だから安心」などとはいっていられない現実があるのだ。
いずれにしても、西谷さんのようなジャーナリストが【海外に出かけ真実を報道する】ということは非常に大切なことだ。
2012年にシリアで政府軍の銃撃に倒れた山本美香さんや、イラクで貴重な活動をしながら武装グループによって殺害された後藤健二さんのようなことを再び起こさないような日本でありたいと強く感じた。