【 2017年6月12日 】 京都シネマ
「アカデミー賞」を取ったという宣伝文句につられて映画を見るということは通常しないのであるが、「脚本賞」をとったというのと、予告編を見て《地味そう》な内容だったので観ることにする。
最近の「アカデミー賞」はちょっと毛色の変わっているものが多いようだ。世間が大騒ぎするので、同じアカデミー賞の「作品賞」をとったという『ムーンライト』を見たが、もうひとつ解らなかった。というかあまり共感するところがなかった。
で、こちらの映画は・・・。
「マンチェスター」というからイギリスを舞台にしている映画かと思ったが、アメリカだった。アメリカには《マンチェスター》という地名を持つ場所が10カ所もあるらしいが、この映画の「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はマサチューセッツ州にあるということだ。
ボストンで「便利屋」をしているリーにはつらい過去があるらしい。兄の死の知らせを受け、故郷の「マンチェスター」に帰るのだが・・・。
初めのうちは、話の筋が上手く把握できなかった。解説的なセリフは少ない方がいいのだが、うまく話を進めないと、見ている方に人間関係とか状況が伝わらない。特に、過去もの話と現在の進行が交錯すると混乱する。
人生には、人それぞれに様々な危機や辛いことがあるものだ。進んで自分からそれらを受け入れようという人はそう多くないと思うが、それがないと人生は平坦で面白くないとも思う。極楽の世界は、ある意味退屈でつまらないものかもしれない。危機や困難を一つひとつ乗り越えて人は成長するのかもしれない。
【 リーと甥 】
映画でもそうだ。テーマの中に、困難や辛い事、あるいは危機がなかったら、見せ場も盛り上がりもなく、全然面白くないだろう。人は、映画の中で、あるいは小説で、それらを登場人物と場面を共有することで喜怒哀楽を共に体験する。
【 辛い過去のある故郷に戻ってきたが 】
いろいろな国の映画を見ていると、我々日本人と感覚がずれることがある。作者とも感性の違いもあるかもしれないが、国柄によって大分影響される。文明の違いや、経済の発展状況によっても大人るのだろう。社会の仕組みや民主主義の成熟度によっても違う。
スウェーデンやノルウェーの映画を見ていると、ピンとこないことがある。悩みの質が違うというか問題意識の乖離というか、意識のずれや価値の質の違いを感じる。日本で問題になっていることが、向こうでは常識であり、問題にすらならないこともあるようだ。
日本では、教育費の問題や医療のこと、老後のことで頭を悩ますが、そういったことが問題となって場面を映画では見たことがない。逆に、中東や紛争の絶えない地域では、日本では考えられない《毎日を安全に過ごすこと》だけが問題だ。
時代の変化もそうだ。苦難の時代や激動の時代は、古今東西ジャンルを問わず「心に残る名作」が生み出されている。或る意味、今の日本は《平和のよう》だ。
【 ミッシェル・ウィリアムズ 】 【 甥 】 【 兄 】
ミッシェル・ウィリアムズで思い出した。『ブローク・バック・マウンティン』にヒース・レジャー役のカウボーイのどこか独特の陰のある妻として出ていた。そう、ついでに言うと『ムーンライト』よりは『ブロークバック・マウンティン』の方がずっと分かりやすく共感できた。ミッシェル・ウィリアムズでいうと、『フランス組曲』も独特の味を出していてよかった。この人の雰囲気というのは、いったいどうなっているのだろうかと不思議におもう。
たしかに、爆弾の脅威にさらられるのも大変だが、何も心配事がないより《越えなければならない問題》が多少あった方が、人間の成長にとっては刺激があっていいのではないかと、ふと思ったりする。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』-公式サイト