【 2015年10月20日 】 京都みなみ会館
先日、『わたしに会うまでの1600km』という似たような映画を見たが、今回の舞台は「オーストラリア大陸」である。こちらも女性が一人で砂漠横断の旅に出る《実話もの》であるが、動機がもうひとつわかりにくい。
オーストラリアにはもともとラクダは居なかったそうだが、砂漠を歩いて横断するとなると、やはりラクダは必要不可欠のものらしい。旅は、そのラクダの扱いに慣れるところから始まる。「ラクダ牧場」で働き、調教の方法を身に着け、必要なラクダを2頭もらい受けてようやく出発だ。
『〜1600km』と違って、自分で荷物の全てを背負うわけではないから、荷物は軽く最小限に限定する必要もないが、多くなりすぎてもラクダに負担がかかる。それと何といっても、広大な砂漠である。愛犬と生まれたばかりの子ラクダを伴った、女性一人と4匹(頭)との冒険旅行である。
ラクダは調達できたものの、冒険を始めるには費用がない。「ナショナル・ジオグラフィック社」のカメラマンが同行することで資金援助を受ける。同行したら《ややこしくなる》ことと冒険そのものの価値が低くなると懸念したが(本人も?)、要所要所のポイントで合流して、そこで写真を撮るようで、少し安心する。
しかし、広い大陸の他には誰もいない砂漠の中での女一人と男一人の世界である。何もないと考える方がおかしい。
旅の途中、ラクダに逃げられかけたり愛犬を失ったりするが、旅を完遂する。それでも、なにか【やった!】という満足感が伝わってこない。やはり、今回の冒険をする動機というか、背景が充分に描かれていないため、説得力が足りないのだと思った。
オーストラリア大陸にはかつて1度行ったことがある。往復航空けんを取り、宿は予約なしで、シドニーで数日過ごした後、そこからこの映画のアリス・スプリングスに飛び、エアーズ・ロックにも登った。
自分らは、エラーズ・ロックのあるウルルの街から、高速バスで一昼夜をかけて南のアデレードに出て、メルボルンに行っただけだが、上空やバスの車窓から見た大地は、深い山もなく、険しい渓谷もなく、ただ《だっだっ広い赤い土の荒野がどこまでも続く》という印象だった。
いった経験があったから、アボリジニーの姿やオーストラリアの大自然にふれて、懐かしいという感慨に触れることもできたが、あれだけの《冒険をする》という動機の描写をもっとしっかりしてほしかった。
『奇跡の2000マイル』-公式サイト