【 2015年6月21日 】 京都 T-ジョイシネマ
原作の小説の題名は『石を積むひと』だそうだ。映画を見れば、やはり元の題名の『石を積むひと』の方がいいと思った。プロデューサーか配給会社の人間か、はたまた誰の仕業か知らないが、この国の人は【愛】という言葉が好きである。
だいたい《愛》とかを謳う話は、《鳥肌が立つ》ようなわざとらしセリフや、か《歯が浮くような》出来すぎた話があったりするものだが、この映画にもそうした場面がないでもない。
たとえば、《石積》をしながら青年を諭すシーンで言う次の言葉だが、そのためにわざわざ《この仕事》を物語の中に仕組んだとしか思えない。
【石塀の石だって、すべてがきちんとした真四角の石ではない。大きさもバラバラで小さいのや《イビツ》なものがあるが、それぞれ自分の持ち場があって役に立っている。】(劇中のセリフその通りでなく、そんなようなことを言っていた)
そもそも、【石を積む作業】など、余生を楽しもうと、はるばる北海道の大自然の中にやって来た《年寄り》に与えられる仕事ではない。自分が、そんな仕事を与えられたら『冗談じゃない。なんでここに来てまで、そんな力仕事をしないといけないんだ。ますます腰痛が悪化するじゃないか!』といって、わたしならきっぱり断るところだろう。(そもそも、妻はそんな要求はしないだろうと思う。)
だいたい、北海道の大自然や信州の山々は、たまに行くからいいんであって、ずーっと住み続けるには退屈してしまう。
【真珠の首飾り】も【手紙】も出来すぎているように思うが、そこは小説。石材店の助手の青年が立ち直る話や、長女との和解の話もからめ、まあ、全体としてはいいできだったような。
そんな中で、柄本明の演技が、とりわけ光っていた。やはり、ああいう人がスクリーンに登場しないと映画にしまりがなくなる。
『愛を積むひと』-公式サイト