【2012年9月6日】 京都シネマ
大津市での事件をはじめ、この間の中学校生徒の自殺事件を受けて、国が『いじめ対策』に動き始めたことを今日(9月6日)の朝刊が伝えた。それによると、国主導でこの問題を解決するために、文部省が《いじめ問題で学校を支援する専門家チーム》を全国で200カ所新設するプランをつくったということだ。
そんなことをしても、事故の再発防止には、何の役にも立たない。今の学校の在り方、方向性が誤っているというのに、何も分かっちゃいない!
根本的な問題-受験競争や管理主義-をそのままに、いやむしろ強化しようという流れの中で、生徒どころか《この映画のように》教師の自殺者だって出かねない状況だ。
互いに助け合い生きるための勉強でなく、生徒の多様性を認めることなく点数だけで評価し、互いに蹴落としあう環境の中で、どうして『いじめ』がなくなるというのか。
教師は、生徒の理解者でなく校長の顔色を窺いその意図を生徒に押しつける伝達者になり、校長は行政を気遣い学校の成績と経営の実績のみに捕らわれた管理者に成り下がったら、どういうことになるのか、分かっているのだろうか。
『大阪維新の会』の橋下代表は、校長や区長を《公募》することを手柄そうに吹聴するが、要は自分の意向を素直に実行してくれる校長や管理者を、自分の基準で直接選ぶだけの話ではないか。『公選』と混同させる策略にすぎない。
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そんな折り、タイムリーな映画だった。カナダと日本とでは教育制度もだいぶ違うと思われるが、本来教育の意図するところは同じで、いい先生、いい教育環境も同じではないかと思う。
ムッシュ・ラザールは、アルジェリアからカナダに突然やってきて、自殺した前任者の代用教員に採用されるが、悲しい過去を持っていた。前任者がどうして教室で自殺したか、ラザールがアルジェリアでかつてどんな生活をしていたか、最初は分からないが、次第に明らかになっていく。
ぎこちない授業も、生徒と真剣に向き合う中で徐々に生徒にもその気持ちが伝わっていく。
映画の中でもっとも印象的な台詞は、職員会議の中で校長が『今回のことは専門家にまかせる。』といったのに対し『また、スペシャリスト(専門家)か』というラザールがつぶやく言葉だ。
その専門家は、事件後の《生徒の心のケア》のためといって教室にカウンセラーが配置されるが、そのカウンセラーと称する専門家は、生徒との話し合いで、担任のラザールを教室から追い払ったのだ-担任がいたのでは生徒が本心を語らない、と言って。
自分自身のカナダでの不安定な身分も有りながら、そうした妨害とも嫌がらせとも思える行為の中でも、ラザールは生徒と向き合い、寄り添って生徒の気持ちをつかんでいく。
難民申請は受理されたものの、ラザールは《本当の》教師ではなかった。教師を続けられなくなり、生徒と別れるときがやがてくることに。
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かつて自分の職場が経営不振で行き詰まったとき、上の者が《経営の専門家》に事態の進行をまかせようと提案してきた。
専門家にまかせたら《安易な首切り》か《大幅な賃金カット》しかないことは分かっていたから、専門家に払う大金があるなら自分達に分けろと主張した。
外部からやってきた《スペシャリスト》に何ができるというのだ。何か特別な知識があって、それを習得したと称し《専門家面して特効薬を投薬すれば問題は解決する》といった横柄な役柄の《スペシャリスト》は、私は大嫌いだ。
『ぼくたちの ムッシュ・ラザール』-公式サイト