【ショック・ドクトリン】上巻 ナオミ・クライン著 2011年岩波書店刊
〈上巻 目次〉
序章 ブランク・イズ・ビューティフル
--30年にわたる消去作業と世界の改革--
第一部 ふたりのショック博士--研究と開発
第1章 ショック博士の拷問実験室
--ユーイン・キャメロン、CIA、
そして人間の心を消去し、作り変えための狂気じみた探求--
第2章 もう一人のショック博士
--ミルトン・フリ-ドマンと自由放任実験室の探求--
第二部 最初の実験--産みの苦しみ
第3章 ショック状態に投げ込まれた国々
--流血の反革命
第4章 徹底的な浄化
--効果を上げる国家テロ
第5章「まったく無関係」
--罪を逃れたイデオローグたち--
第三部 民主主義を生き延びる--法律で作られた爆弾
第6章 戦争に救われた鉄の女
--サッチャリズムに役立った敵たち--
第7章 新しいショック博士
--独裁政権に取って代わった経済戦争--
第8章 危機こそ絶好のチャンス
--パッケージ化されるショック療法--
第四部 ロスト・イン・トランジション
--移行期の混乱に乗じて--
第9章 「歴史は終わった」のか?
--ポーランドの危機、中国の虐殺--
第10章 鎖につながれた民主主義の誕生
--南アフリカの束縛された自由--
第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火
--「ピノチェト・オプション」を選択したロシア--
(以上)
と、なっている。
1巻が700ページ近くに及ぶボリュームで、読みこなすのも大変だが、内容に圧倒される。
本全体の内容は、一口で言えば、ミルトン・フリ-ドマンがその頭目であり、徹底した規制撤廃・市場原理至上主義・極端なまでの民営化を主張する『シカゴ学派』の経済理論の正体を暴くものである。
この経済理論がいかに世界で猛威をふるうようになったか、『序章』で端的に描かれている。
その新自由主義経済学が展開する政策は、世界各地でその牙をむきだし、その国の社会・経済を破壊しつくし、その後に多国籍企業が政府に代わり全てを奪い、暴利をむさぼりつくしているが、最初からこんなでたらめな理論が世間に通用するはずがなかった。
その《理論》がいかに、資本主義の支配層、当時の為政者に取り込まれていったか、それが問題である。
『壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為』を著者は『惨事便乗型資本主義』と呼んで、そのすざましいまでの具体的な手口と実態を、以下の章で、それぞれの国ごとに刻銘に描いていが、上記の疑問への回答はこうである。
『要するに、フリードマンの経済モデルは民主主義政権下でもある程度は強行できるが、そのビジョンを全面展開するには独裁主義的状況が必要なのだ。70年代のチリ、80年代の中国、90年代のロシア、そして2001年9月11日以降のアメリカのように、・・・おおきな精神的打撃を国民に与え、それによって民主的手続きを一時的あるいは全面的に停止する必要があった。』(上巻、P-13)
具体例として『序章』で描かれたのは、ハリケーン・カトリーナが襲った直後のニューオリンズで起きたことである。
『「復興」という名で呼ばれた作業とは、つまるところ災害の後片づけと称して公共施設やその地域に根づいた地域社会を一掃し、すかさずそこに企業版「新エルサレム」をうちたてることにほかならなかった。・・・』(上巻、P-10)(この辺の事情は堤未果著『ルポ・貧困大陸アメリカ』の第2章にもわかりやすく記述されている。)
日本でも、2011年3月11日の『東日本大震災』の直後同じようなことがあった。あの時、宮城県知事が、早期の復興をめざすという口実で『漁業特区を儲け、沿岸の漁業権を民間に売り渡す』ような発言をしたのを、腹立たしく聴いたのを思い起こす。
第一部の二つの章は、『惨事便乗型資本主義』の基礎となる《2つのショック療法の生い立ち》についての解説に当てられている。
第1章は、本のタイトルの『ショック・ドクトリン』が表す同じショック療法でも、経済学の話ではない。第2章の経済上の《ショック療法》=《惨事便乗型資本主義》とワンセットになり、人に与え得る《ショック》が社会にも同様の効果を与え、《略奪的資本主義》がいかに実効的に展開できるか、その着想的ヒントを精神医学上のショック療法に求めたが、その根拠となる医学上のショックに関しての記述である。
精神医学上の《ショック》の研究といっても、それは『人間の資質向上』や『人類の幸福度』を向上させるといったまともな理論というより、《人体実験》と称して、いかに人間破戒を《合理的》にするか、どちらかというと《より効果的な拷問方法》を開発する研究ともいえる内容のものである。
9・11以降、アメリカはイスラムといえばテロ・過激派組織と短絡的に結び付け、法的手続き抜きに拉致しては拷問するという人道上絶対に許されない蛮行を世界各地で行なっている。
2004年にイギリスの報道機関によって明らかにされた『アブグレイブ刑務所』での残虐行為は世界に衝撃を与えたが、そうした拷問を効果的に行なうマニュアルづくりの根拠を与えたのが、この章の《基礎研究》である。『アブグレイブ』に限らず、CIAを筆頭にあらゆる謀略組織がこの《研究成果の恩恵》に授かっているのだ。
第2章は、ミルトン・フリードマンの《シカゴ学派》の展開する理論の確認とそれを政策として持ち込む際の《経済的ショック》の探求である。
第1章で登場したキャメロン博士とフリードマンの共通のポイントは、人でも経済でも『歪んだ状態にある』ものを『「堕落以前」の状態に戻すことのできる唯一の道は、意図的に激しいショックを与えることだと考えていた。』ということだ。
『・・・キャメロンがショックを与えるのに電気を使ったのに対し、フリードマンが用いた手段は政策だった。』(上巻、P-68)という違いはあるが。
フリードマンの経済政策は『ニューディール政策はあらゆる面で失敗だった。』という言葉に象徴されるように、ケインズの保護政策主義に対置するものである。要約すると次のようになる。
『第一に、各国政府は・・・規則や規制を全て撤廃しなければならない。』(TPPの中身を見よ!)
『第二に、政府が所有する資産で企業が利益を上げられるものは全て民間に売却しなければならない。』
『第三に、公的プログラムにあてる予算は大幅に削減しなければならない。』
『この規制緩和、民営化、社会支出削減の三つの柱・・』である。(上巻、P-78)
まさに、日本においても《小泉改革=新自由主義路線》が実行してきた見本がここにある。
小泉が手本にした『フリードマンの見解は、その本質からして規制のない大規模な新市場を渇望する大手多国籍企業の利害にぴったり一致』するものなのだ。
以下、日本に限らず世界中で-1953年のイランから始まり、ラテンアメリカ、キューバと-この《シカゴ学派》の理論が大暴れするが、チリの例は正直驚いた。『アジェンデの民主革命』の背後に、こんな企みがあったとは!
ブラジルとインドネシアでの悪行の限りもきわまりない。
歴史の事実を知ると言うことがどんなに大切かを痛感する。
この本を読んで、やっぱり分からない点が1つ残る。これだけひどい内容の理論を、どうして1つの《有力な理論》として受け入れられたか、いかに《学問的に認知》されたか、もっと端的にいえば《どうしてこんなひどい理論が世間許され、まかり通ってているのか》という事である。
第3章以降は、《シカゴ学派》の理論で武装された部隊が、各国でのどんな猛威をふるい、略奪、犯罪を犯したかの具体例の記述である。
〈上巻 目次〉
序章 ブランク・イズ・ビューティフル
--30年にわたる消去作業と世界の改革--
第一部 ふたりのショック博士--研究と開発
第1章 ショック博士の拷問実験室
--ユーイン・キャメロン、CIA、
そして人間の心を消去し、作り変えための狂気じみた探求--
第2章 もう一人のショック博士
--ミルトン・フリ-ドマンと自由放任実験室の探求--
第二部 最初の実験--産みの苦しみ
第3章 ショック状態に投げ込まれた国々
--流血の反革命
第4章 徹底的な浄化
--効果を上げる国家テロ
第5章「まったく無関係」
--罪を逃れたイデオローグたち--
第三部 民主主義を生き延びる--法律で作られた爆弾
第6章 戦争に救われた鉄の女
--サッチャリズムに役立った敵たち--
第7章 新しいショック博士
--独裁政権に取って代わった経済戦争--
第8章 危機こそ絶好のチャンス
--パッケージ化されるショック療法--
第四部 ロスト・イン・トランジション
--移行期の混乱に乗じて--
第9章 「歴史は終わった」のか?
--ポーランドの危機、中国の虐殺--
第10章 鎖につながれた民主主義の誕生
--南アフリカの束縛された自由--
第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火
--「ピノチェト・オプション」を選択したロシア--
(以上)
と、なっている。
1巻が700ページ近くに及ぶボリュームで、読みこなすのも大変だが、内容に圧倒される。
本全体の内容は、一口で言えば、ミルトン・フリ-ドマンがその頭目であり、徹底した規制撤廃・市場原理至上主義・極端なまでの民営化を主張する『シカゴ学派』の経済理論の正体を暴くものである。
この経済理論がいかに世界で猛威をふるうようになったか、『序章』で端的に描かれている。
その新自由主義経済学が展開する政策は、世界各地でその牙をむきだし、その国の社会・経済を破壊しつくし、その後に多国籍企業が政府に代わり全てを奪い、暴利をむさぼりつくしているが、最初からこんなでたらめな理論が世間に通用するはずがなかった。
その《理論》がいかに、資本主義の支配層、当時の為政者に取り込まれていったか、それが問題である。
『壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為』を著者は『惨事便乗型資本主義』と呼んで、そのすざましいまでの具体的な手口と実態を、以下の章で、それぞれの国ごとに刻銘に描いていが、上記の疑問への回答はこうである。
『要するに、フリードマンの経済モデルは民主主義政権下でもある程度は強行できるが、そのビジョンを全面展開するには独裁主義的状況が必要なのだ。70年代のチリ、80年代の中国、90年代のロシア、そして2001年9月11日以降のアメリカのように、・・・おおきな精神的打撃を国民に与え、それによって民主的手続きを一時的あるいは全面的に停止する必要があった。』(上巻、P-13)
具体例として『序章』で描かれたのは、ハリケーン・カトリーナが襲った直後のニューオリンズで起きたことである。
『「復興」という名で呼ばれた作業とは、つまるところ災害の後片づけと称して公共施設やその地域に根づいた地域社会を一掃し、すかさずそこに企業版「新エルサレム」をうちたてることにほかならなかった。・・・』(上巻、P-10)(この辺の事情は堤未果著『ルポ・貧困大陸アメリカ』の第2章にもわかりやすく記述されている。)
日本でも、2011年3月11日の『東日本大震災』の直後同じようなことがあった。あの時、宮城県知事が、早期の復興をめざすという口実で『漁業特区を儲け、沿岸の漁業権を民間に売り渡す』ような発言をしたのを、腹立たしく聴いたのを思い起こす。
第一部の二つの章は、『惨事便乗型資本主義』の基礎となる《2つのショック療法の生い立ち》についての解説に当てられている。
第1章は、本のタイトルの『ショック・ドクトリン』が表す同じショック療法でも、経済学の話ではない。第2章の経済上の《ショック療法》=《惨事便乗型資本主義》とワンセットになり、人に与え得る《ショック》が社会にも同様の効果を与え、《略奪的資本主義》がいかに実効的に展開できるか、その着想的ヒントを精神医学上のショック療法に求めたが、その根拠となる医学上のショックに関しての記述である。
精神医学上の《ショック》の研究といっても、それは『人間の資質向上』や『人類の幸福度』を向上させるといったまともな理論というより、《人体実験》と称して、いかに人間破戒を《合理的》にするか、どちらかというと《より効果的な拷問方法》を開発する研究ともいえる内容のものである。
9・11以降、アメリカはイスラムといえばテロ・過激派組織と短絡的に結び付け、法的手続き抜きに拉致しては拷問するという人道上絶対に許されない蛮行を世界各地で行なっている。
2004年にイギリスの報道機関によって明らかにされた『アブグレイブ刑務所』での残虐行為は世界に衝撃を与えたが、そうした拷問を効果的に行なうマニュアルづくりの根拠を与えたのが、この章の《基礎研究》である。『アブグレイブ』に限らず、CIAを筆頭にあらゆる謀略組織がこの《研究成果の恩恵》に授かっているのだ。
第2章は、ミルトン・フリードマンの《シカゴ学派》の展開する理論の確認とそれを政策として持ち込む際の《経済的ショック》の探求である。
第1章で登場したキャメロン博士とフリードマンの共通のポイントは、人でも経済でも『歪んだ状態にある』ものを『「堕落以前」の状態に戻すことのできる唯一の道は、意図的に激しいショックを与えることだと考えていた。』ということだ。
『・・・キャメロンがショックを与えるのに電気を使ったのに対し、フリードマンが用いた手段は政策だった。』(上巻、P-68)という違いはあるが。
フリードマンの経済政策は『ニューディール政策はあらゆる面で失敗だった。』という言葉に象徴されるように、ケインズの保護政策主義に対置するものである。要約すると次のようになる。
『第一に、各国政府は・・・規則や規制を全て撤廃しなければならない。』(TPPの中身を見よ!)
『第二に、政府が所有する資産で企業が利益を上げられるものは全て民間に売却しなければならない。』
『第三に、公的プログラムにあてる予算は大幅に削減しなければならない。』
『この規制緩和、民営化、社会支出削減の三つの柱・・』である。(上巻、P-78)
まさに、日本においても《小泉改革=新自由主義路線》が実行してきた見本がここにある。
小泉が手本にした『フリードマンの見解は、その本質からして規制のない大規模な新市場を渇望する大手多国籍企業の利害にぴったり一致』するものなのだ。
以下、日本に限らず世界中で-1953年のイランから始まり、ラテンアメリカ、キューバと-この《シカゴ学派》の理論が大暴れするが、チリの例は正直驚いた。『アジェンデの民主革命』の背後に、こんな企みがあったとは!
ブラジルとインドネシアでの悪行の限りもきわまりない。
歴史の事実を知ると言うことがどんなに大切かを痛感する。
この本を読んで、やっぱり分からない点が1つ残る。これだけひどい内容の理論を、どうして1つの《有力な理論》として受け入れられたか、いかに《学問的に認知》されたか、もっと端的にいえば《どうしてこんなひどい理論が世間許され、まかり通ってているのか》という事である。
第3章以降は、《シカゴ学派》の理論で武装された部隊が、各国でのどんな猛威をふるい、略奪、犯罪を犯したかの具体例の記述である。