【 2019年11月19日 】 京都シネマ
前に見た映画『新聞記者』は、事実に基づいて作られた映画=フィクションだったが、今度のは本物の当事者が登場する本当のドキュメンタリー映像である。同じような問題・事件を題材にしたものだから、同じようなものを2度観るのは止めておこうと思ったが、見てみたら、迫力も説得力も、以前のものとはまるで違う、これぞノンフィクション・ドキュメンタリーの迫力だった。文書や伝聞知識と違って、映像が直接訴えるものというのはすごい力があると改めて感じた。多くの人が見るべき映像である。
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望月さんが追及して、このドキュメントタリーで取り上げた主な事件には、次のようなものがあった。
辺野古の埋め立て問題では、サンゴの海を汚す「赤土」使用割合のことを取り上げていた。辺野古が普天間の代替か、あるいは安保条約が背後にあるのかという問題を仮に棚上げしたとしても、誰が見ても手続き上どう見てもおかしい状況を、政府は「知らぬ存ぜぬ」で通そうとしている。
伊藤詩織さんの問題も、以前から言われている通り《めちゃくちゃ》な扱いだ。防犯カメラに[無抵抗の詩織さんが引きずられていく]という動かぬ証拠や、[一般人の多くの具体的な様子の証言のある]ことまで、このドキュメンタを見るまでは知らなかった。それだけのモノが揃っているのに、空港での逮捕直前に黒幕の手によってそれが急遽取り消されている。容疑者が山口何某という安倍首相を祭り上げる人物だったという事しか、その理由は考えられない。
森友問題の籠池夫婦の場合は滑稽である。そう言ったら失礼かもしれないが、おかしな夫婦である。理事長である籠池氏の教育理念にも同調できないし、詐欺行為自体も決して許されるものではないが、それ以上の悪人は佐川某や安倍首相とその周辺の官邸側である。自殺者まで出しているのに事実を覆い隠そうとしている。ある意味、籠池夫婦も口封じのための犠牲者だったのであろう。刑務所から出てきた夫婦はこのドキュメンタリーのインタビューでも何のけれんみもなく、特に奥さんの方は可笑しさ満開で対応していた。どこか憎めないところがある。
加計問題では、目先をごまかす形で、『あったものを無いとは言えない』と言って、安倍総理の関与はないという嘘の証言を覆す記者会見をした前川文科相事務次官が狙われた。この経緯は、いざという時のために《内調が動きまわって[負の材料]をあさっている日常の姿》を示すもので、その役割の危険な一端が垣間見られた。前川さんに限らず、日常的にそのようなことが行われ、首相や政権サイドに不利な状況が出た場合、それらの情報を使ってゆすりにかけるのだ。
後に、加計孝太朗と共にこの事件の中心にいた人物が《めでたく》文科相の椅子に座っている。彼は、暴言を吐いたにもかかわらず、今のところ安泰だ。
他に、宮古島の基地建設にかかわる疑惑-保管庫は実は弾薬庫でその横には給油基地があって、しかもそれらは住宅地のすぐそばにある。住民には一切説明なしで工事が強行されたことが明らかになっている。
このように全国を駆け回り取材をし、それを官邸にぶつける。記者として当たり前の仕事をしているだけなのに、官邸からも、あろうことに記者クラブからも、異端視される。
スーパーマン(ウーマン)みたいに縦横無尽に動き回り、巨悪を糾す望月さんも二児の母親だ。取材の時の素振りからはそんなことを全く感じさせないが、映像のごく一部で、子供と電話で会話する場面があった。旦那さんは同じ記者で、家事も支え食事の準備もしてくれるという。ごく普通の家族の姿でありながら、どこからあんなパワーが出てくるのかと思う。
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上にあげた個々の事件も問題だが、このドキュメンタリーはもっと大きな問題も提起している。森監督も言うように、記者が疑惑ー国民にとって分からないこと-を当事者に聞くということは当たり前のことだ、特別視される理由はない。質問制限をされるとか、質問中に妨害をされるとかの話は以前から聞いていたが、実際のやり取りを映像で見ると、あまりのひどさに愕然とする。菅官房長官の《国民をバカに仕切った態度》など1度観れば誰でも怒りを覚えるに違いない。
しかしである。今、仮に現政権が倒れたにしても、記者クラブの体質や、マスコミの状況が変わらなければ《鳩山政権が潰された時のような状況》が再び起こらないとも限らない。望月さんが《特別の存在》でなく、ごく普通の姿となる状況が必要なのだ。マスコミは大資本が支配しているという現状もあって、それが浮き上がって見えてしまうということに、今の日本の大問題がある。望月さんのような存在が多数派になるような社会状況を作っていかなければならないのだ。今回の映像は、そうした力を授けてくれる元気を与えてくれる。
国民の政府・官邸に対する疑惑について当然の質問をする望月記者と、それに対し何も答えない官菅官房長官
今回の映画ほど、【映像の訴える力の大きさ】を感じさせるものはなかった。最高のドキュメンタリーである。
現場でカメラを構える森監督
余計なことかもしれないが、このドキュメンタリー映像の最後で出されたカットに違和感を感じた。ナチス・ドイツの男と関係を持った女性の頭を丸刈りにして街頭で晒し者にした映像だ。このドキュメンタリー作品が訴えようとしたことと、《集団と個》からの問題意識というが、問題の性質が少し違うような気がした。
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