【 「ローマの休日」:コロンナ宮殿 】
【2010年2月20日(土)】 旅行8日目
昨日は、1日かけて、おきまりのローマ市内観光をした。晩は「カンツォーネ・ディナー」で食事とナポリ民謡を楽しんだ。
今日一日は、「自由行動」-フリーの日である。いよいよ、あの「コロンナ宮殿」に行ける日が来た。
ところで、ローマでの自分らの宿泊場所は、ローマ市の郊外で、ガイドブックには載っていない範囲のところで、不便この上なかった。
地下鉄A線で中心部から20分ほど行った、終点の1つ手前の『コルネリア』という駅で降りて、そこから更に20分ほど歩かねばならないところにあった。延べ3日間居たのだが、この距離はすごく負担だった。
それを考えると、訳もわからず、初めてローマに来たときのホテルは、『バルベリーニ駅』で降りたヴェネト通りの近くの、ホテル『サヴォイ』で、『スペイン広場』にも『骸骨寺』にも歩いていける距離で、ホテル『エデン』のすぐ近くにある恵まれた環境の所だった。
滞在型で観光をするには、設備や格式はおいといても、ともかく市内の中心部で駅に近い方が良い。
その日は、遅めの8時半に朝食を済ませ、9時前にホテルを出発。
例の長い道のりを地下鉄の駅まで歩く。売店で1日券を2枚買い市の中心部に向かう。乗車券は日時を一度刻印してしまうと、それ以降は機会的な処理も何もせず誰もいない改札口を通り過ぎる。最初の刻印の時も日本の地下鉄のような開閉する“バー”も“センサー”などもなく、横に刻印機が置いてあるだけだから、素通りしようと思えばできる。1日券も3日券も無賃乗車も何も関係ない。「皆。ちゃんと乗車券をもっているのだろうか。」と首をかしげたくなる。
『バルベリーニ駅』で下車する。昨日、降りて方向を間違え、道に迷ったところだ。以前、滞在したところで多少“土地勘”があると思っていたのが間違いだった。
今度は、じっくり地図で方向を確認し「クワトロ・フォンターネ通り」に入る。坂を登ってしばらく行くと、以前と同じように『バルベリーニ宮』の門があった。
【同じようにあったバルベリーニ宮の門】
イタリアに来る前、『ローマの休日』で確認しておいた、アン王女が24時間の逃避行の後、記者と別れて走り込んだ、あの門だ。しばし門から中を眺める。
気持ちは『コロンナ宮殿』にあるので、先を急ごうと思ったが、以前は(確か)入れなかったが今回はオープンしているので入ることにする。
受付を通り過ぎ、2階に上がり、ふと展示室の1枚の絵を見てびっくりした。
『ベアトリーチェ・チェンチ』ではないか。
【ベアトリーチェ・チェンチ】
それは、北側に開いた窓の横の柱状の壁の高い位置に、何気なく展示されていた。見た瞬間、電撃が走った。
「えっ、ここに『ベアトリーチェ・チェンチ』が!」
『怖い絵』シリーズで『ベアトリチェ・チェンチ』を知ったのは、数ヶ月前。こういう絵の見方もあるのか、と著者の意図に釣られるように3巻とも読んだが、日常の合間の休息室という感じで、絵を追いかけて旅をするという余裕もなかった。ただひたすら、『ローマの休日』の後を追って、前回のローマの記憶を取り戻すことが1つの大きな目的だった。他の観光地はついでの『おまけ』だった。
びっくりしたと同時に、思わぬ収穫に、「やった!」と思った。
【ヘンリー8世-ホルバイン】
収穫はそれだけではなかった。ホルバインの『ヘンリー8世』もあるではないか。同じ作者で構図も衣装も瓜二つの『怖い絵』に載っていたもの(『ビーバー城美術館』蔵)と多少違うが、2つを並べてみないと同じものと錯覚する。
『怖い絵』には無かったが、ラファエロの『裸婦』もあった。
【裸婦-ラファエロ】
【フォロフェルネスの首を斬るユーディット-カラバッジョ】
それともうひとつ、下の「カラバッジョ」の作品だ。これはその時近くの会場で『カラバッジョ展』が開かれており、そちらに出張していたが、本来展示してある場所に小さな案内の写真があった。
後で、「クイリナーレ宮」の横を通った時、大勢の人が列をなしていたのを何の人出だろうと思っていたが、上から下がる大きな垂れ幕を見たら、『カラバッジョ展』の会場に入りきれず待っている人の列とわかった。
それで、その小さな掲示案内の意味も後からわかった。
『フォロフェネスの首を斬るユーディット』に関していえば、私も中野京子と同様、『怖い絵』にある「ジェンテレスキ」の作品の方が迫力と真実感があっていいと思う。
【今は「国立美術館」になっている宮殿の窓から】
思わぬ贈り物を堪能したあと、階上に行き窓の外を見る。
-アン王女はどのあたりから夜のローマのざわめきを聴いたのだろうか。
【宮殿の建物の最上階にあるトイレ】
トイレはどこにあるのかと探したら最上階にある。そのためにだけあるような、こじんまりとした清潔な空間だった。それと、西洋の建物は全て石作りと思っていた先入観に、木の梁がが印象的だった。
トイレを借りた後、時計を見て先を急ぐ。
4つの噴水のある角を右に回り、大統領官邸となっている「クイリナーレ宮」に沿って急ぎ足で「コロンナ宮」を目指す。
【大統領官邸横の衛視-洒落ている】
しばらく進むと、門の前で洒落たスタイルの衛視がひとり。スナップを撮る。
クイリナーレ広場の前を通る。この広場で、3時から『衛兵の交代式』があるという。時間があったら来てみようと思う。
と、先ほど話した『カラバッジョ展』の入場を待つ人の長い列に出くわす。入ってみたい誘惑に駆られたが、今は『コロンナ宮』だ。
【「カラバッジョ展」に並ぶ人の列 】
『コロンナ宮」が近づくにつれて気持ちが高鳴る。坂を下りていきナポリ広場の手前の路地を入り、階段を下りて右に曲がると『コロンナ宮殿』が見える。
こじんまりした入口を入る。受付のおばさんに入場料を払い、そんなに広くない階段を2階に上がっていく。階段の壁にも踊場の壁にも沢山の絵が所狭しと掛けられている。
【コロンナ宮殿広間への入口で】
もしかしたら「写真を撮ってはいけないのか」と思いつつ、シャッターを切る。
開いたとの向こうに大きな空間が広がっている。中を覗くと、かの宮殿のあの大広間だ。おそるおそる中に入る。気のよさそうな監視員のおじさんがすぐそこに立っていた。
「写真を撮っても良いですか?」と片言の英語でしゃべると、
「大変申し訳ないが、ダメです。」と笑顔をまじえ丁重に答えてくれる。ちょっとがっかりした。しかたがないので、脳裏に焼き付けることにする。
入っていった場所は、下の写真でいうと、王女の座っている左後方だ。つまり、王女らが会見のために入場してきた入口と同じということになる。
ここで、あの最後のシーンが撮られたんだ。とうとう来てしまった。
映画のシーンを思い起こす。今立っている場所の向こうに、ブラッドレーをはじめとする記者たちが列席している。
そして、高いところから記者たちの数段低いフロアに王女が降りていく。
その大理石の階段を見たら、5段ほどあるまん中くらいのステップの中央部分が数センチ欠けていた。自然に壊れたような傷跡でなく、ハンマーの様なもので敲かなければできない傷だ。誰が傷つけたんだろう。痛々しく映った。
宮殿内を撮影してはいけないことは聴いた。しかも数人いる監視員がひっきりなしにホール内を移動して監視の目を光らせている。しかし、どうしてもここに来た証を撮っておきたい衝動は押さえられない。一瞬の監視の隙間をねらって腰に構えたカメラのシャッターを押す。やはりぶれていたが、貴重な1枚だ。
【「コロンナ宮殿」の内部】
会見を終え、余韻を残し広間を後にする方向は、行き止まりだ。右の曲がって部屋がつづいている。その1つの部屋からちょうど宮殿の外側が見られた。外側は思ったより平凡だ。
【宮殿の外観-外側はあっさりしたもの】
宮殿の大広間にもう一度戻り(戻らないと入口は1つだから、出られない)、更に一往復して『コロンナ宮』を後にする。
気持ちは『ブラッドレー』だ。
何か大仕事をしたというか、終わったという感じだった。
お腹が空いた。それにトイレにも行きたい。腹は多少、我慢できるがトイレは限界がある。海外旅行に来て、個人で移動するとき、一番気にしないと行けないのはトイレだ。日本はその点恵まれていると思う。日本ほどトイレの整備されている国はないと思う。しかも無料で。
『コロンナ宮』の近くの広場にある店で昼食とする。メニューはピザとスパゲティーとサラダ、それにビールとグラス・ワイン。それぞれ一品ずつ頼んで、ふたりでつつく。
【昼食メニューのパスタ】
【サラダと大皿に載った大きなピッザ】
【つづく】
「書籍『怖い絵』のブログ記事」-へ、ジャンプ
「映画『ローマの休日』のブログ記事」-へ、ジャンプ
『南イタリア旅行記・その10』-へジャンプ
【2010年2月20日(土)】 旅行8日目
昨日は、1日かけて、おきまりのローマ市内観光をした。晩は「カンツォーネ・ディナー」で食事とナポリ民謡を楽しんだ。
今日一日は、「自由行動」-フリーの日である。いよいよ、あの「コロンナ宮殿」に行ける日が来た。
ところで、ローマでの自分らの宿泊場所は、ローマ市の郊外で、ガイドブックには載っていない範囲のところで、不便この上なかった。
地下鉄A線で中心部から20分ほど行った、終点の1つ手前の『コルネリア』という駅で降りて、そこから更に20分ほど歩かねばならないところにあった。延べ3日間居たのだが、この距離はすごく負担だった。
それを考えると、訳もわからず、初めてローマに来たときのホテルは、『バルベリーニ駅』で降りたヴェネト通りの近くの、ホテル『サヴォイ』で、『スペイン広場』にも『骸骨寺』にも歩いていける距離で、ホテル『エデン』のすぐ近くにある恵まれた環境の所だった。
滞在型で観光をするには、設備や格式はおいといても、ともかく市内の中心部で駅に近い方が良い。
その日は、遅めの8時半に朝食を済ませ、9時前にホテルを出発。
例の長い道のりを地下鉄の駅まで歩く。売店で1日券を2枚買い市の中心部に向かう。乗車券は日時を一度刻印してしまうと、それ以降は機会的な処理も何もせず誰もいない改札口を通り過ぎる。最初の刻印の時も日本の地下鉄のような開閉する“バー”も“センサー”などもなく、横に刻印機が置いてあるだけだから、素通りしようと思えばできる。1日券も3日券も無賃乗車も何も関係ない。「皆。ちゃんと乗車券をもっているのだろうか。」と首をかしげたくなる。
『バルベリーニ駅』で下車する。昨日、降りて方向を間違え、道に迷ったところだ。以前、滞在したところで多少“土地勘”があると思っていたのが間違いだった。
今度は、じっくり地図で方向を確認し「クワトロ・フォンターネ通り」に入る。坂を登ってしばらく行くと、以前と同じように『バルベリーニ宮』の門があった。
【同じようにあったバルベリーニ宮の門】
イタリアに来る前、『ローマの休日』で確認しておいた、アン王女が24時間の逃避行の後、記者と別れて走り込んだ、あの門だ。しばし門から中を眺める。
気持ちは『コロンナ宮殿』にあるので、先を急ごうと思ったが、以前は(確か)入れなかったが今回はオープンしているので入ることにする。
受付を通り過ぎ、2階に上がり、ふと展示室の1枚の絵を見てびっくりした。
『ベアトリーチェ・チェンチ』ではないか。
【ベアトリーチェ・チェンチ】
それは、北側に開いた窓の横の柱状の壁の高い位置に、何気なく展示されていた。見た瞬間、電撃が走った。
「えっ、ここに『ベアトリーチェ・チェンチ』が!」
『怖い絵』シリーズで『ベアトリチェ・チェンチ』を知ったのは、数ヶ月前。こういう絵の見方もあるのか、と著者の意図に釣られるように3巻とも読んだが、日常の合間の休息室という感じで、絵を追いかけて旅をするという余裕もなかった。ただひたすら、『ローマの休日』の後を追って、前回のローマの記憶を取り戻すことが1つの大きな目的だった。他の観光地はついでの『おまけ』だった。
びっくりしたと同時に、思わぬ収穫に、「やった!」と思った。
【ヘンリー8世-ホルバイン】
収穫はそれだけではなかった。ホルバインの『ヘンリー8世』もあるではないか。同じ作者で構図も衣装も瓜二つの『怖い絵』に載っていたもの(『ビーバー城美術館』蔵)と多少違うが、2つを並べてみないと同じものと錯覚する。
『怖い絵』には無かったが、ラファエロの『裸婦』もあった。
【裸婦-ラファエロ】
【フォロフェルネスの首を斬るユーディット-カラバッジョ】
それともうひとつ、下の「カラバッジョ」の作品だ。これはその時近くの会場で『カラバッジョ展』が開かれており、そちらに出張していたが、本来展示してある場所に小さな案内の写真があった。
後で、「クイリナーレ宮」の横を通った時、大勢の人が列をなしていたのを何の人出だろうと思っていたが、上から下がる大きな垂れ幕を見たら、『カラバッジョ展』の会場に入りきれず待っている人の列とわかった。
それで、その小さな掲示案内の意味も後からわかった。
『フォロフェネスの首を斬るユーディット』に関していえば、私も中野京子と同様、『怖い絵』にある「ジェンテレスキ」の作品の方が迫力と真実感があっていいと思う。
【今は「国立美術館」になっている宮殿の窓から】
思わぬ贈り物を堪能したあと、階上に行き窓の外を見る。
-アン王女はどのあたりから夜のローマのざわめきを聴いたのだろうか。
【宮殿の建物の最上階にあるトイレ】
トイレはどこにあるのかと探したら最上階にある。そのためにだけあるような、こじんまりとした清潔な空間だった。それと、西洋の建物は全て石作りと思っていた先入観に、木の梁がが印象的だった。
トイレを借りた後、時計を見て先を急ぐ。
4つの噴水のある角を右に回り、大統領官邸となっている「クイリナーレ宮」に沿って急ぎ足で「コロンナ宮」を目指す。
【大統領官邸横の衛視-洒落ている】
しばらく進むと、門の前で洒落たスタイルの衛視がひとり。スナップを撮る。
クイリナーレ広場の前を通る。この広場で、3時から『衛兵の交代式』があるという。時間があったら来てみようと思う。
と、先ほど話した『カラバッジョ展』の入場を待つ人の長い列に出くわす。入ってみたい誘惑に駆られたが、今は『コロンナ宮』だ。
【「カラバッジョ展」に並ぶ人の列 】
『コロンナ宮」が近づくにつれて気持ちが高鳴る。坂を下りていきナポリ広場の手前の路地を入り、階段を下りて右に曲がると『コロンナ宮殿』が見える。
こじんまりした入口を入る。受付のおばさんに入場料を払い、そんなに広くない階段を2階に上がっていく。階段の壁にも踊場の壁にも沢山の絵が所狭しと掛けられている。
【コロンナ宮殿広間への入口で】
もしかしたら「写真を撮ってはいけないのか」と思いつつ、シャッターを切る。
開いたとの向こうに大きな空間が広がっている。中を覗くと、かの宮殿のあの大広間だ。おそるおそる中に入る。気のよさそうな監視員のおじさんがすぐそこに立っていた。
「写真を撮っても良いですか?」と片言の英語でしゃべると、
「大変申し訳ないが、ダメです。」と笑顔をまじえ丁重に答えてくれる。ちょっとがっかりした。しかたがないので、脳裏に焼き付けることにする。
入っていった場所は、下の写真でいうと、王女の座っている左後方だ。つまり、王女らが会見のために入場してきた入口と同じということになる。
ここで、あの最後のシーンが撮られたんだ。とうとう来てしまった。
映画のシーンを思い起こす。今立っている場所の向こうに、ブラッドレーをはじめとする記者たちが列席している。
そして、高いところから記者たちの数段低いフロアに王女が降りていく。
その大理石の階段を見たら、5段ほどあるまん中くらいのステップの中央部分が数センチ欠けていた。自然に壊れたような傷跡でなく、ハンマーの様なもので敲かなければできない傷だ。誰が傷つけたんだろう。痛々しく映った。
宮殿内を撮影してはいけないことは聴いた。しかも数人いる監視員がひっきりなしにホール内を移動して監視の目を光らせている。しかし、どうしてもここに来た証を撮っておきたい衝動は押さえられない。一瞬の監視の隙間をねらって腰に構えたカメラのシャッターを押す。やはりぶれていたが、貴重な1枚だ。
【「コロンナ宮殿」の内部】
会見を終え、余韻を残し広間を後にする方向は、行き止まりだ。右の曲がって部屋がつづいている。その1つの部屋からちょうど宮殿の外側が見られた。外側は思ったより平凡だ。
【宮殿の外観-外側はあっさりしたもの】
宮殿の大広間にもう一度戻り(戻らないと入口は1つだから、出られない)、更に一往復して『コロンナ宮』を後にする。
気持ちは『ブラッドレー』だ。
何か大仕事をしたというか、終わったという感じだった。
お腹が空いた。それにトイレにも行きたい。腹は多少、我慢できるがトイレは限界がある。海外旅行に来て、個人で移動するとき、一番気にしないと行けないのはトイレだ。日本はその点恵まれていると思う。日本ほどトイレの整備されている国はないと思う。しかも無料で。
『コロンナ宮』の近くの広場にある店で昼食とする。メニューはピザとスパゲティーとサラダ、それにビールとグラス・ワイン。それぞれ一品ずつ頼んで、ふたりでつつく。
【昼食メニューのパスタ】
【サラダと大皿に載った大きなピッザ】
【つづく】
「書籍『怖い絵』のブログ記事」-へ、ジャンプ
「映画『ローマの休日』のブログ記事」-へ、ジャンプ
『南イタリア旅行記・その10』-へジャンプ
さすがローマ パスタ美味しそうですね