【 2016年9月4日 】 TOHOシネマズ二条、
人生は1度しかない。
人は欲望が深いから、【永遠不滅の生命】を手に入れようとか、【生まれ変わってもう一度人生を楽しむ】ことを考える。
仮に、【生まれ変わった】としても、『今ここにいる自分の記憶』が引き継がれなければ、【2度目の人生】という実感がない。どうやったら【2度の人生を生きる】ことができるか考える。
『《来世に今の記憶を持ち越せたら》《未来永劫に生きられたら》どんなだろう。』と思う。
1つの考えは、この映画のように、《別の人間の肉体に、記憶や能力の情報だけを移動させる》という方法である。要するに、《魂の居所を乗り換える》ということである。しかしこれは、どうやって【その新しい宿主】を確保するかという大問題がある。
《体全部を乗り替える》のでなく、一部の機能のみを移植することなら【臓器移植】という方法は現在も進められているし、また、生体ではなく、義足や義手の機械装置やそれを極限まで推し進めて「サイボーグ」ということもありうる。
映画は、そんな《期待》を含めて、『すばらしい能力を持った人間の【脳に蓄積された優秀な機能と能力、知恵と記憶】を、新しい若く健康な肉体に全部《移送》してしまうという技術を実現したら』どうなるかという話である。
別の《生の肉体》をどう準備するかが、この映画のネックになっている。「クローン」で準備するというが・・・。
でも、少し考えてみれば分かることではあるが、一部の記憶だけはともかく、知能・能力を《移植》するなど土台無理な話だ。下のような《転送装置》で【1つの個体から《情報》だけを抜き取って《空の肉体》に「全能力」を転送するなどという発想は、もう漫画の世界である。
【拒絶反応を抑えるため、錠剤を服用する】なんて笑えてしまう。しかも、その管理が、《施術》を実行した組織=1個人に握られているとしたら、その後の《人生》は何のために、誰のためにかわからなくなってしまう。もうここまで来ると、3流のSFの世界だ。
まあ娯楽映画だと割り切ってみたら、「前世の一部の記憶が残っていたり」して、元妻とその子供を救うサスペンス映画として楽しめないこともないのだが。
直近に読んだ『ビッグデータと人工知能』への思い入れがあって、【どんなんかなあ...】と思い、見てはみたものの、やはり科学的視点からはちょっとお粗末でした。
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人の歴史は記録で残され引き継がれる。その人の記憶は、その人が外部に残した足跡で、人々に語り継がれ、個の人生を越えて残される。
【永遠の人生】は不要である。
『セルフレス/覚醒した記憶』-公式サイト