【 モロ要塞からのハバナ旧市街 】
【2018年3月22日(木)】 以降、時刻は全てキューバ時間。移動はツアーバス。
9:20ホテル発-9:30革命広場-10:30へミンウェイ博物館-11:40コヒマルのバー・レストランでカクテルを飲む-コヒマル海岸
散策-12:15昼食会場に行くも入れず-12:40急遽予定を変更して「モロ要塞」へ-(モロ要塞見学)-13:15第一ゲバラ邸へ(見学)
-14:15レストランに戻り昼食-(以下後半)
キューバの通貨は《キューバペソ》である。それが《地元住民用》のもの《CUP:人民ペソ》と《外国旅行者用》のもの《CUC:兌換ペソ》の2重通貨になっていて、1CUC=24CUP(逆は25CUP→1CUPらしい)そして1CUC=約100円だそうな。
つまり、外国旅行者からはたくさんのお金を取って地元民はその25分の1の価格でものが買えるわけだ。それでも平均的な国家公務員の給与が月5千円くらいというから、それでバランスが取れているのかもしれない。そもそもの為替レートが現実を反映していないのだ。
両替は現地でした方がいいと聞いていたので早速、ホテル内に朝だけ臨時に開設される両替所で出発前に換金する。
バスはデラックスな大型のもので、一人でゆうに2座席確保できる。バスも運転手も、現地ガイドもキューバ国内移動中、ずっと同じだった。
【 内務省ビルのゲバラ像 】 【 隣り合う情報通信省のカミーロ像 】
【 ホセ・マルティーの記念塔 】
まず最初に向かったのは『革命広場』。バスの窓から遠くに「あれは何だろう」と思う高い塔が見えたが、それが『ホセ・マルティ』の記念塔だった。キューバに着くまでそんな名前は知らなかった。中国でもどこの国でもいきなり社会主義革命は起きない。その下地となる《民主主義的な改革運動》があるものである。思うに、「ホセ・マルティ」は中国でいえば革命の父「孫文」みたいな存在だ。この後、あちこちでその姿に出会うことになる。
ゲバラ像の内務省とカミーロ像の情報通信省の2つのビルに向かい合うようにホセ・マルティー記念塔が聳えており、その間が何十万任も集まれるという「革命広場」になっている。その周囲には他の国家関連の建物が並ぶ、言わば国の中心といえる場所だ。
109mある塔の頂上階にも登れるそうだが、何せ「ツアー」だから自由が利かない。上からの景色を見てみたかったが時間の関係で、その下にある「ホセ・マルティ記念館」にも入れなかった。
次に向かったのは、郊外の「ヘミングウェイ」博物館。カストロ首相とも親交がありキューバを愛したヘミングウェイが別荘として建てた広い敷地が、その後キューバに寄贈され博物館になったという。
【 ヘミングウェイ博物館の敷地から 】
「老人と海」の舞台となったコヒマル漁港にはこの後向かうことになる。
【 どこでもクラッシクカーが 】
バスはコヒマル海岸近くのバーの前に泊まる。昼食の前に「パパ・ヘミングウェイ」と呼ばれるダイキリ・カクテルを飲ませてくれるそうである。混雑した店内を入ると、いきなりバンドの演奏が迎えてくれる。
『Chan Chan』-ユーチューブの演奏画面
飲み物をほったらかして演奏に聞き入る。みな屈託なく愛想がいい。1つ演奏が終わったところで「ブエナ・ビスタ・・」と声をかけリクエストすると、迷いもなく早速『Chan Chan』の演奏を始めてくれる。
もうすっかり感激してしまった。メンバーの一人の若い黒人がCDを買ってくれるよう行ってきたが断ってしまった。かつて同じように購入して再生できなかったことをが浮かんだのだが、買えばよかったと旅行の最終日に後悔した。その後も同じようなバンドに何度もであったが「Chan Chan」を即座に演奏してくれたのは彼らだけだったから。
【 ヘミングウェイの指定席 】 【 釣友達の フィデロとヘミングウェイ 】
【 車椅子の親を介護しながらの演奏 】
【 コヒマル海岸にある小さな要塞 】 【 ヘミングウェイのモニュメント 】
先ほどカクテルを飲んだ近くのレストランに戻りランチタイムと思ったら、何かの手違いで入れない。
昼食はお預け。出直すことにして、食堂の席が空く時間を待って、モロ要塞方面に向かう。
ハバナの旧市街の対岸にあたるモロ要塞は広大だ。いくつもの大砲が湾をにらんでいる。
中は思った以上に広く、教会まである。
ついでに近くの「第一ゲバラ邸」にも向かう。
【 タマラの写真 】
敷地・建物は、ヘミングウェイの別荘に比べたら慎ましやかなもので、決して広くはない。中には当時の沢山の写真が飾られていて、昨年訪れたカウナスの「杉原千畝の領事館」を思い出す。
もう、昼もだいぶ過ぎて2時が近づいている。お腹もすいた。先ほど来た道をコヒマルまで戻る。
【 ようやく昼食にありつける 】
『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』-公式サイト
『キューバ訪問記』-連載1に戻る
『キューバ訪問記(その3)』へジャンプ
【2018年3月22日(木)】 以降、時刻は全てキューバ時間。移動はツアーバス。
9:20ホテル発-9:30革命広場-10:30へミンウェイ博物館-11:40コヒマルのバー・レストランでカクテルを飲む-コヒマル海岸
散策-12:15昼食会場に行くも入れず-12:40急遽予定を変更して「モロ要塞」へ-(モロ要塞見学)-13:15第一ゲバラ邸へ(見学)
-14:15レストランに戻り昼食-(以下後半)
キューバの通貨は《キューバペソ》である。それが《地元住民用》のもの《CUP:人民ペソ》と《外国旅行者用》のもの《CUC:兌換ペソ》の2重通貨になっていて、1CUC=24CUP(逆は25CUP→1CUPらしい)そして1CUC=約100円だそうな。
つまり、外国旅行者からはたくさんのお金を取って地元民はその25分の1の価格でものが買えるわけだ。それでも平均的な国家公務員の給与が月5千円くらいというから、それでバランスが取れているのかもしれない。そもそもの為替レートが現実を反映していないのだ。
両替は現地でした方がいいと聞いていたので早速、ホテル内に朝だけ臨時に開設される両替所で出発前に換金する。
バスはデラックスな大型のもので、一人でゆうに2座席確保できる。バスも運転手も、現地ガイドもキューバ国内移動中、ずっと同じだった。
【 内務省ビルのゲバラ像 】 【 隣り合う情報通信省のカミーロ像 】
【 ホセ・マルティーの記念塔 】
まず最初に向かったのは『革命広場』。バスの窓から遠くに「あれは何だろう」と思う高い塔が見えたが、それが『ホセ・マルティ』の記念塔だった。キューバに着くまでそんな名前は知らなかった。中国でもどこの国でもいきなり社会主義革命は起きない。その下地となる《民主主義的な改革運動》があるものである。思うに、「ホセ・マルティ」は中国でいえば革命の父「孫文」みたいな存在だ。この後、あちこちでその姿に出会うことになる。
ゲバラ像の内務省とカミーロ像の情報通信省の2つのビルに向かい合うようにホセ・マルティー記念塔が聳えており、その間が何十万任も集まれるという「革命広場」になっている。その周囲には他の国家関連の建物が並ぶ、言わば国の中心といえる場所だ。
109mある塔の頂上階にも登れるそうだが、何せ「ツアー」だから自由が利かない。上からの景色を見てみたかったが時間の関係で、その下にある「ホセ・マルティ記念館」にも入れなかった。
次に向かったのは、郊外の「ヘミングウェイ」博物館。カストロ首相とも親交がありキューバを愛したヘミングウェイが別荘として建てた広い敷地が、その後キューバに寄贈され博物館になったという。
【 ヘミングウェイ博物館の敷地から 】
「老人と海」の舞台となったコヒマル漁港にはこの後向かうことになる。
【 どこでもクラッシクカーが 】
バスはコヒマル海岸近くのバーの前に泊まる。昼食の前に「パパ・ヘミングウェイ」と呼ばれるダイキリ・カクテルを飲ませてくれるそうである。混雑した店内を入ると、いきなりバンドの演奏が迎えてくれる。
『Chan Chan』-ユーチューブの演奏画面
飲み物をほったらかして演奏に聞き入る。みな屈託なく愛想がいい。1つ演奏が終わったところで「ブエナ・ビスタ・・」と声をかけリクエストすると、迷いもなく早速『Chan Chan』の演奏を始めてくれる。
もうすっかり感激してしまった。メンバーの一人の若い黒人がCDを買ってくれるよう行ってきたが断ってしまった。かつて同じように購入して再生できなかったことをが浮かんだのだが、買えばよかったと旅行の最終日に後悔した。その後も同じようなバンドに何度もであったが「Chan Chan」を即座に演奏してくれたのは彼らだけだったから。
【 ヘミングウェイの指定席 】 【 釣友達の フィデロとヘミングウェイ 】
【 車椅子の親を介護しながらの演奏 】
【 コヒマル海岸にある小さな要塞 】 【 ヘミングウェイのモニュメント 】
先ほどカクテルを飲んだ近くのレストランに戻りランチタイムと思ったら、何かの手違いで入れない。
昼食はお預け。出直すことにして、食堂の席が空く時間を待って、モロ要塞方面に向かう。
ハバナの旧市街の対岸にあたるモロ要塞は広大だ。いくつもの大砲が湾をにらんでいる。
中は思った以上に広く、教会まである。
ついでに近くの「第一ゲバラ邸」にも向かう。
【 タマラの写真 】
敷地・建物は、ヘミングウェイの別荘に比べたら慎ましやかなもので、決して広くはない。中には当時の沢山の写真が飾られていて、昨年訪れたカウナスの「杉原千畝の領事館」を思い出す。
もう、昼もだいぶ過ぎて2時が近づいている。お腹もすいた。先ほど来た道をコヒマルまで戻る。
【 ようやく昼食にありつける 】
『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』-公式サイト
『キューバ訪問記』-連載1に戻る
『キューバ訪問記(その3)』へジャンプ