【2011年5月26日】 京都シネマ
前作、「サラエボの花」を見たときの衝撃は大きかった。
その前後に合わせてみた映画「ウェルカム・ツー・サラエボ」や「ボスニア」でこの映画の背景となった「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」の実態をある程度知ったが、セルビア、クロアチア、ボスニアの各民族間の宗教上の対立や自治をめぐっての問題点が何回聴いても、ややこしくて理解できない。
1984年の冬季五輪の開催された近代的できれいな街がどうして破壊されるようなことになるのか、宗教上の対立で、高い知性と文化を備えもっているはずの人間がどうしてそこまで野蛮になれるのか、不可解というかショックだった。
「サラエボの花」は紛争の後遺症の残る街で、父親のいない母・エスマと娘・サラの家庭で、14歳になるサラの修学旅行費を工面するため、エスマは夜の仕事にまで行って苦労する母親を娘は理解できない。それどころか学校で問題を起こし、母親は担任に呼び出されるが、母親は病気で来れないとうそをつく。旅行費用の納入期限の迫る中、なかなか工面できない母親をみてサラは、「『殉教者』は旅行費用を免除されるはずなのにどうして、証明書を提出しないのか。」と母親に迫る。クラスメイトも「サラの父親は殉教者名簿には載っていない。」と圧力をかける。
友達から預かった拳銃を、サラから突きつけられたエスマは、とうとう言ってはならない真実を打ち明けてしまう。
今回のテーマは、アルコール中毒で苦悩するボーイフレンドとの宗教上の葛藤と彼からの自立を決意する女性の姿を描いたものである。
しかし、この映画を見ただけでは、何のことやらよくわからないかと思う。前作ほど背景が描かれていないし、ムスリムだの原理主義だのいわれても、関連がつかめない。特に、宗教上のトラブルに縁遠い(いい意味でも悪い意味でも)日本人には理解しがたい映画かもしれない。
「サラエボ-希望の街角」-公式サイト
「サラエボの花」-公式サイト