【一ノ倉沢への道】
【2007年10月21日】
山の家の女主人は気さくな人で助かった。前日、列車を乗り遅れ、宿の到着時間が大幅に遅れてしまったのだけれど、いやな顔一つせず温かく迎えてくれた。
部屋は4人部屋だったが客が少ないのか一人きりだった。「山の家」というからもっと味気ないかと思ったら、蛇口からはお湯が出るし、お風呂の湯船も大きくきれいで、いつでも入れるし、トイレは清潔で気持ちよかった。部屋には浴衣も用意されテレビもあった。早立ちのための宿にしては居心地良かった。
前日、日曜日ごとによく山に出かける横浜の弟の所に電話を入れておいた。「時間があったら、谷川岳で合流しないか。」と。その時は、都合があるので無理みたいな事を言っていたが、今朝早くメールが入った。10時に土合に着きロープウェイで上がるつもりだと伝えてきた。
もしかしたらと考えていた縦走計画を取りやめることにした。土台、あの荷物を全部抱えて2日間歩き通すのは無理だ。小屋がやっていたらまだしも、エスケープルートも少ないし、2年間ブランクのある体力に自信が持てなかったから、踏ん切りがついた。で、自炊道具やら寝袋、着替え類一切を部屋に置いて、デイバック1つの身軽な体で、朝7時宿を出る。宿の女将さんには「もう一泊お願いします。」と言い残して。
当初の計画では、土合から「白毛門」に登り、そこから一ノ倉沢を正面にすえた雄大な谷川岳の姿を眺め、とって返し宿の荷を引き払って谷川岳頂上に登り、さらに肩の小屋から西の尾根道を「オジカ沢の頭」を越えて大障子避難小屋まで行くつもりだった。
【昭文社「山の地図」より】
しかし、弟と合流するには「白毛門」に登っている時間的余裕すらない。迷いながらロープウェイ駅の方に向かう。
天気は晴れ。「白毛門」を見上げるとさらには足早に雲が流れ、頂上付近はガスに覆われていた。小笠原近辺に来ている台風の影響か。
「白毛門」に登るのはまたの機会にしよう。あれではせっかく登っても勇姿は見られない、と勝手に自分の行動を合理化する。
宿の女将には「白毛門」に行くと言って早く出たてまえ、10時にはまだ時間が充分ある。ロープウェイで上がるのをやめ、ここは意地でも自分の足で谷川岳頂上を目指すことにした。その前に、やっぱり「一ノ倉沢」の岩壁を見ておかねば。
【一ノ倉沢】
「マチガ沢」を通りすぎ、「一ノ倉沢」を正面に見上げる広場まで来る。あたりは大きな写真機材を担いだ人でにぎわっている。じっと壁を見上げる。
○ ○
自分の中では「谷川岳」というのは遭難の山・恐ろしい山という印象が染みついていた。まだ穂高やら剱とかに親しむ前ので、それも普通の登山とロッククライミングの区別がついていない頃のずっと昔のことで、しかも事故は冬山の厳しい厳しい自然条件の下で起きたことなど、ずっと後で知った。だから遭難事故のニュースを聞くたびに、谷川岳はじめ高い山など近づくべきではないと思っていた。
小学生の頃、家の近くの裏山によく登って遊んだ。登ったと行っても住宅地の中にある丘でせいぜい30メートルほどの高さである。木の根っこや草をつかみ道のない岩肌を登るのである。今思えばたいした距離ではないのだが木々を分け入り街の見下ろせる高台に立ったり、アケビが生る秘密の場所を見つけると何かうれしい気分だった。
横浜の実家近くの山は、「関東ローム」層という黄土色の粘土のような柔らかい地層で覆われていた。だから自分のイメージで「岩」というのは、その柔らかくもろい粘土の様な土を指していた。そんな「岩」に杭を打ち込んで全身を預けるなんて信じられなかった。
学生時代の友人がザイルとハーケンを持って山に出かけては、やれ転落しただの、怪我をしただのいうのを「アホなことしよる」くらいに思って、自分には無縁な事と長く思っていた。穂高にあるような堅い岩を知ったのは、大学を卒業して、山に通いはじめてからである。もう少し早く知っていたらロッククライミングの虜になっていたかもしれない。
横浜に帰ると以前遊んだ「山」の木々は伐採され、きれいに整地された高台には高層マンションが建っている。
○ ○
頂の方はやはりガスがかかっている。〈やはり上は見通しがきかないか。〉
時計は9時をまわろうとしていた。ゆっくりしていられなくなった。マチガ沢まで戻り、「巌剛新道」を上がることにする。途中で西黒尾根に合流するが、それまでの景色がこちらの方がいいらしい。
いきなり急登が始まる。汗をだらだらかき、ハアハア言いながら登る。時折、沢から吹いてくる風が涼しい。
振り向くと仰ぎ見ていた白毛門がだんだん目の高さになってくる。ガスも幾分晴れてきて頂上が顔を覗かす。このコースは静かだ。ほとんど人に会わない。
10時が過ぎた。弟が麓のロープウェイ駅に着いてる頃だ。先を急ぐが、少し歩くと息が切れる。〈こんなんじゃ、縦走はとても無理だ〉
頂上に人影が見え始めたと思ったら、中間点の鞍部の手前のコブだった。まだ、西黒尾根に合流していないのだから、先はまだまだ。
近くに人の声が聞こえ視界が開けたと思ったら、そこが合流点だった。
弟から、「あと頂上まで30分くらい。」のメールが入る。もうロープウェイを降りて天神平から頂上に向かっているのだ。時計は11時半だった。
(つづく)
『秋の「谷川岳」と「法師温泉」を訪ねる-その3』へジャンプ
【2007年10月21日】
山の家の女主人は気さくな人で助かった。前日、列車を乗り遅れ、宿の到着時間が大幅に遅れてしまったのだけれど、いやな顔一つせず温かく迎えてくれた。
部屋は4人部屋だったが客が少ないのか一人きりだった。「山の家」というからもっと味気ないかと思ったら、蛇口からはお湯が出るし、お風呂の湯船も大きくきれいで、いつでも入れるし、トイレは清潔で気持ちよかった。部屋には浴衣も用意されテレビもあった。早立ちのための宿にしては居心地良かった。
前日、日曜日ごとによく山に出かける横浜の弟の所に電話を入れておいた。「時間があったら、谷川岳で合流しないか。」と。その時は、都合があるので無理みたいな事を言っていたが、今朝早くメールが入った。10時に土合に着きロープウェイで上がるつもりだと伝えてきた。
もしかしたらと考えていた縦走計画を取りやめることにした。土台、あの荷物を全部抱えて2日間歩き通すのは無理だ。小屋がやっていたらまだしも、エスケープルートも少ないし、2年間ブランクのある体力に自信が持てなかったから、踏ん切りがついた。で、自炊道具やら寝袋、着替え類一切を部屋に置いて、デイバック1つの身軽な体で、朝7時宿を出る。宿の女将さんには「もう一泊お願いします。」と言い残して。
当初の計画では、土合から「白毛門」に登り、そこから一ノ倉沢を正面にすえた雄大な谷川岳の姿を眺め、とって返し宿の荷を引き払って谷川岳頂上に登り、さらに肩の小屋から西の尾根道を「オジカ沢の頭」を越えて大障子避難小屋まで行くつもりだった。
【昭文社「山の地図」より】
しかし、弟と合流するには「白毛門」に登っている時間的余裕すらない。迷いながらロープウェイ駅の方に向かう。
天気は晴れ。「白毛門」を見上げるとさらには足早に雲が流れ、頂上付近はガスに覆われていた。小笠原近辺に来ている台風の影響か。
「白毛門」に登るのはまたの機会にしよう。あれではせっかく登っても勇姿は見られない、と勝手に自分の行動を合理化する。
宿の女将には「白毛門」に行くと言って早く出たてまえ、10時にはまだ時間が充分ある。ロープウェイで上がるのをやめ、ここは意地でも自分の足で谷川岳頂上を目指すことにした。その前に、やっぱり「一ノ倉沢」の岩壁を見ておかねば。
【一ノ倉沢】
「マチガ沢」を通りすぎ、「一ノ倉沢」を正面に見上げる広場まで来る。あたりは大きな写真機材を担いだ人でにぎわっている。じっと壁を見上げる。
○ ○
自分の中では「谷川岳」というのは遭難の山・恐ろしい山という印象が染みついていた。まだ穂高やら剱とかに親しむ前ので、それも普通の登山とロッククライミングの区別がついていない頃のずっと昔のことで、しかも事故は冬山の厳しい厳しい自然条件の下で起きたことなど、ずっと後で知った。だから遭難事故のニュースを聞くたびに、谷川岳はじめ高い山など近づくべきではないと思っていた。
小学生の頃、家の近くの裏山によく登って遊んだ。登ったと行っても住宅地の中にある丘でせいぜい30メートルほどの高さである。木の根っこや草をつかみ道のない岩肌を登るのである。今思えばたいした距離ではないのだが木々を分け入り街の見下ろせる高台に立ったり、アケビが生る秘密の場所を見つけると何かうれしい気分だった。
横浜の実家近くの山は、「関東ローム」層という黄土色の粘土のような柔らかい地層で覆われていた。だから自分のイメージで「岩」というのは、その柔らかくもろい粘土の様な土を指していた。そんな「岩」に杭を打ち込んで全身を預けるなんて信じられなかった。
学生時代の友人がザイルとハーケンを持って山に出かけては、やれ転落しただの、怪我をしただのいうのを「アホなことしよる」くらいに思って、自分には無縁な事と長く思っていた。穂高にあるような堅い岩を知ったのは、大学を卒業して、山に通いはじめてからである。もう少し早く知っていたらロッククライミングの虜になっていたかもしれない。
横浜に帰ると以前遊んだ「山」の木々は伐採され、きれいに整地された高台には高層マンションが建っている。
○ ○
頂の方はやはりガスがかかっている。〈やはり上は見通しがきかないか。〉
時計は9時をまわろうとしていた。ゆっくりしていられなくなった。マチガ沢まで戻り、「巌剛新道」を上がることにする。途中で西黒尾根に合流するが、それまでの景色がこちらの方がいいらしい。
いきなり急登が始まる。汗をだらだらかき、ハアハア言いながら登る。時折、沢から吹いてくる風が涼しい。
振り向くと仰ぎ見ていた白毛門がだんだん目の高さになってくる。ガスも幾分晴れてきて頂上が顔を覗かす。このコースは静かだ。ほとんど人に会わない。
10時が過ぎた。弟が麓のロープウェイ駅に着いてる頃だ。先を急ぐが、少し歩くと息が切れる。〈こんなんじゃ、縦走はとても無理だ〉
頂上に人影が見え始めたと思ったら、中間点の鞍部の手前のコブだった。まだ、西黒尾根に合流していないのだから、先はまだまだ。
近くに人の声が聞こえ視界が開けたと思ったら、そこが合流点だった。
弟から、「あと頂上まで30分くらい。」のメールが入る。もうロープウェイを降りて天神平から頂上に向かっているのだ。時計は11時半だった。
(つづく)
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