遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

長崎平和祈念式典

2019-08-11 16:16:22 | 日記
令和元年8月11日(日)

長崎平和祈念式典

令和元年8月9日(金)、長崎平和祈念公園で、
「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。

世界66カ国を含む約5,200人が参列した。
式典に先立ち、田上長崎市長が新たに原爆死没者
3,402人の名簿を収め、累計182,601
人となった。
被爆者手帳を持つ方は145、844人となり、
その平均年齢は82.65歳である。


初めに被爆者代表5名による献水が行われ、続
いて田上市長等に依る献花が供えられた。


原爆投下時刻の午前11時2分「愛の鐘」を合図
に1分間の黙とうを捧げた。




田上長崎市長の「平和宣言」


「眼を閉じて聴いて下さい」と、被爆当時17歳
だった女性の詩が朗読され、原爆投下時の生々しい
悲惨な出来事を紹介される。原爆で家族を失い、
怪我を負った被爆者の経験を、世界中の誰にも経験
させてはならない、、、、、。

過去に人が定めた核軍縮を、一方的に廃棄して、
米ロの中距離核戦力(INF)禁止条約を否定し、
核兵器使用の危険が高まっている。

亦、核兵器禁止条約の成立のために市民社会は
大きな役割を果たしている。私達は無力ではない
日本政府は、「核禁止条約批准」をし、憲法平和
の理念を示すべきである。
私達は原発事故に苦しむ福島の皆さんを応援する。


昨年、ローマ法王が国連総会の場で、{戦争が
もたらすもの」として、長崎の被爆者の少年が
弟を背負い、焼場で順番を待つ写真を手に紹介
された。近い将来、ローマ法王が被爆地を訪れる
様である。世界の指導者達も現地を見て欲しい。




続いて、被爆者代表の山脇佳朗さんの
平和への誓いが述べられた。
1945年8月9日、当時私は11歳でした。
被爆地から2km離れた自宅で被爆しました。
母と4人の弟妹は疎開で難をのがれましたが、父は
爆心地の近くの工場で爆死しました。
辛うじて生き残った人達も、放射能の後遺症に悩ま
され、今なお治療し続けています。
あれから74年、被爆者達が核兵器廃絶を訴へ続け
ています。米ロは、中距離核兵器廃棄条約から離脱
した。これ等の行為は我々の期待を裏切る行動です。

安倍総理にお願いしたい。被爆者が生きている内に
核の被爆国といて「核兵器廃絶」の毅然とした態度
を示して下さい。私は第二次世界大戦により三百十
万人の命を犠牲とした日本が「平和憲法」を守り
核兵器のない世界を実現する指導力を果たせる国に
なって欲しい、、、、、。


安倍首相の挨拶は、相も変わらず「核兵器禁止条約
批准」に全く触れず、広島、長崎の人達の意向を
無視し続けている、、、。

(写真はNHKTV、長崎平和祈念式典より引用)

今日の1句

原爆忌潤す水の有難し     ヤギ爺