以前から、気になっていた絵本です。
「パリのおばあさんの物語」
訳者は、女優であり、エッセイストの岸惠子さん。
絵本は、めったに買うことはなかったのですが、これは、どうしても読んでみたくて、アマゾンで注文しました。
主人公は、パリに住むおばあさん。
本の帯にイラストが描いてあるんですけど、フランスには、こんな↓おばあさんがいるんですよね~
これを見て、思わず「いるいる!」と、思ってしまいましたもん。
背中も曲がって、体もちっちゃくなって、ゆっくりゆっくりとしか歩けないのだけど、素敵にオシャレして歩いているの。
時には、お友達か、ご姉妹と思われるおばあさん同志が、腕を組んで歩いていたり・・・。
人生をやりきってきた歴史を感じさせてくれるおばあさんたち。
私は、フランスで、そんなおばあさんたちに会い、勇気をいっぱいいただきました。
こんなふうに、年を重ねたい!って。
この絵本は、そんなストーリー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マルシェに行っても、たくさんは買えないの。
なぜなら、重くて、持てないから。
歩く時も、一歩足を前に出し、次の一歩を出すのがたいへんなの。
お金を払う時もたいへん。
コインを見分けるだけでもたいへんなんだもの。
鍵を失くすのが、とても怖いの。
やっと、見つけても、鍵穴に入れるのもたいへん。
薬を飲むのを忘れます。
メガネは、どこにいったかしら?
指輪は?
あら、はさみも・・?
ものごと、みんなこんがらがります。
お医者様に行くのは、今週だったかしら?
それとも、来週?
・・・そんなおばあさん。
でも、おばあさんは、思う。
大好きだった山へも海へも行けない。
でも、嘆かない。
「靴底が減らなくていいわ」と、思う。
大好きだった玉ねぎとニンニクを炒めた料理も食べられない。
でも、「良かった。もう、玉ねぎを切って、目を泣き腫らすこともなくなったわ」と、思う。
「やりたいこと全部ができないのなら、できることだけでもやっていくことだわ」
そして、しわだらけになった自分の顔を見て思う。
「千の歴史にその百倍のポエジー、そのまた千倍もの心配事や、両手に余るほどの可笑しな可笑しな冗談。それらに彩られた自分の顔に満足します」
そして、おばあさんの若かった頃の苦労も語られます。
ユダヤ人だったおばあさん一家。
ご主人は、捕虜収容所へ。
子どもたちは、遠くの修道院に預けます。
そして、おばあさんも、逃げまどいます。
そんな過去を、背負いながら、今の幸せに感謝しています。
最後に、「もう一度、若くなってみたくありませんか?」という問いに、
「いいえ」
「私にも、若い時はあったのよ。
私の分の若さは、もうもらったの。
今は、年をとるのが、私の番」
「もういちど、同じ道をたどってどうするの?
だって、わたしに用意された道は、今、通ってきたこの道ひとつなのよ」
あなたは、どう思うかしら?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、最後の言葉です。
老いていくことの自然さを、感じさせてくれる本だと思います。
諦めるのでもなく、逆らうのでもない「自然さ」は、すべてを受け入れる素直さと、いつでも前向きに考える姿勢、柔軟なジョーク、そして、孤独を受け入れる忍耐強さがあってこそ。
私も、パリのおばあさんを見習って、日本のおばあさんになろうと思います。
「パリのおばあさんの物語」
訳者は、女優であり、エッセイストの岸惠子さん。
絵本は、めったに買うことはなかったのですが、これは、どうしても読んでみたくて、アマゾンで注文しました。
主人公は、パリに住むおばあさん。
本の帯にイラストが描いてあるんですけど、フランスには、こんな↓おばあさんがいるんですよね~
これを見て、思わず「いるいる!」と、思ってしまいましたもん。
背中も曲がって、体もちっちゃくなって、ゆっくりゆっくりとしか歩けないのだけど、素敵にオシャレして歩いているの。
時には、お友達か、ご姉妹と思われるおばあさん同志が、腕を組んで歩いていたり・・・。
人生をやりきってきた歴史を感じさせてくれるおばあさんたち。
私は、フランスで、そんなおばあさんたちに会い、勇気をいっぱいいただきました。
こんなふうに、年を重ねたい!って。
この絵本は、そんなストーリー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マルシェに行っても、たくさんは買えないの。
なぜなら、重くて、持てないから。
歩く時も、一歩足を前に出し、次の一歩を出すのがたいへんなの。
お金を払う時もたいへん。
コインを見分けるだけでもたいへんなんだもの。
鍵を失くすのが、とても怖いの。
やっと、見つけても、鍵穴に入れるのもたいへん。
薬を飲むのを忘れます。
メガネは、どこにいったかしら?
指輪は?
あら、はさみも・・?
ものごと、みんなこんがらがります。
お医者様に行くのは、今週だったかしら?
それとも、来週?
・・・そんなおばあさん。
でも、おばあさんは、思う。
大好きだった山へも海へも行けない。
でも、嘆かない。
「靴底が減らなくていいわ」と、思う。
大好きだった玉ねぎとニンニクを炒めた料理も食べられない。
でも、「良かった。もう、玉ねぎを切って、目を泣き腫らすこともなくなったわ」と、思う。
「やりたいこと全部ができないのなら、できることだけでもやっていくことだわ」
そして、しわだらけになった自分の顔を見て思う。
「千の歴史にその百倍のポエジー、そのまた千倍もの心配事や、両手に余るほどの可笑しな可笑しな冗談。それらに彩られた自分の顔に満足します」
そして、おばあさんの若かった頃の苦労も語られます。
ユダヤ人だったおばあさん一家。
ご主人は、捕虜収容所へ。
子どもたちは、遠くの修道院に預けます。
そして、おばあさんも、逃げまどいます。
そんな過去を、背負いながら、今の幸せに感謝しています。
最後に、「もう一度、若くなってみたくありませんか?」という問いに、
「いいえ」
「私にも、若い時はあったのよ。
私の分の若さは、もうもらったの。
今は、年をとるのが、私の番」
「もういちど、同じ道をたどってどうするの?
だって、わたしに用意された道は、今、通ってきたこの道ひとつなのよ」
あなたは、どう思うかしら?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、最後の言葉です。
老いていくことの自然さを、感じさせてくれる本だと思います。
諦めるのでもなく、逆らうのでもない「自然さ」は、すべてを受け入れる素直さと、いつでも前向きに考える姿勢、柔軟なジョーク、そして、孤独を受け入れる忍耐強さがあってこそ。
私も、パリのおばあさんを見習って、日本のおばあさんになろうと思います。