今朝、私が、外に出た途端、後ろから付いてきていたリヨンが、猛ダッシュで、たたたたたっーー!!と、外に飛び出しました。
家の中から、外にいる野良猫が見えたので、追い掛けたかったのでしょう。
もし、これが町中だったら、交通事故になってしまうかもしれないけれど、我が家は、郵便屋さんしか来ないような田舎なので、良かった!
朝から、心臓が、でんぐり返ってしまいました。
(箱入り息子なもので)
家の中から、外にいる野良猫が見えたので、追い掛けたかったのでしょう。
もし、これが町中だったら、交通事故になってしまうかもしれないけれど、我が家は、郵便屋さんしか来ないような田舎なので、良かった!
朝から、心臓が、でんぐり返ってしまいました。
(箱入り息子なもので)
今日は、父のお墓参りに行ってきました。
いつものことですが、父のお墓や仏壇に手を合わせると、涙がこぼれそうになります。
父のことが、大好きだったし、父も、私のことを、俗に言う「目の中に入れても痛くない」ほど、大事にしてくれました。
怒られたこともなかったし、いつも上機嫌な父でした。
お酒が好きだったので、私がお酌をすると「1級酒が、特級酒になる」って、よく言っていました。
父が、入院中、私が「明日は、用事があって、病院に来れんきね」というと、本当に、落胆して、可哀想なくらい寂しそうな顔をしていました。
私が、病院に行くことが、何より嬉しかったみたいで「まるで、恋人に会う時の気持ちっていうのかなあ」と、照れくさそうに笑っていました。
亡くなる前には、「裕子に会うと、死なないって思える。裕子は、いき神様じゃないだろうか!?思わず、手を合わせたくなるんだよ」と言っていた。
思い出は、果てしなくあります。
父が亡くなった後、母も兄も「おじいちゃんが(父が)、裕子と離れたくなくて、連れて行ってしまうかもしれないから、絶対、裕子を一人にしてはいけない」って、真剣に相談していたくらい。
その父が、亡くなって、3年。
お墓を掃除し、仏壇にお線香をあげ、いつも通り「おばあちゃん(母)のことを守ってね」と、お願いしました。
いつものことですが、父のお墓や仏壇に手を合わせると、涙がこぼれそうになります。
父のことが、大好きだったし、父も、私のことを、俗に言う「目の中に入れても痛くない」ほど、大事にしてくれました。
怒られたこともなかったし、いつも上機嫌な父でした。
お酒が好きだったので、私がお酌をすると「1級酒が、特級酒になる」って、よく言っていました。
父が、入院中、私が「明日は、用事があって、病院に来れんきね」というと、本当に、落胆して、可哀想なくらい寂しそうな顔をしていました。
私が、病院に行くことが、何より嬉しかったみたいで「まるで、恋人に会う時の気持ちっていうのかなあ」と、照れくさそうに笑っていました。
亡くなる前には、「裕子に会うと、死なないって思える。裕子は、いき神様じゃないだろうか!?思わず、手を合わせたくなるんだよ」と言っていた。
思い出は、果てしなくあります。
父が亡くなった後、母も兄も「おじいちゃんが(父が)、裕子と離れたくなくて、連れて行ってしまうかもしれないから、絶対、裕子を一人にしてはいけない」って、真剣に相談していたくらい。
その父が、亡くなって、3年。
お墓を掃除し、仏壇にお線香をあげ、いつも通り「おばあちゃん(母)のことを守ってね」と、お願いしました。
「タウン情報こうち」さん、10月号の「スイーツ特集」の1ページ。
シフォンケーキの写真と、下に写っているのは、娘です。
いつもいつも、「タウン情報こうち」さんは、うちみたいな小さな店を、取り上げてくれて、しかも、場所もいいところだし、記事も大きめ。
すっごく有り難いです。
夫のお土産です。
イタリアから帰ってすぐ東京~関西に出張。
関空で買ったというパンです。
すごい真っ黒なパンは、珍しいわ。
世界大会で優勝した職人さんが作った(?)とか、言ってましたが。
真っ黒だから、娘と「イカスミ?」「焦げただけ?」なんて、検証。
「フランスには、真っ黒なチーズケーキがあるんだよ。それは、単に焦げているだけで、苦いが。」と、娘。
ひとくちだけ味見したら、ココア?って味でした。
今日は、本棚の片付けをしました。
本が大好きなので、家中、本の山が、あちこちにできています。
今日は、その「山」を切りくずし、「ブックオフ行き」「資源ゴミ行き」、残りは、種類別に(ケーキの本が、一番多いです。仕事のお勉強!)分けて、収納しました。
そうやって、分けながら、ついついページを開いてしまうと、もうダメね。
読みふけってしまう。
片付けるのに、めいっぱい2日かかりました。
娘に「ごめんね~!なるべく早く片付けるから、許してよ~!!」って、あやまりながらの片付け。
やっと、やっと、富士山の3合目に辿り着きました
(まだ、3合目~!!!?)
本が大好きなので、家中、本の山が、あちこちにできています。
今日は、その「山」を切りくずし、「ブックオフ行き」「資源ゴミ行き」、残りは、種類別に(ケーキの本が、一番多いです。仕事のお勉強!)分けて、収納しました。
そうやって、分けながら、ついついページを開いてしまうと、もうダメね。
読みふけってしまう。
片付けるのに、めいっぱい2日かかりました。
娘に「ごめんね~!なるべく早く片付けるから、許してよ~!!」って、あやまりながらの片付け。
やっと、やっと、富士山の3合目に辿り着きました
(まだ、3合目~!!!?)
美容院の予約をしました。
やっと、長時間、座っていられるようになってきたので。
29日から、本格的に、仕事に復帰します。
娘は、10月1日から、フランス。
毎日、映画観て、本を読んで、リヨンと遊んで、脳トレして、合間合間に家事をして。
そんな天国のような毎日を送っていたので、体力が落ちてしまって、少し動くと疲れます。
こんな調子で、仕事ができるかしらん!?と、ちょっと不安。
まっ、無理せず、マイペースで、やっていきます。
お客さまに、御迷惑をおかけするだろうなぁと、申し訳なく思います。
教室は、怪我をする前から、12月まで休むようになっていたので、良いのだけど。
そんなふうに、「休み」を作ったから、安心して怪我しちゃったのかなあ~?
これを、グットタイミングというのだろうか!?
やっと、長時間、座っていられるようになってきたので。
29日から、本格的に、仕事に復帰します。
娘は、10月1日から、フランス。
毎日、映画観て、本を読んで、リヨンと遊んで、脳トレして、合間合間に家事をして。
そんな天国のような毎日を送っていたので、体力が落ちてしまって、少し動くと疲れます。
こんな調子で、仕事ができるかしらん!?と、ちょっと不安。
まっ、無理せず、マイペースで、やっていきます。
お客さまに、御迷惑をおかけするだろうなぁと、申し訳なく思います。
教室は、怪我をする前から、12月まで休むようになっていたので、良いのだけど。
そんなふうに、「休み」を作ったから、安心して怪我しちゃったのかなあ~?
これを、グットタイミングというのだろうか!?
働くことはいいことだし、頑張ることはいいことだけど、「過ぎたら」いけないね。
そんなことを、ここのところの一連の出来事で感じた。
(今日は、長い文章になると思うので、お忙しい方は、暇な時に読んでくださるか、または、飛ばしてください。)
私も、5年くらい前は、仕事がすごく忙しくて、文字どおり「死にそうな」毎日を送っていた。
店と教室で、4店もあったから。
スタッフは、24名。
月々の支払いだけで、400万円以上あったし、経理も労務管理も、製作も教室も、全部やっていたから、本当に忙しかった。
ストレスも、並み大抵のものではなく、(毎月、400万を超える支払いや、お給料を払うこと、家賃を払うことだけでも、かなりストレスに感じていた)いつ倒れてもおかしくないって感じてた。
そんなある日、大通りの交差点で、ころんだ。
その時の私は、荷物をいっぱい抱え、支店から支店へと移動していた時。
たぶん、疲れ果てていたのだと思う。
たくさんの人の前で、盛大にころび(荷物は散乱した)穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
その怪我自体は、たいしたことはなかったけど、私は「これは、なんの暗示だ???」って、ずうっと考えていた。
そして、出した答え。
「これは神様が、仕事を減らしなさい。このままいくと、こんな怪我では済まないよ。」というメッセージではないか?と。
荷物が散乱したのも「持っている荷物が多すぎるから減らしなさい」っていうメッセージではないだろうか?と。
この状態を続けたら、私は死んでしまう、と心底、感じた。
それから、ほどなくして、私は、店を2店に減らした。
減らしてから、5年経った今年、やはり同じように、もっと身軽になろうと決めた。
小さな店だったけど、2店で、家賃が年間300万。
もう、支払いや、お給料や、多くの問題を抱えたくないと思いはじめていた。
そして、今年、2店を閉め、新たに、小さな小さな店を持った。
家賃もいらず、借金もなく、ストレスも、ほとんどない今の店。
やっと、ここまで来た。そんな気分。
そして、やれやれと思ったところで、怪我をした。
階段から落ちて、腰の骨を骨折した。
多くの人に言われた。
「やっこさん、疲れ切っていたものね!」「神様が、休みなさいって言ったのだと思う」って。
こうやって、私は、その都度、その都度、「何か」のメッセージを受け取りながら、軌道修正してきたのだと思う。
それは、「頑張り過ぎている人」には、「頑張らなくていいよ」というメッセージがくること。
「頑張らない人」には、もっと「頑ばりなさい」というメッセージがくること。
そうやって、バランスを保つように、世界は、なっているのではないだろうか?
先日、ランチした友達は、宗教を持っている。
精神っぽい話は好きなので、彼女の話は楽しい。
運命の話、「おまかせ」の話、自分のしたことが自分に還ってくるという話。
どれも、楽しい。
ただ、私は、形のある「何か」や、「誰か」や、「何々教」を信仰するつもりは、まったくない。
私にとっての神は(宇宙と呼んでもいいし、この世のバランスと呼んでもいい)そんな小さな狭い枠には入り切らない。
そして、どこにでも存在している。
誰の中にもあり、どこでもあり、何にでも存在している。
そして、昨日、WOWOWで、オリビアハッセー主演の「マザーテレサ」を観た。
神の存在、おまかせの気持ち、「あっ、この間、友だちと話したことと同じだ」って驚いた。
きっと、宇宙は、バランスを保つようにできている。
そのバランスが崩れた時、それを正すべき「出来事」が起る。
怪我だったり、事故だったり、病気だったり、災害だったり、事件だったり、公害だったり、そんなことが起る。
エイズも、地球温暖化も、戦争さえ、バランスの一環だと思えてならない。
だから、「そのこと」が起った時、ちゃんと、そのメッセージを受け取らなくてはいけない。
なぜ、起ったか?
頑ばりやのYちゃんにも、きっと、神さまのメッセージがきていたと思う。
でも、頑ばりやだったから、頑張り過ぎてしまった。
それが、くやしくて、くやしくてならない。
この悲しみから、神様は、私に何を学べと言っているのだろうか?
そんなことを、ここのところの一連の出来事で感じた。
(今日は、長い文章になると思うので、お忙しい方は、暇な時に読んでくださるか、または、飛ばしてください。)
私も、5年くらい前は、仕事がすごく忙しくて、文字どおり「死にそうな」毎日を送っていた。
店と教室で、4店もあったから。
スタッフは、24名。
月々の支払いだけで、400万円以上あったし、経理も労務管理も、製作も教室も、全部やっていたから、本当に忙しかった。
ストレスも、並み大抵のものではなく、(毎月、400万を超える支払いや、お給料を払うこと、家賃を払うことだけでも、かなりストレスに感じていた)いつ倒れてもおかしくないって感じてた。
そんなある日、大通りの交差点で、ころんだ。
その時の私は、荷物をいっぱい抱え、支店から支店へと移動していた時。
たぶん、疲れ果てていたのだと思う。
たくさんの人の前で、盛大にころび(荷物は散乱した)穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
その怪我自体は、たいしたことはなかったけど、私は「これは、なんの暗示だ???」って、ずうっと考えていた。
そして、出した答え。
「これは神様が、仕事を減らしなさい。このままいくと、こんな怪我では済まないよ。」というメッセージではないか?と。
荷物が散乱したのも「持っている荷物が多すぎるから減らしなさい」っていうメッセージではないだろうか?と。
この状態を続けたら、私は死んでしまう、と心底、感じた。
それから、ほどなくして、私は、店を2店に減らした。
減らしてから、5年経った今年、やはり同じように、もっと身軽になろうと決めた。
小さな店だったけど、2店で、家賃が年間300万。
もう、支払いや、お給料や、多くの問題を抱えたくないと思いはじめていた。
そして、今年、2店を閉め、新たに、小さな小さな店を持った。
家賃もいらず、借金もなく、ストレスも、ほとんどない今の店。
やっと、ここまで来た。そんな気分。
そして、やれやれと思ったところで、怪我をした。
階段から落ちて、腰の骨を骨折した。
多くの人に言われた。
「やっこさん、疲れ切っていたものね!」「神様が、休みなさいって言ったのだと思う」って。
こうやって、私は、その都度、その都度、「何か」のメッセージを受け取りながら、軌道修正してきたのだと思う。
それは、「頑張り過ぎている人」には、「頑張らなくていいよ」というメッセージがくること。
「頑張らない人」には、もっと「頑ばりなさい」というメッセージがくること。
そうやって、バランスを保つように、世界は、なっているのではないだろうか?
先日、ランチした友達は、宗教を持っている。
精神っぽい話は好きなので、彼女の話は楽しい。
運命の話、「おまかせ」の話、自分のしたことが自分に還ってくるという話。
どれも、楽しい。
ただ、私は、形のある「何か」や、「誰か」や、「何々教」を信仰するつもりは、まったくない。
私にとっての神は(宇宙と呼んでもいいし、この世のバランスと呼んでもいい)そんな小さな狭い枠には入り切らない。
そして、どこにでも存在している。
誰の中にもあり、どこでもあり、何にでも存在している。
そして、昨日、WOWOWで、オリビアハッセー主演の「マザーテレサ」を観た。
神の存在、おまかせの気持ち、「あっ、この間、友だちと話したことと同じだ」って驚いた。
きっと、宇宙は、バランスを保つようにできている。
そのバランスが崩れた時、それを正すべき「出来事」が起る。
怪我だったり、事故だったり、病気だったり、災害だったり、事件だったり、公害だったり、そんなことが起る。
エイズも、地球温暖化も、戦争さえ、バランスの一環だと思えてならない。
だから、「そのこと」が起った時、ちゃんと、そのメッセージを受け取らなくてはいけない。
なぜ、起ったか?
頑ばりやのYちゃんにも、きっと、神さまのメッセージがきていたと思う。
でも、頑ばりやだったから、頑張り過ぎてしまった。
それが、くやしくて、くやしくてならない。
この悲しみから、神様は、私に何を学べと言っているのだろうか?