田舎人の徒然日記

退職後を故郷で暮す1948年式男の書き散らし

知らんかったなあ

2020-09-07 | 日々の暮し
薬が切れそうなので医院へ行く(変な薬ではない)。
診察までの待ち時間を考え、今回は司馬遼太郎の文庫本「大坂侍」を持参。
これまでは待合室に置かれている本を漁っていたが旅行とかグルメ関係が多く面白くない。
今回は、昔読んだ本だが内容は忘れているので急遽持参した次第だ。


   法隆寺南大門(再掲)

その本の「法駕籠のご寮人さん」を読んでいたら「法隆寺料理」というものがあって、日本で保存されている中華料理の最古のものと書かれている。
法隆寺は地元ではないか。

初めて知った。
ほんまかいな?!
小説は事実の記録ではないが、作者が余談として記している部分はフィクションではないだろう。
法隆寺の歴史を考えれば多くは「最古」となる可能性があるから・・・そうかも。
驚きの診察前であった。

それで血圧が上がったのか、最近、血圧高めと言われた。
毎日の朝食のお供、薬を手に入れ午前の仕事完了。

なお、しつっこく「法隆寺料理」の部分を掲載しておきます。
以下「法駕籠(ほうかご)のご寮人(りょん)さん」の抜粋

カバー=彰義隊絵巻(円通寺蔵)
 松じじいは笑わず、「そのかわり、この法駕籠の店には代々法隆寺料理というものが伝わっている。万金をだしても、お茶屋(料理屋)などで食えるものではない。ご寮人さんに手出しをされては困るが、舌の福だけはたんのうしてもらえるはずや」と言った。
 法駕籠の店の祖は、大和国斑鳩村(やまとのくにいかるがむら)の字法隆寺から出てきたという
 余談だが、法隆寺には、聖徳太子のころにシナから渡ってきた精進料理が伝わっている。ひとくちに精進料理といっても、高野山のそれは弘法大師の留学当時の中華料理であり、いまでも有名な黄檗山万福寺(おうばくさんまんぷくじ)(京都府宇治)の精進料理は、徳川初期にやってきた明僧隠元(みんそういんげん)がつたえたものだから、こんにちの中華料理にもっとも近い。法隆寺のそれは、日本で保存されている中華料理の最古のものなのである。(抜粋終り)

※ さらにひつっこく・・・法駕籠は、文中で松じじいが「なあに、心配いりまへん。こっちゃア、駕籠と口入れが稼業の法駕籠(ほうかご)や」と言っていることから、大坂でお婦以(法駕籠の女あるじ=ご寮人さん)が営む駕籠と奉公人の周旋・仲介をする口入れ屋と推察する。