前回(5月末)に探訪した鼓山ですが、前回後回しにしていた湧泉寺(Yǒng quan si)の探訪を、35℃の猛暑の中、行った。(前回の記事→弊ブログ、福州鼓山十八景 探訪その1、および、探訪その2)
この湧泉寺ですが、調べてみると、空海(弘法大師)も訪れたようです。
遣唐使一行として、804年に派遣された折、不運にも嵐に遭遇し、福州長渓県赤岸鎮己南ノ海口に漂着した。
空海は、福州の地方長官である閻済美(Yan ji měi)に、唐の長安へ向かう上申書を書き送り、この寺にいる閻済美に呼び出され、この寺を訪れたようです。その頃の寺の名は、現在と違って、「華厳寺(华严寺)」。
陳 舜臣著の「曼陀羅の人―空海求法伝」にも、その折の様子が、書かれてます。
この寺は、梁の908年(開平2年)に再建され、今では、福建省五大寺院の最高峰となっている。寺の前に泉(羅漢泉)が湧き出ていることから、1407年に、「湧泉寺」の名に改名されたと言われている。(今の羅漢泉はこの写真のごとく、お粗末)
探訪は、前回と同様に、ロープウェイを利用する。終点で降り、鼓山十八景公园と彫り刻まれた南大門前を通り過ぎ、階段道の脇の鼓山摩崖石刻を見ながら,途中、更衣亭で休憩を取り、さらに登って行く。
西門で入場料40元を払い、境内に入り、参拝する。
山門, 枠があって門がない。石門柱には短聯「浄地何須掃、空門不用関」が刻まれている
南無観世音菩薩像
湧泉寺天王殿、「涌泉寺」の金の額は、清朝康熙帝が「筆で書き与えた」とか。
巨大な「弥勒菩薩」「四天王」と「韋駄天」などの仏像が並んでいる。
背後に、鼓山の頂上が見える。
大雄宝殿
及び、大雄宝殿内(釈迦牟尼の三世仏(過去・現在・未来の世)」の巨像。
明朝天啓元年の造。)
鐘楼
中に吊るされている鋳物でできた「金剛般若鐘」は1696年に造られたもので、重さは約2トンもあると言われている。
『金剛般若波羅密経』の6,372文字が刻まれている。
昔、土地を借りて寺を建てた後、初めて五更に一回鐘をついたところ、雨風がひどくなり、殿が崩れ、お経を読んでやっと静まり返ったと伝えられていることから、それ以来、この寺では、五更(午前四時から六時まで)には鐘をつかないという。
また僧が一度鐘をつく度に、108回念仏を唱えなければならない、とか
また、鐘楼の東南にある蔵経殿は清朝順治16年(1659年)に建設された。この内部には宋朝以来の歴代の皇帝から賜った各種経書とさらに本殿の刻印の経書が合わせて20,346冊納められているらしい。
その中には清朝康煕帝から乾隆帝までに賜った『明朝南蔵』、『明朝北蔵』、『明朝梵本』、『書本蔵』、『日本叙蔵』、および『薬師経』など数千部に及ぶ経書がある、と。
“仏教経典を収めた古代書物の宝窟”と称されている
トップへ戻る(全体表示)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます