7人の短編小説を収録したものです。
オリンピックを題材にしていますがルポルタージュではなく、エキスとして関わっている感じです。
城山三郎さんの「硫黄島に死す」の主人公は、映画「硫黄島からの手紙」で伊原剛志が演じた西竹一。
陸軍中佐で、昭和7年のロスアンゼルスオリンピックの馬術競技では金メダルを取りましたが、次のベルリンオリンピックでは転倒。
オリンピックによる光と影を背負いながら戦場で最後まで男気を貫きます。
玉砕が避けられない硫黄島で、アメリカ軍が西竹一を惜しんで、名指しで投稿を呼びかけたと言われていますが、最後はアメリカ軍が包囲している中に突撃します。
城山三郎さんの文章は、すごい人がすごい人生を送った内容なのに淡々としていて、それが逆に感動をもたらします。
浅田次郎さんの「ひなまつり」。
昭和39年オリンピック開催が迫る東京が舞台です。
好景気の恩恵を受けられない母娘の姿、大人の恋と子どもの憧れ、ハッピーエンドでしたが、なんだか切ない話でした。
奥田英朗さんの「名古屋オリンピック 1981/9/30」。
主人公の田村久雄は大学を中退し、広告代理店で働いています。
まだ22歳ですが社長に気に入られ、客先からの信頼もそこそこある有能な人材です。
使えない新人に文句を言い、叱りつけながら仕事に取り組みますが、だんだん傲慢になっていき取引先からきつい洗礼を受けます。
名古屋は昭和63年のオリンピック開催をソウルと争って敗れました。
事前の予想では圧倒的に有利と言われていたのに、蓋を開けてみればソウルの圧勝でした。
表面だけで判断したのでは本当のことは見えないよ、っていうことかなと思います。
田村の生き方に名古屋オリンピックの話を重ねたところが秀逸。
赤瀬川隼さんの「ブラック・ジャパン」。
オリンピックが国と国との戦いのようになり、メダル獲得数を争っているのを皮肉った面白い話でした。
登場するのは日本国籍の黒人選手たちと日本生まれのアメリカ人選手。
一体、スポーツ競技に、勝者の所属する国の国旗を掲げ、国歌を演奏することに何の意味がある。
と作者は投げかけています。
ジョン・レノンのイマジンが脳内で再生されました。
小川洋子さんの「肉詰めピーマンとマットレス」。
海外で暮らすRという名の息子のアパートに泊まり、観光をする私(母)。
名前がRだし、場所もどこだかさっぱりわからないので、無気質な感じで、存在感も朧げな感じでした。
でも母の愛情がすごく伝わってきて、ラストの息子と別れるシーンはジーンときます。
「分かるかどうかなんて、大した問題でもないよ。ただ単に分かるってだけの話だよ」
っていうRの言葉がありました。
いろいろなことを分かっているのは偉いことなんだろう、と私は思っていましたが、そうか、そうだよな、って思いました。
これを読んだら肉詰めピーマンを食べたくなるのは至極当たり前だと思います。
私も作りました。
海堂尊さんの「平和的祭典北京五輪」はオリンピックの理念を皮肉ったユニークな作品。
舞台は平成20年の北京オリンピック。
中国政府はオリンピックが平和の祭典であることから、オリンピック開催中は紛争を自粛すべきとの提案を行います。
国連もIOCもそれに賛同し、各地の戦争は一時中断されることになりました。国境近くで争っていたロシア軍も停戦せざるを得ません。
そして国連事務総長は、北京オリンピックを予定の期間で終わらせず、何年も続ける決断をします。
突拍子もない設定ですが、ロシアが北京パラリンピック開催中にウクライナに戦争を仕掛けた今、「なるほど、その手があったか」と唸りました。
額賀澪さんの「オリンピックを知らない僕たちへ」。
2022年の東京オリンピックが舞台です。
主人公は大衆文芸誌の若手編集者、相沢慎一郎。
相沢はスポーツ小説を得意とする守重青司の担当となり、オリンピックを題材とした長編小説を依頼することになります。
ただ相沢はオリンピック開催に懐疑的で、あまり期待していません。
でも、昭和47年の札幌オリンピックのポスターを見、学生時代にやっていた高飛び込みを思い出し、気持ちが変わっていきます。
そして
僕ももう少しわくわくしたいんです。東京オリンピックを、もっと楽しみにしたいんです。そう思ってる人、多分日本中にたくさんいます。なんで楽しみにできないんだろうって思ってる人、絶対いっぱいいますよ。
と言って、あまり長編を書くことに乗り気でなかった守重を説得するようになります。
昨年のオリンピック、開催に賛否ありましたが、本当はみんなわくわくしたかったんじゃないでしょうか。
爽やかな、いい小説でした。
編集を務めた細谷正充さんは、
あらためていうが、本書に収録した七編は、バラエティーに富んでいる。それはオリンピックそのものが、どのような題材でも受け入れるだけの、大きな器を持っているからだろう。
と最後に書いています。
これからも私はオリンピックをわくわくしながら見ていたい、そんな気持ちになりました。