いわき市のおやじ日記

K流釣り、K馬、そして麺食いおやじのブログ。
山登り、読書、映画、陶芸、書道など、好きなことはいろいろです。

「お梅は呪いたい」

2024年10月02日 | 

お梅は500年前(戦国時代)に、大名一族を呪い殺した人形です。

木箱の中に閉じ込められていましたが、古民家の解体作業中に木箱の外に出され、眠りから覚めます。

お梅の得意技は瘴気(しょうき)と呼ばれる毒ガスと、人間の心の中から負の感情を読み取り、それを大きく増幅させる能力。

この二つの技を使ってお梅は現代社会に戸惑いながら、人を呪い殺そうとします。

フリーターでぱっとしないユーチューバー、失恋して自暴自棄の女性、引きこもりの若者などに呪いの技を仕掛けますが、ことごとくそれらの人たちは幸せになっていくという、お梅にとっては痛恨の極みが繰り返されます。

章ごとにゆるい繋がりがあり、最終章で全ての話の登場人物が出てきて伏線回収となります。

全然怖い話ではありません。むしろ笑いと涙の話です。帯に「呪われ人生喜劇」とありました。ちょっとした社会に対する皮肉も楽しめます。

ラジオ福島と福島民報で紹介された、県内の本屋さんの「今週のいちおし」で取り上げられていました。

私もお勧めしたいと思います。そしてお梅、うちに来てほしいです。

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「アルジャーノンに花束を」

2024年09月12日 | 

ちょっと前にNHK朝イチで話題になっていました。

ブックエース・イオンモールいわき小名浜では平積みになって売り出されていました。

なぜ今?という感じですが、この本は日本ではヒットを繰り返しているそうです。氷室京介さんのアルバム「LOWERS for ALGERNON」、ユースケ・サンタマリアさん主演のテレビドラマ、山下智久さん主演テレビドラマ、けんごさんのTikTok動画などの影響があるみたいですが、小尾芙佐さんの素晴らしい翻訳も大きな理由のような気がします。

帯に「読まないまま終わる人生もあったと思うと怖いってぐらいすごかった。」というはるさんのつぶやきが紹介されていますが、私も読んで良かったと思います。

私が生まれた1959年に発表されていたんですね。もっと早く読むべきでした。30年ぐらい前にSM嬢(イニシャルです念のため)が「これ、面白いですよ」って話してくれた時に読んでいれば、今とは違う感動があったかもしれません。

ストーリーは書かない方がいいと思います。私も全く予備知識なしで読みました。

人生の後半に差し掛かっている私にとっては、主人公の生き方を、生まれてから徐々に知能、知識を獲得し、死が近づいてきてまた衰えていくという現実に重ねてしまいました。

 

印象に残った文章です。

知能というものはテストの点数だけではありません。 (日本語版文庫への序文より)

 

知識の探究に加えて、われわれは家庭でも学校でも、共感する心と言うものを教えるべきだと。われわれの子供たちに、他人の目で見、感じる心を育むように教え、他人を思いやるように導いてやるべきだと。自分たちの家族や友人ばかりではなく、ーーーそれだったらしごく容易だーーー異なる国々の、様々な種族の、宗教の、異なる知能レベルの、あらゆる老若男女の立場に自分を置いてみること。こうしたことを自分たちの子供たち、そして自分自身に教えることが、虐待行為、罪悪感、恥じる心、憎しみ、暴力を減らし、すべてのひとびとにとって、もっと住みよい世界を築く一助となるのだと思う。 (日本語版文庫への序文より)

 

「以前のあなたには何かがあった。よくわからないけど・・・・温かさ、素直さ、思いやり。そのためにみんながあなたを好きになって、あなたをそばにおいておきたいという気になる。そんな何か。それが今は、あなたの知性と教養のおかげで、すっかり変わってーーー」

 

まともな感情や分別をもっている人々が、生まれつき手足や目の不自由な連中をからかったりはしない人々が、生まれつき知能の低い人間を平気で虐待するのはまことに奇妙である。

 

「知能だけではなんの意味もないことを僕は学んだ。あんたがたの大学では、知能や教育や知識が、偉大な偶像になっている。でもぼくは知ったんです。あんたがたが見逃しているものを。人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです」

 

「傲慢さと自己主張のいりまじったああいう態度は、不安と恐怖の度を示すよき尺度なんだということがわかるんだよ」

 

ひとをわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです。ぼくわこれから行くところで友だちをいっぱいつくるつもりです。(「ぼくわ」の「わ」は原文まま)

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「真夜中のマリオネット」

2024年08月25日 | 

暑い日はミステリー、サスペンス(両者の違いがよくわからない)、そしてホラーなんかで背筋を凍らせるのもいいですね。

知念実希人さんの小説は初めて読みました。

内容については触れないほうがいいです。当然ですが情報入れずに読んだほうが楽しめます。

 

実写化するとすれば、主役の女医さんは戸田恵梨香さん、端正な若者(石田涼介)は山田涼介さんを想像しながら読んでいました。

ラストの1ページでええっ!となります。たまにはいいですね、こういうの。

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「N」

2024年08月15日 | 

 

冒頭に「本書は六つの章で構成されていますが、読む順番は自由です。はじめに、それぞれの冒頭部分だけが書かれています。読みたいと思った章を選び、そのページに移動してください」

とありました。

6!通り(720通り)の物語ができるという実験的な小説です。

各章の物理的なつながりをなくすため、一章おきに上下逆転された状態で印刷されています。

私は2→5→4→3→1→6章の順に読みました。

各章の登場人物(人間だけでなく動物も)が他の章にも出てきますので、物語としての繋がりはあります。このあたりは、伊坂幸太郎さんの小説に近いかもしれません。

ただ読む順番によって、事実を知ってからその背景を知るのか、あるいはその逆なのかに変わりますので、全く違った印象になります。

今度は逆の順番に読んでみようか、なんて思ったりします。

海上に現れる光の花が繰り返し出てきます。滅多に見ることのできない光が存在するかもしれない、この小説を読んで、生きる希望を与えてくれる光を感じ取ってほしい、そんな作者の願いがあるような気がしました。

 

印象に残った文章です。

 

何もない人生のほうが ----- つらくて悲しいことが起きない人生のほうが、特別なのだということを。 「落ちない魔球と鳥」より

 

好きなことを仕事にできるのは幸せだと、誰もが言う。でも、何かを好きであるほど、人はその世界で夢を見る。夢と現実が一致することなんてなく、大抵は夢のほうが綺麗で大きいから、両者の差がそのまま落胆に変わる。 「飛べない雄蜂の嘘」より

 

海で溺れそうになったとき、自分の手を自分で引っ張っても意味がないって、パパは言ったでしょ。誰かに引っ張ってもらわないと駄目だって。 「消えないガラスの星」より

 

「ほとんどの動物は、仲間内で殺し合ったりなんてしねえのに。手加減の仕方とか、降参の合図とか、お互いわかってるから」 「眠らない刑事と犬」より

 

「不満を意識する生き物なんて、人間だけだよな」 「眠らない刑事と犬」より

 

教え子に心をひらかせるには人格というものが必要だなんて、知らなかったのだ。 「名のない毒液と花」より

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「塞王の楯」

2024年08月09日 | 

 

直木賞受賞作だけあってすごく面白いエンタメ戦国小説でした。

表舞台に出ない石垣職人が主人公です。

読んでいて「村上海賊の娘」(和田竜)を思い出しました。こちらも直木賞受賞作で、脚光を浴びることのない瀬戸内海の海賊の娘が主人公でした。

どちらも歴史にあまり残っていないからか、作者のイマジネーションで想像を膨らませることができ、話の展開がスリリングでどんどんのめり込んでしまいます。

 

「塞王の楯」は石垣職人と鉄砲造りが、関ヶ原直前の大津城の戦いで火花を散らす話です。

城を攻める鉄砲衆を率いるのは国友衆の彦九郎。

対して城を守るため石垣を構築するのは穴太衆の飛田匡介。

それぞれ当時の日本では最高の技術を誇り、至高の矛vs最強の楯という構図の戦いになります。

一進一退、どちらが勝つか、どちらが正義か、著名な戦国武将とは別に、戦いを繰り広げる技術者集団の駆け引きが実に面白かったです。

大津城主の京極高次、妻の初、初の侍女夏帆などのキャラも魅力的で、700ページも長く感じませんでした。

 

石垣の積み方にも興味が湧いてきました。お城廻りをするのが楽しみです。

 

印象に残った文章をいくつか。

 

 百年の平和というものは、人を弛ませるには十分だった。現実とは思えないのか、初め一乗谷の民はどこか夢の話を聞くような顔をしていた。しかし遠くから鬨の声や銃声が耳に届く段となり、民もようやく夢から覚めたように慌ただしく動き始めた。家財を纏める者、着の身着のまま逃げ出す者、まだその段になっても、
 ーお城があるから心配ない。
と、余裕を見せていた者も少なからずいたのである。

 

「人は元来、自ら死ぬようにはできていない。生きろ。己の命を守るのだ」

 

「それ(おやじ注:一日で十万、百万が死ぬ砲)を使うほど人は馬鹿じゃねえ。泰平を生み出すのは、決して使われない砲よ」

 

人を守るには強さがいるが、その源流には優しさがある。

 

人はそれぞれ何かしら才を持って生まれ落ちる。だが人の生涯の中で、己の才が何かをいうことに気付くものは少ないし、たとえ気付いたとしてもそれを活かさぬまま一生を終えるものが大半である

 

 

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