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鞭となる言葉


知識無き即興の惨めさを知る

5月18日(月)

受け手として、ものすごいパンチをくらった言葉がある。それは、茨木のりこさんの『全身の重みを賭けて言葉を発したところで、受け手がぼんくらでは、不発に終わり流れてゆくのみである』
レスポンスも含めて受け手としてしっかりしないと、しっかりと考えないと、空回りでモノゴトはなにも進まないし、深く問うこともできない。
発信することばかりに気を取られていた自分に対しての鞭となった。受け手の力量が発信者を育てることもあるのだ。そんな風に思った。
レスポンスの悪い人とは、疎遠になっていくし、心も離れていくし大事なことを話さなくなる。発信者のやる気を削ぐのは受信者でもある。
どんなボールでも体の真ん中で受け止められるように、日々鍛えないとね。
急遽夕方から他府県移動となる。落ち着かないから落ち着くために動く、安定ということの大切さを知る。
高速は渋滞もなくラッキー移動できた。小さなラッキーを積み重ねて幸福の城を築こう。


◎写メモ

なつかしい一枚。美しかった。(東大寺)

◎食メモ
第一食:ヨーグルト、パイナップル、スープ、ミルクコーヒー、トマトジュース
第二食:カレー平打ち麺、メンマ(筍)
第三食:鮭弁当、シュウマイ

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