ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖具磨き

2006年04月09日 | 宇都宮聖ヨハネ教会
今日は、イースターを迎える前に、
聖堂で使われている十字架や燭台などの聖具をみんなで磨きました。
1年間の汚れを落とすのは、なかなか大変でしたが、
ピカピカになった聖具を見ると、なんだか嬉しくなりました。



イエス様の復活をお祝いするイースターを迎えるこの季節、外は喜びで一杯です。
教会の花壇には、春の花々が咲き、庭の藤の花も大きくふくらんでいました。
教会の前の公園は、桜の花が満開です。



復活前主日

2006年04月09日 | ショートメッセージ
本日、お読みいただきましたイザヤ書52:13以下は、
いわゆる「苦難の僕」と言われる救い主の姿を描いた箇所で、
この「苦難の僕」は、イエスであるというのが一般的な解釈です。
しかし、木田献一という聖書学者は、この「苦難の僕」を
あの「ゼルバベル」であると主張しております。

ゼルバベルは、バビロン捕囚から帰還した民、大祭司ヨシュアと共に指導して、
神殿再建事業を行いました。
また、預言者ハガイとゼカリヤが彼らを支持して人々を激励し、
その神殿再建事業を助けました。
その結果、サマリアのサイドの妨害はありましたが、516年ついに第二神殿が完成しました。
これは、ソロモンの神殿に比べると貧弱なものでしたが、
その落成の時には、ゼルバベルは民族的英雄となり、
ユダヤのメシア(王)に即位されかけましたが、
ペルシア当局によって失敗したとされます。
その時、ただ一人その責めを負わされ処刑されたのが「ゼルバベル」であり、
この受難と処刑を記したのが「苦難の僕」なのだという説です。

私たちにとって、ある意味では身近だけれども、
どのような人だったのかよくわからない「ゼルバベル」という人物について、
今日の旧約箇所を通して思いを至らせたいと思います。

執事 マタイ金山 昭夫 《2006.4.9週報より》