僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
コメント欄はモラルを守った上で御自由に書込みどうぞ。

東北の空201703

2017年03月11日 | 東北のためできること
あれから6年。また、この日が来た。

怒りと後ろめたさと後悔と・・そして・・・LOVEを胸に抱いて
また、行くよ。また逢いに行くよ。





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いくつもの「でも」を抱えながら~東北ボランティア記

2017年02月27日 | 東北のためできること
週末は仙台にボランティアに行く。お馴染ReRoots主催のイベント参加のため。
去年「東北ボランティアもそろそろ潮時かな?」と書いた。現在(いま)もそう思ってる。
深夜バスでの日帰りボランティアは正直体力的、精神的にかなりキツくなってきた。
東北との係りは止めないが、このやり方をずっと続けるのか、別のやり方を探すのか。
そんな迷いの中で、今年は未だ東北に行ってない。
このタイミングでReRoots農業イベントの開催。良い機会だ。先ずは行って、それから考えよう。

深夜バスで仙台に向かい早朝着。ReRootsメンバーと落合い現場に向かう。
今回時間の都合で、いつも見学してる深沼海岸は行けず。仕方ない。どのみち、また行くし。

先ずは或る農園でベリーの剪定とビニールハウスのパイプ組立。
3年後のベリー農園開園を目指しての準備作業。
ReRootsの学生や地元の人と話しながら、作業を進める。
一区切りつけた処で作業終了。ビニールハウス組立、まだまだ掛かりそうだ。

その後は別の場所に移って漬物造り。地元の漬物名人のお母さんの指導の下、漬物を造る。
普段、包丁仕事は全くしないワシ。「いちょう切り」なんて初めてしたぞ(゚゜)\バキ☆
此処でも参加者と色んな話をする。

或る参加者は別の被災地から避難して仙台に来て公営住宅に住んでいる。
ReRootsのメンバーが普段野菜を売りに来たり、イベントを手伝ってくれるのを感謝して
今回参加したとの事。
漬物名人のお母さんとも話す。「色々あったよ」と開き直った様な笑顔が印象的だった。
そして、ReRootsの学生。現メンバーは20代前半。
311を直接体験していないし、東北出身者で無い子がほとんど。
その彼等が先輩の後を継ぎ活動を絶やすこと無く続けて更に広げている。
ボクが東京から参加、2011年からReRoots活動に参加してるって事でスゲェ感謝されたけど、
トンデモない!オレはReRootsの創った仕掛に乗っかってるだけ、だ。
ホントに凄いのはキミ達だ。マジ、リスペクトするわ。

メンバーに送って貰って(実はその後トラブルがあったけど(笑))帰りのバスに乗る。
窓の外に映る仙台の空は唯々美しかった。オレはひたすら、その空を視てた。

ReRootsは311を切っ掛けに大学生が創設した。
もし311が無かったら、あの子達にも別の青春があった筈だ。
そしてReRootsが無かったらオレも此処まで仙台に通わなかっただろう。
「地震が有ったから出逢いが生まれた。絆が生まれた。良かった」なんて、絶対・絶対思わない。
でも・・・オレはReRootsの皆に逢えて良かった。それは、確かな「こと」だ。

実際に行って見て、東北ボランティアを終えるか、どうか・・結論は出なかった。
まだまだ、色々考えそうだ。
唯、今回行って思った。
でも・・・未だ・・終われないよな?
正直、だいぶキツくなってきた。
でも・・・また行きたいよな?逢いたいよな?

もうすぐ6年だ。復旧や復興は確かに進んでいる。
でも、自分の中では幾つもの「でも」を抱えたまま、何も終わっていない。
未だ「おとしまえ」は付いていない。
結局、東北に行くのは「自分(テメェ)のため」だ。
東北を好きだとか、支援したい気持ちもあるが根本は「逢いたい、見たい」だ。
そして、自分の中にある無力感、後悔、後ろめたさ・・・色んな「何か」。
その「何か」を晴らすために、「何か」におとしまえをつけるために東北に行ってる。
それは「エゴ」だ。「自己満足」だ。「偽善」だ。スタートは、そこ、だ。
自分勝手に始めて、自分勝手にやってる。そういうことなのだ。

そのことを絶対忘れないで・・また逢いに行こう。な、ヨモちゃん。

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仙台荒浜ボランティア記~5年経って、そしてこれからに向けて

2016年09月20日 | 東北のためできること
3連休は仙台荒浜でボランティア。土曜日夜に深夜バスで出発。
仙台に向かう途中、嫁@パンダからヨモちゃんのイケメン写真が送られ気合いを入れる。
仙台は大雨。ReRootsに電話すると「これ位の雨なら決行します」との事。よっしゃ!
先ずは恒例、深沼海岸参り。ある程度整地は進んだが、それでも津波の傷痕は残ってる。
多くの人が亡くなりもう人は住めない。
でも津波に倒されなかった松の木はチャンと立ってるし、花が咲き誇り魚も住んでいる。
此処には命が確かにある。此処は「生きている」。生きてるのだ。


ReRootsを訪問。ビニールハウスの中で数人でヒマワリの種をこそげ取る。
学生さんや地元の人と和気藹々と話しながら作業。

現在のReRootsのメンバーは震災当時中高生。震災当時の海岸の様子は知らない。
ボクは311後の9月に此処を初めて訪れた。当時の海岸の様子を話すと彼らは興味深そうに聞く。
まさか東京人の自分が仙台の人に震災当時の話をするとは^^;

・・・初めて此処に来たのは丁度5年前の9月だった。
地震と津波で破壊されつくした建物、松林、住居に呆然とした。
遥か遠くの海から海岸を超えて津波が来たという恐怖感。
あの日、この目で視た光景は未だに消えてない。
普段の暮らしでも、何かの拍子にフラッシュバックの様に甦る。
例えば高い建物の上から、東京の街を視るとあの海岸が重なる。
東京で震度4、5程度の地震が起きても恐怖を感じなくなった。
あの日から自分の中の或る感覚は・・変わってしまった。
それは、同時にあの日視た光景が自分の中で消えてない、未だに刻み続けられてる事を意味する。
それは善い事なんだろうか?

作業は思った以上に早く進み午前で終わり。
お昼ご飯は、学生が耕作している畑で獲れた野菜を使ったカレーを頂く。
美味い!獲れたての野菜も甘い!

因みにカレーは愛知でネット販売しているフクイカレーの物。機会あれば是非ご賞味あれ。
その後は農業園芸センターに出展している作品を観に行く。
学生さん自ら造った藁アート作品。デカい!凄い!
彼らは別に美大生じゃないのに、このクオリティーの高さ。
農業支援を止めずに続けている事と言いマジ、リスペクトだぜ。


此処で学生さんたちと別れる。再会を誓って。
ボランティアは10月に後1回あるけどボクは行けない。
でも、何かの機会があればまた行く積り。当然来年も行くよ☆

荒浜の復旧は一応終了した。復興は地元の人が進めており「外部のサポート」は減ってる。
昨年からボクが参加しているのも「支援」というより「イベント参加」の色が強い。
荒浜に行くんだったら、同じ東北で復旧が遅れてる場所に行くべきかも知れない。
・・・当然そこも行く。
ただ・・オレは5年間、此処に通い続けてるんだ。
支援とか、ボランティアとか関係無く、これからも行く。
「東京に居るお節介なオッサン」。。。。もうそれでイイだろ?
キミたちが何か困ったら、何時でも声を掛けてくれ。
オレは必ず、駆けつけるから V(^^)


(左はReRootsのアイドル山羊の「ゆずちゃん」、右は我が家のアイドル「ヨモちゃん」♪)




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仙台荒浜ボランティア記~5年目のリアル

2016年09月01日 | 東北のためできること
土曜日のLIVEの後、仙台荒浜にボランティアに行ってきました。
深夜バスで仙台に向かう道中、嫁@パンダからヨモちゃんの男前写真が届く。V(^^)

到着後、先ずは深沼海岸を見学。津浪で甚大な被害を受けた場所。
震災直後は荒れ果てていたが、整地が進んですっかりキレイ。新しい施設も出来ている。

慰霊碑をお参り。慰霊碑には亡くなった方の名が刻んである。1つ1つ読み上げた。
ボクが荒浜に来たのは311の後だが、311以前の暮らしぶりを特集した番組を見た事が有る。
海外沿いには多くの人が住み仲良く暮らしていた。笑顔に溢れたコミュニティだった。
それが震災と津波により多くの人が亡くなり移転し此処には人は住めなくなってしまった。

此処には確かに「生活(くらし)」があり、「個人(ヒト)」が暮らしていたのだ。
それを「被災者、死者」という記号で片付けたくはない。
震災後、此処は何度も来た。来る度に怒りが込み上げる。
穏やかに暮らしていた人々が生命(いのち)や生活(くらし)を奪われる理不尽。
神様だか大自然だか知らんが、その理不尽な力には怒りを覚える。

その後は学生ボランティア「ReRoots」を訪問。
彼らは現在、土地を借りて農業を行っている。
農家の人にノウハウを学び、自ら作物を育て収穫し、収穫した農産物を市場で販売したり、
外出できないお年寄りに訪問販売、県外の希望者に直売したり様々な活動を展開している。

午前中は芋畑で蔓返しの作業。10人程度で絡んだ蔓をキレイにまとめる。
涼しくてキモチよく作業が出来た。
午後は畑で収穫した豆を使って「ずんだ造り」。
ボクはずんだ餅は何度か食べたことが有るが「ずんだ造り」は初。
親子連れと一緒にワイワイと作業。その後は造ったずんだで餅を美味しくいただく。
適度に甘くて美味しい!

ボラ中、チームリーダーの女子と話をする。彼女は中学生のとき津波の被害に合った。
そのときReRootsから支援を受けたとの事。その彼女が現在はReRootsで活躍。素晴らしい。
代が変わっても確実に活動を続けてる若者たち。
こういった活動は続けるのが中々難しい。でもReRootsはチャンと続けてる。マジ尊敬する。

荒浜は復旧は終わり復興段階。以前の様な瓦礫撤去は無くなった。
今回も作業支援というよりはイベント参加という感じだったし。
でも支援とか関係なしにReRootsの若者たちにはまた会いたい。
「会いたい、行きたい」。・・・・もう、それだけでイイのかもしれない。
それこそがこの5年でオレが手に入れた「リアル」だと思う。大切にしなくちゃ。

ReRootsに別れを告げて、その後は仙台市内で遊ぶ。
牛タンを食ったり漫画喫茶で時間を過ごしたり(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆

日曜日の深夜、仙台を深夜バスで発ち月曜日の朝、東京に着。その日は夏休みを取った。
家でゴロゴロしてます。
世間の人が働いているときに休むって楽しいな~(゚゜)\バキ☆

荒浜には9月にまた行く予定。ReRootsの皆さんにまた会える。
彼らに恥ずかしくない様にオレもテメェの仕事チャンとやろ。な、ヨモちゃん☆

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たかがしれていることをやる~宮城県山元町ボランティアレポ

2016年07月03日 | 東北のためできること
7月からは新体制で業務が開始。上司も担当役員も交代。
早速、上司に報告会。色々と意見をいただく。
前の上司には10年仕えた。表面的な関係で終始して深い関係を築くことは無かった。
今度はどうかな?上手く行くかな?ま、暫くは様子見だ。

金曜日夜から深夜バスで東北ボランティアに行く。目的地は宮城県亘理郡山元町。
此処に来るのは昨年12月以来。20名ほどで向かう。今回は若い人が多かった。
道中、嫁@パンダからヨモちゃんの写真がメールで送られてきた。
チョー甘えっ子写真。爆笑して一気に緊張が解けた。ヨシ、やるぜV(^^)

現地に着いてからは先ず語り部さんによる案内。港近くの公園に上って震災当時の話。
この公園は津波から逃れるため多くの人が避難した場所。
海は穏やか。そんな光景、想像できないが実際に有ったことなのだ。

この5年間で復興が進んだ部分、進まない部分、5年経ってから露わになった疵。
進みたくないのに進まざるを得ない部分。
復旧・復興と一言でまとめられない様々な様相に・・何も言えなくなる。

その後は津波被害にあった小学校を見学。屋上に多くの人が避難し助かったという話。
それまでに行っていた緻密な準備。全員助かったのは単なる幸運じゃなかったのだ。


今回の作業はビニールハウスの中の掃除。名産品イチゴの育成の前作業。
最初はメンバーがテンでバラバラに動いてムダが見える。
で休憩時間に班長に「もっとやり方を決めて効率化しては?」と提案したら、
「じゃ、貴方仕切ってくださいよ」との事。ひぇえ\(T▽T)/
で全員、集合掛けて恐る恐る提案すると、色んな意見が出てくる。
大学生のアイディアを採用して、やってみたらどんどんスピードアップ、やったねV(^^)

会社で同じ様な提案をしたら「何でオマエが仕切るんだ?」とか「決めてくれたらやりますよ」
とか「やりたくない」とか兎角後ろ向きな論議に終始する。
でも、此処では「やらない理由探し」をする奴なんていない。皆、何ができるかを考えてる。
アイディアを出し合って、行動するだけ。こういうのって、とてもキモチいい♪

掃除の作業自体は単純だけど、ビニールハウスの中は蒸してともかく暑い。
午後からはかなりバテてしまい、終盤は意識朦朧。(^_^;
でも、何とか最後までやり遂げました。
作業終了後、此処のお宅の御主人が獲れたてのイチゴで造ったジャムを塗ったパンを
振る舞ってくれた。美味しい!これ食べて1日の疲れが取れた。

帰りは温泉に浸かってバスで東京に向かう。帰宅するとヨモちゃんは少し甘えてくれた♪

山元町にボランティアに行くのは今回で5回目?
新しい施設が出来たり公営住宅が出来たり集団移転が進んだり復興はかなり進んだ様子だ。
一方で前に進めない、色んな問題もあるようだ。
そんな中でオレが出来ることなんて多寡がしれている。
でも、その「多寡が知れてる事」をやってくしかない。うん、やってくしかないんだ。

8月、9月はお馴染の仙台荒浜に行く予定。現地の大学生と逢えるのが楽しみだ。
そのときは、また嫁@パンダにヨモちゃんのカワイイ写真を送って貰おうっと♪
(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆

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南相馬ボランティア~あれから、はじめたこと

2016年05月15日 | 東北のためできること
週末、会社である部長に対して提案をしたら相手が激昂。
曰く「自分の仕事じゃない」「指示じゃないならやらない」「何をやるか、そっちで決めろ」。
そこからは延々口論、不毛な議論が続く。有意義な意見交換なんて皆無。(T▽T)
彼の言い分も分かる。唯でさえ忙しいのに、仕事を増やしたくないんだろう。
オレも間違ってないが、彼も間違ってない。冷静に話し合えば、落とし所はある筈だ。
でも、そうはならなかった。疲れたぜ(^_^;

金曜日の深夜から福島南相馬にボランティアに向かう。チーム福幸藤桜さんに参加。
今年2回目。10人程度でワゴン車に乗って向かう。
途中6号線を通って原発周辺を通過。そのとき・・線量計の数値が一気に上がった。
そのとき感じたことは・・・決して、忘れまい。


今回のミッションは或るお宅の裏山の竹の伐採。
崖に生えている竹を伐り出し、枝打ちして丸切りしトン袋に積める。
午前中、ボクは竹の伐り出し、枝打ちを中心に作業。
暑くて汗が出てくる。息が出来ず、マスクを外す。午前の作業で既にバテる(^_^;
おまけにオヤツ用に置いておいた飴の袋がいつの間にか、カラスに盗られていた。
恐るべし、福島。ナメたら、いかんぜよ。


お昼休みにこのお宅の御主人一家が差入れに来てくれた。地元のシュークリームを食べて元気が出る。
午後はひたすら枝打ち。パールを上手く扱えず軽く怪我をする。反省。
それからも竹とひたすら格闘。切った竹をどんどんトン袋に詰める。
夕方、ある程度作業が段落した処で終了。終わった後はメンバーで記念写真。
作業中は苦しかったり疲れるが、終わった後は「やった!感」がある。だから、またやれる。

ボラセンに戻って報告してさぁ帰ろうと言う時に一寸したハプニングが。
今日の1日の終わりがこれですかい?恐るべし南相馬(T▽T)

帰りは温泉に漬かって御飯を食べて東京に向かう。
チームメンバーがボランティアや南相馬に係わった経緯を伺う。
「そうした、そうせざるを得なかった」ひとたちのお話。学ぶことが多かった。

窓の外を通り過ぎる空を視ながらリクオの「あれから」を聴く。
「あれから何を終わらせたんだ 僕らは始めたいんだろう」の一節が響いた。


リクオのこの歌を聴きながら、週末の仕事でのいざこざを思い出してた。
「何もしない」のも選択の1つ。決して間違ってない。
オレだって「しないこと」「やりたくないこと」山ほど・・或る。
でも、この日視たもの。6号線、高い線量、人が住まない家、御礼を言ってくれた一家。
これらの事には、311の後、動いたから逢えたのだ。あのまま何もしなかったら絶対、逢えなかった。

何もしなくちゃ、何も動かない、何も変わらない。腐って死んでいくだけだ。
それがたまらなくイヤだった。だから、とりあえず走り出したんだ。
この日、それを改めて確かめる事ができた。行って良かった。

今年は諸事情でボランティア開始が遅れた。
でも、2月の元春仙台ライブ、先月のアラバキと東北にはイッパイ愉しい想いをさせていただいた。
このお礼参りは絶対します。こう見えてもオレは義理堅いんでね。(゚゜)\バキ☆

さ、次回は山元町か、荒浜か。南相馬もまた必ず行くぜ。
な、ヨモちゃん。やるしかないよ、な☆

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5年目

2016年03月11日 | 東北のためできること
今日で東日本大震災から5年目。
今日は1日中、腹が立っていた。怒っていた。何に対して?ワカンナイ。
進まぬ復興?政治家?原発?理不尽な事を起こす神?それとも何もできてない自分?

ネット上に追悼や黙とうを書き込むのも何だかウソくさく感じてやめた。
(あくまでオレ自身の感じ方として、の話だ)

5年前、感じたのは無力感、後ろめたさ、罪の意識だった。
その感覚は大分薄れた。
でも、今になって思う。それこそ忘れちゃいけないのだ、と。

忘れるなんて絶対ない。風化も有り得ない。
このモヤモヤをずっと抱いて生きていこう。
これこそが東北への愛だ。無くしちゃいけない。

5年?勝手に区切りつけんな。
オレと東北の付き合いはまだまだこれからだ。
オレはしつこいぜ。一生つきまとうからな。
これからも、お付き合い頼むぜ。
オレは・・もう逃げないから、な。

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南相馬ボランティアと「ますむらひろしの北斎展」

2016年03月07日 | 東北のためできること
年明けから仕事がバタバタ状態。残業続きで疲労困憊。
疲れ切っていて「やる気がどこにも見当たらない」(©カーネーション)(^_^;
そんな中、金曜日から土曜日に掛けて東北ボランティアに行ってきました。
今年初のボランティア。年末、体調を少し崩してボラは見合わせていました。
ただ、去年は1月から行ったのに今年は未だ行けてない。オレの東北魂(笑)が飽和状態。
幸い体調も良いので決行。
出発前にCoccoの「ラプンツェル」を聴く。Coccoの叫び声と長田さんのヤクザなギターに
気合いが入る。よし行くぜ。今年初の「おとしまえ」。

南相馬に行くのは昨年11月以来。そのとき御一緒したチーム福幸さんのツアーに今回も参加。
南相馬に行く前に富岡町によって慰霊碑にお祈り。6号線を通って南相馬に向かう。
原発事故のため帰宅困難区域に指定された地域。人が住まず黒い袋が通りに並ぶ光景に声を喪う。
ボクはアジカンGotchの「Route6」と言う曲が大好きなんだけど、この曲のモデルは此処。
この日、この場所を通るまで、それに気づかなかった。恥ずかしい(-_-;

南相馬に着。ボラセンは大勢の人でごった返していた。4月に避難指定が解除されるため?
今回のミッションは前回、前々回同様、竹の伐採。毎回苦労している。
10人程度で竹を切り出し枝木を採り片付ける。
普段の生活では竹を切る事は無いけど前回いただいたアドバイスを活かして斬りまくる。
ひたすら斬って斬って斬りまくる。斬ってるうちに何かハイになる。(゚゜)\バキ☆

体力に不安もあったけど風がキモチよく楽しく作業が出来ました。
最後は切り出した竹の片付け。50本位あるので時間内に終わらせるのはムリ、と思ったけど
皆で取り組んだら出来た!凄い!V(^^)積んだ竹をバックに全員で記念写真。
キモチよかったのでボラセンでTシャツを購入。普段あまりこういうのはしないんだけど。

帰着。再会を約して解散。
皆さん、お疲れ様でした、そしてありがとうございました。また会いましょう。
帰宅したらボラセンで買ったTシャツにヨモちゃんが興味津々。こらこら(T▽T)

酒を呑みながら1日を振り返る。6号線で見た光景が何度も甦る。
東北に行くと色んな物を目にする。地震、津浪の痕。瓦礫、人が住めなくなった家、線量計。
決して、見ていて楽しいものじゃない。でも、見た、知ったからにはもう「当事者」だ。
「なかった」ことにはもう出来ない。ならばどんどん見よう、知ろう。それしかない。

今年も東北に出来る限り係ろう。ずっと行ってる荒浜、山元町、南相馬は当然行く。
後、機会が有れば「石巻」にも行って見たい。オレのオトシマエは未だ続く。ヨロシクなV(^^)

日曜日は八王子夢美術館に「ますむらひろしの北斎展」に行ってきました。
北斎の名画(主に「富嶽三十六景」)とアタゴオルの世界の合体。
http://www.yumebi.com/
ますむらさんが描いた北斎の絵のあちこちにヒデヨシ他アタゴオルの住人が登場。
単なる模写、パロディでは無くて絵の中にますむらさんの色んなアイディアが盛込まれている。
ある西洋画の名画のモチーフを使った作品にボクも嫁@パンダも爆笑。
爆笑できるアートってサイコー!(T▽T)


我が家のヨモちゃん。
ヒデヨシみたいに浮かれてないけど同じくらい愉快でオモシロいコです。(^_^;

(オトコマエです)

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福島・南相馬ボランティア記~終わりなき旅

2015年11月08日 | 東北のためできること
金曜日夜から福島南相馬にボランティアに行く。南相馬に行くのは5月以来。
今回は「チーム福幸藤桜之和」さんに参加。10人ほどでワゴン車で福島に向かう。
南相馬に着いて先ずは星神社でお掃除。慰霊碑にお祈りを捧げる。
年輪の入った杉の樹が逞しい。

ボランティアをするのは小高区。原発事故のため「避難指示区域」に指定されている。
住んでた人は「一時帰宅」しか出来ない。
ただ、来年春にこの「避難指示」が解除される。
帰宅準備のせいか、多くの車が行き来し、小高区内でガソリンスタンドや御土産屋が営業。
大勢の人が神社参りをしていたのにはビックリした。
3年前、ここに訪れたときは誰もいなくて「ゴーストタウン(すみません<(_ _)>)」
状態だったのに。復興は確実に進んでるんだな。今回そう感じた。
(もちろん、帰宅には色んな課題がまだまだ残ってるのも忘れてはならない)

南相馬ボランティアセンターには大勢の人が集まっていた。
名物センター長の講話を聞いて気合を入れる。今日のミッションは「竹伐採」。
5月も確か、ボクはこれをやってあまり巧く出来なかった。今回こそV(^^)

作業場に車で向かう。あちこちで除染が進んでいる。あの黒い袋も山と積まれている。
幾つかのグループに分かれて竹材を切ったり運んだり。
ボクは竹材の切断に挑戦してみるが固くて巧く切れない。何度やってもダメ。焦る(^_^;
でもリーダーの方のアドバイスを元に再挑戦したら巧く行った!b(^_^)
その後も切断した竹材をまとめたり切ったり。。。
竹・・・重くて固くて扱いづらいんですけど。聞き分けの良いヨモちゃんとは大違いだ。
他の場所でのボラでは「瓦礫撤去・除草・荷物整理」とどっちかというと土関係の
作業が多い。こういう竹材を扱うのは慣れておらず大苦戦。
都度チームリーダーの方のサポートやアドバイスに助けられた。感謝☆

会社の仕事は自分で計画し何とかこなせている。
でも、こういう場所に来ると裸の自分が如何に無力で無能か、を突きつけられる。
作業は楽しく出来たが反省点は多い。次回に活かそう。
それでも終了の頃には殆どの竹材を伐採できていた。やったね。
(いや「やった」のはチームの皆さんでオレじゃないんだが(゚゜)\バキ☆)

ボラセンターに戻ると近所の犬さんが寄ってくる。
人には慣れているけど知らない人と遊ぶのは怖い・・引っ込み思案の犬さん。
カワイイな。オマエ。

帰りは高速で衝突事故のあおりを受けて2時間足止め。でも何とか無事帰宅できた。
チーム皆さんには色々お世話とご迷惑をお掛けしました。
ありがとうございました<(_ _)>

昨日は筋肉痛で寝込んでました。ヨモちゃんともたっぷり遊ぶ。
ヨモちゃんは嫁@パンダにいじられて楽しそう(T▽T)


今年もあと残すは2カ月。12月にもう1度ボランティアに行けるかな?
福島、宮城、常総・・。ピンと来るツアーがあったら参加しよう。

・・・自分(テメェ)が無力なんてとっくの昔に分かってる。
でも、無力だからこそ、行くべきだ。やるべきだ。
大好きな東北のために?勿論。でも、結局はテメェ自身のために、だ。
無力な自分でも瓦礫は運べるし竹は切れるんだ。やれることは、まだまだある筈だ。
だから、また行こう。「おとしまえ」をつけに。な、ヨモちゃん☆

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仙台荒浜ボランティア・夕暮れの空

2015年09月22日 | 東北のためできること
シルバーウィーク。初日の土曜日はWEB友さんを読んで我が家で呑み会。
嫁が漬けた梅酒を皆で呑む。元春をネタに呑んで話して笑った。愉しい!
友人が持ってきたフルーツ盛り付けのババロア美味しかった!

でもボクは途中で退出。幹事が途中で抜けてスミマセン。<(_ _)>

途中で抜けた理由は仙台・荒浜にボランティアに行くため。
7月、8月とボラは雨で中止。今度こそ・・・行きたかった、いや行かねばならなかった。
深夜バスで仙台に向かう。呑んだ後だけどバスの揺れは心地よく眠れました。

早朝仙台着。よし晴れている!やっと来れた!やるぜ!V(^^)
駅中や駅前が若い女子で溢れている。嵐のライブを観に来た女子たち。
ライブだけで無く東北の色んな場所を観てお金を落として行ってね(余計なお世話だ^^;)

バスで荒浜に向かう。先ずは海岸部の見学。震災から4年半。整地も進んだ。
でも、此処にはもう誰も住めない。慰霊碑にお祈りし亡くなった方の名前を読む。
此処には人が住んで生きていたのだ。唯の「死者」という記号で片付けたくない。
逢ったことは無いがせめて名前だけでも憶えておこう。


現地ボランティア「ReRoots」に向かう。顔見知りの学生さんが歓迎してくれた。
噂のヤギさん「ゆずちゃん」とも逢う。人懐っこくてカワイイ~!

午前中はヒマワリの収穫。学生さんやボランティアさんと大勢で作業。
お話しながら和気藹々と進める。愉しい。
ReRootsの学生さんも代が変わっている。
ボクが4年前から通っていると言うと尊敬されたV(^^)

お昼はRe-Rootsの皆さんが造っている野菜とその野菜を使ったカレーを食す。
長年此処に通っているが地元の野菜を食べたのは初めて。カレーは適度にビターで旨い!

午後はあるお宅で瓦礫拾い。大きな石がゴロゴロ出てくる。
瓦礫撤去は終わったと思うけど、移転先から戻ってきてこれから瓦礫を除く家もある。
仙台は復興が進んだとか言うけど、支援はまだまだ必要なんだ。

終了後、ハウスでRe-Rootsの皆さんと色々話す。
代が変わってもRe-Rootsは続いている。終わらない。
NPOが活動を継続するのが如何にムツカシイか、素人のボクでも分かる。
続けている彼らの意志と行動力にはひたすらアタマが下がる。
また来よう。「支援」なんかじゃない。彼らに逢うために。

仙台駅前から見た夕暮れは唯々キレイだった。これを見ただけで来た甲斐があった。

晩飯をとって帰りのバスに。待合所で寝てしまって発車ギリギリで乗る。
危ない危ない(^_^;

月曜日の早朝帰宅。ホッと一息。
ヨモちゃんが少し甘えてくる。ヨシヨシ、オレが居なくて寂しかったかい?
嫁に「学生さんからリスペクトされたぞ」と自慢すると
「若いコが気を遣って言ってるのに何真に受けてるんだよ」とツッコまれました。
確かに(^_^; 嫁の容赦ないツッコミを聞くと「ウチに帰ってきた」と実感します。
さ、ヨモちゃん。休みはまだ続く。今日は何して遊ぼうか?



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