僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
コメント欄はモラルを守った上で御自由に書込みどうぞ。

デモと東北ボランティアとルーシー・リー展

2015年07月20日 | 東北のためできること
先週は色んなことをやった。ざっとまとめてみました。

●安保法案反対デモ
「安保法案」について議論がされている。
リスク対策は必要だろう?アメリカとの関係も理解してる積りだ。
一方で「何故急ぐ?」「憲法との整合性は?」「この次に何がある?」色んな疑問が湧く。
水曜日朝Twitterにこの法案について意見を書き込んだ。
嫁@パンダから「他人任せにしてないか?」とダメ出しされる(^_^;
「法案可決」の記事を読んだら血がアタマに上った。決めた。デモに行くぞ!
安倍ちゃんに果たし状を叩きつけて来よう。
Bloodthirsty Butchersの「イッポ」を聴きながらテンションを挙げて国会議事堂に向かう。
既に大勢の人が集まってる。学生リーダーと一緒に声を挙げる。
「法案反対!」「勝手に決めんな!」
何より学生さんが言った「民主主義って何だ?」の声が印象に残った。
この国に民主主義はあったのか?あるのか?明快な答えが出せない自分が情けない。

帰宅して嫁に「安倍ちゃんにケンカを売ってきたよ」というと嫁曰く
「キミがしたのは″ピンポンダッシュ´では?」・・確かに(T▽T)
法案は通ったが未だ諦めない。民主主義が無いなら作ればイイ。
今後も視てるぞ。そして納得しなければ声を挙げる。あくまでキレイなコトバでねV(^^)


●宮城県亘理山元町ボランティア
週末は宮城県亘理山元町にボランティアに行った。
宮城県は自分にとって大事なピンポイント。でも今年ボラツアーに申し込んでも人が
集まらなくてツアーが中止になったり行っても雨で中止と活動に至らなかった。
山元町に行くのは2回目、去年1月以来。
先ずは地元の語り部さんの案内で津浪被害を受けた小学校を案内してもらった。
津波にあったとき先生と生徒はこの学校の屋上の倉庫に避難して助かった。
この学校の先生は普段から津波を研究し訓練をし備えてた。助かったのは決してラッキーじゃない。

語り部さんからは他にも色んな話を教えていただいた。復興が進んだ部分、新たに出た問題。
表面ではワカラナイことが沢山ある。それを忘れまい。
途中でファームによってポニーと遊ぶ。凄く人懐こい。オマエ、カワイイな。

今回のミッションはイベントお手伝い。ボクは雑草駆除と菜の花の種まき。
暑い。でも海辺の町ということで時々涼しい風が吹いてキモチいい。
作業場の近くに子猫が居てボランティア皆さんに遊んで貰ってる。嬉しいのか飛び跳ねる。
オマエ、カワイイな。

午前中はひたすら作業、でも午後はイベント見物。地元出身のロックバンドの演奏や
コーラスグループサーカスのメンバーの娘さんのライブを観る。
ボランティアに来てこんなノンビリ楽しんでイイのか?
地元のボラリーダーさんは「まぁ偶にはイイでしょ?」と笑ってた。

帰りのバス、窓の外に広がる夕暮れは美しかった。虹も出た。
宮城県やっと来れた。山元町、また来よう。あの猫さんに会いに。
荒浜も南相馬も当然また行くぜ。オレの偽善はまだ終わらん。


●ルーシー・リー展
3連休、昨日は千葉美術館に「ルーシー・リー展」を嫁と観に行く。
http://lucie-rie.exhn.jp/
数年前、日曜美術館で紹介されて何度か展覧会に行った。
30代結婚前に総武線沿いに住んでいた。千葉は何度か遊びに行った。
パルコはマニアックな音楽本やアート本が置いてあって好きだったな。
暗黒の30代、おかげで度々楽しく救われた。
千葉に行くのは実に15年ぶり。結構変わったな。

ルーシー・リーの作品、以前観たもの、今回初めて観る物。でも印象はいつも斬新。
ピンク色の陶器なんて凄い発想、でもケバケバしさは無くむしろオシャレ。
青い陶器の美しさ。他の作品もどれもモダンでポップ。そしてカワイイ。
作品から「ウフフ♪」「キャ♪」という女の子が聞こえてくる。
ルーシーさん、どの作品も楽しんで造ったんだろうな。イヤ、ホントに愉しかった。


最後に我が家の王子。オマエ、カワイイな。(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆

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昨日ぼくは仙台に何をしにいったんだろう(岡村ちゃん風に(笑))

2015年06月07日 | 東北のためできること
週末は仙台ボランティア。荒浜に行くのは去年の9月以来。燃えるぜ。
早目に帰宅して嫁@パンダとごはんを食べる。
そろそろお出掛けしようか?というときにヨモちゃんが奇跡を起こした。
波動砲とスカッドミサイルの同時発射。ヨモちゃん、キミはサイコーだよ!\(T▽T)/\(T▽T)/
ボクも嫁も大爆笑。今回の旅はきっと良い旅になるに違いない。


今回はツアー参加で無く個人参加。新宿で深夜バスに乗って仙台に向かう。大雨。仙台も雨。
作業着に着替えて街を散策。青葉通の新緑がキレイ。

雨やんできた。これは大丈夫かな?ヨシ、がんばるぞ。バスを待ってると中止の連絡が!(T○T)
え~!折角仙台に来たのに・・・でも仕方ないな。(-_-

さて帰りのバスの予約は深夜11時。それまですることが無い。どうしよう。
先ずはバス会社の窓口に行って深夜バスをキャンセルして夕方発のバスに振替える。
さて・・これからどうしようか?

折角なので深沼海岸に行く。津浪被害が甚大で多くの方が亡くなった場所。
震災直後に比べてキレイに整地されている。でもやはり傷痕は残っている。
この4年半・・・此処には何度も来た。でもこの光景は決して見慣れない。

慰霊碑に祈りを捧げリクオの「はかめき」やHWの「満月の夕」を聴きながら歩く。
ボランティアが植えた花がキレイ。
今日、ここで感じたことは決して忘れない。また来るよ。


で駅前に戻って・・・さて何しようか?
いつも「仙台でゆっくり遊びたい」と思ってたので丁度良い機会なんだけど・・
何処に行けばイイのかワカラン。映画?展覧会?折角仙台に来てそれもなぁ。
ともかく街中を歩くことにした。大好きな仙台を歩きたかった。
サンモール商店街で古本市が開催。お店の人が床に座ってお客さんと談笑。楽しそう。
歩いているうちに東北大学まで来る。辺りは緑、旧い建物・・なんかイイ感じ。


その後も散策。以前行ったことが或るサブカルな古本屋で川本三郎さんのエッセイ本や
リクオのCDを購入。以前行ったことがある居酒屋さんが昼やってるラーメン屋でランチ。
結局行ったのは古本屋、本屋、雑貨屋、CDショップ。
東京で遊ぶ時と変わりばえしない。嗚呼なんて貧しい生活パターン(゚゜)\バキ☆

夕方のバスで東京に戻る。バスの中で音楽を聴きながらゆっくり休む。
バスの窓の外に流れる仙台の空はキレイ。
佐野サービスエリアで見た夕暮れの空は血で染まったような鮮やかさだった。


帰宅。嫁に「ボランティア中止になった」と言ったら「仕方ないよ」と言ってくれた。
ウン、仕方ないね。ボランティアやりたかったけど・・・ウン、しゃあない。
天候の所為だから仕方ないけど、オレ仙台に何をしに行ったんでしょう?
ま、楽しかったからイイか?

今日はウチでノンビリ過ごしました。ヨモちゃんはキモチよさそうにお昼寝。
今日は奇跡なし(^_^;ま、このコは存在そのものがミラクルだけど(笑)


荒浜ボラ・・来月またあるだろう。次回も絶対行くぞ。今回のリベンジをしなくちゃ、ね☆
今回はハプニングあったけど、楽しかった。やっぱり仙台イイな。好きだぜ。
ラブ・ユー・仙台!Yeah!(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆

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福島南相馬ボランティア記~色づく街

2015年05月10日 | 東北のためできること

週末は福島にボランティアに行ってきました。今年3回目。
3月同様、ボランティアチーム援人の南相馬ツアーに参加。
こちらのチームは毎週南相馬に通っているとの事。頭が下がります。

金曜日深夜東京駅前で待ち合わせ。10人程でワゴンに乗り込んで福島に向かう。
早朝に南相馬着。原町にある道の駅で休憩。その後は海岸近くの運動公園を見学。
この海岸は津浪の被害を受けた。土上げの工事を行っている。
運動公園は様々な遊具が備えられている。3年前は津波の影響で荒れていたらしい。
子供たちが遊具で楽しそうに遊んでいる。ここまで復旧したんだ。何か熱くなった。

花が色づいて美しい。穏やかな風景。
此処が数年前、被害を受けたなんて信じられない。でも、確かにそれはあったのだ。

後で気づいたが折角海岸近くに来たのだから津浪で亡くなった方に黙とうを捧げるべきだった。
いつも東北に来た時は必ずしていたのに・・忘れてた。反省。

小高区に入りボランティアセンターに集合。大勢の人が集まっている。
名物ボランティアセンター長の講話を聞いた後はいよいよ作業。今日はあるお宅で竹林の伐採。
前回の籾殻収集に続いて初めてやる作業。

午前中はバールを使っての竹の枝抜き。バールが巧く使えず大苦戦。結構体力を使う。
1時間程でバテバテ。依頼主さんから「しみ天」の差し入れをいただく。
これ揚げ饅頭風の味で甘くて美味しいんだ!食べて一気に復活(単純^^;)

午後は別の方が切り出した竹の木を運搬。重い。こちらも苦戦。
午前中、枝抜きした竹の木をテキトーな場所に置いたため、
午後の運搬の際の邪魔になってかなり非効率。これは大いに反省すべきだ。
竹の伐採自体は初体験だけど、ボランティアは何度もやってるんだからこれ位アタマ使えよ
>自分

3時で作業終了。結局全ては終われなかった。残念。
ボランティアセンターに戻って着替えた後は地元のアンテナショップで買い物。
レジの横に募金箱が置いてあった。「ネパールとチェルノブイリの子供たちのために」
と書いてある。ご自分たちも大変なのに他の困った人のために募金を募るその姿勢に敬服。

帰り二本松で浪江焼きそばをいただく。旨い!
このお店の御主人も原発事故の影響で避難してきてこの街でお店を再開した。

小高区は原発事故の避難指定区域で人は住んでいない。一時帰宅のみ許されている。
でも来年春に避難解除を目指している。
2年前、此処に来た時は「ゴーストタウン」状態だった。街に活気が無かった。
今回は一時帰宅だけど色んな人が街を歩いているのを見た。皆さん笑顔だった。
アンテナショップのスタッフが明るかった。
何となくだが・・・街に活気が戻っていると感じた。
この街に戻る人、戻らない人、選択は色々あるだろう。
でも、その選択は何度も何度も考えた上の結論と思う。
その結論は支持したいしオレが出来ることはしていこう。

帰路、窓の外は雨。でも夕暮れが美しかった。南相馬の空・・また見に来るぜ。当然だ。


真夜中に帰宅するとヨモちゃんが甘えてくる。オレが居なくて寂しかったのかい?
ヨシヨシ、イイ子イイ子~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~

次回はすっかり御無沙汰の宮城に行こうか。
オレの偽善はまだまだ終わらない。終われない。な、にゃにゃん☆

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福島南相馬ボランティア記

2015年03月15日 | 東北のためできること
昨日は福島県南相馬にボランティアに行ってきました。
先月、とある旅行会社のボランティアツアーに申し込んだけど人が集まらず中止。
別の団体のツアーも同様の理由で中止。
何とか相馬に行きたくて探しているうちにボランティア団体「援人」のツアーを見つける。
金曜日の夜、東京駅前に集合してワゴンカーで福島に向かう。参加人数10名。
常磐道が開通したこともあって思ったより早く到着。

南相馬にボラに行くのは昨年4月以来。すっかりご無沙汰。スマン<(_ _)>

今回の作業場所は小高区。その前に原町区の津波の被害跡や慰霊碑を見学。
いつも参加の旅行会社ツアーだと原町区の様子はあまり見ない。
原町区は被害が少なかったのかな、と思ってたがトンデモナイ勘違いだった。
土地は荒れ、多くの方が亡くなっている。今回、これを視てよかった。

小高区に入ってボランティアセンターでセンターリーダーの講話を聞く。
南相馬の状態も色々変化があったことを知る。そして作業場所に向かう。
今回はある農家さんのお宅で籾殻の撤去作業。
宅地内に山ほど或る籾殻を除去し除染処置をするための準備作業。
((注)籾殻の除去作業のみで「除染」は行ってません))

ここに住んでいた方は原発事故の影響で避難している。小高区は現在誰も住んでいない。
昼間の帰還は許可されているが、夜間は禁止。放射能線量も決して低くは無い。
((注)1日作業したくらいでは影響の無い数値レベルです))

リーダーの指示のもと、籾殻を集めてトン袋に積んでいく。
最初は元気よく作業できたが、後半はかなりバテた(^_^;
トン袋が重くて運んでいるうちに足腰が痛くなりフラフラ、情けない。
でも、力いっぱい作業ができた。
半日作業して30個近くのトン袋が出来たが、全部は終わらなかった。残念。

作業はメンバー間でお話しながら楽しく出来た。
でも・・南相馬の現状・・正直去年4月来たときより復旧が進んでいるとは思えない。
(あくまでボクが「視た部分」では)
放射能の線量、避難者に対するある部分でのケア不足。課題は多い。
その話をしたときリーダーは悔しそうだった。

帰りは二本松で「浪江焼きそば」をいただく。いつもはSAで食事なので地元のお店で食べるのは嬉しい!
大盛りを頼んだけど食べきれず残してしまった。スミマセン、でも美味しかったよ♪
東京駅に到着して解散。再会を約して別れる。

帰宅後、録画していた「東北Z まちのうた」を見る。
相馬をモチーフにしたくるりの歌「SOMA」についてのドキュメンタリー。
知人のレコード屋さんが大々的にフューチャーされていたのが嬉しかった。
フレスコキクチ、蔵菊地蔵、松川浦、自分が行った場所も沢山出てきた。
ウン、相馬もまた行こう。

福島南相馬・・色んな問題がある。前に進めない部分もあろう(勿論、前に進んだところも)
避難している方の苦しみ、残って暮らしている方の逡巡・・・オレなぞには想像つかない。
でも・・それでも福島はステキだ。良い処が沢山あるし楽しい発見が沢山ある。
行くたびに好きになる。
相馬、南相馬は仙台と並んでオレにとって大切なピンポイントだ。

写真は南相馬の空、サイコーにキレイだ。
また行こう。この空に逢いに行こう。☆

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ひかり

2015年03月11日 | 東北のためできること
今日で東日本大震災から4年目。
2時46分にネット上で追悼を言うのも、黙とうするのも・・・
何か違う気がする。(あくまで「オレ自身の問題」として)
勿論、追悼のキモチはあるけれど・・・それをネット上に
書くのは何か違う。絶対違う。

311、4年目が近づくにつれ、何か矢鱈怒りの感情と違和感が湧き上がって
止まらない。進まない復興、政治の対応、東電の対応、
数値データを並べて「復興格差」を語る評論家、無関心な人。
「4年目」という記号を暴力的に流すメディア・・・なんかおかしい。
なんかへんだ。
未だに荒れ果てた福島の映像に、未だに住む場所が決まらない被災者の
皆さんの疲れた表情に・・・また怒りを覚える。
なぜ、4年経ってもこの状況なんだ?おかしいだろ?
誰が邪魔をしてるんだ?どいつだよ?出てこい!
そして、何より未だに何もできていない無力な自分に・・・腹が立つ。

アジアンカンフージェネレーション「ひかり」。
4年前、震災直後にGotchが書いた歌。
彼が震災を通じて感じた感情をそのまま書き連ねた歌。
この歌が現在(いま)の自分に一番しっくり来た。
http://www.uta-net.com/movie/159985/

Gotchはこの歌の中で歌っている
 ″せめて僕は覚えていよう 東京の街で途方に暮れた日々を″
 ″せめて僕は憶えていよう 圧倒的なこの無力を″

4年前の今日を忘れない。あのとき感じた無力を。絶対に忘れない。
そして、今日この日に感じた怒りも絶対忘れない。いや忘れちゃダメだ。

この無力感と怒りを晴らすには東北に行くしかない。
だから、行こう。オレにはそれしかない。

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ボランティア初め~福島会津に行く

2015年02月22日 | 東北のためできること
今週は仕事でバタバタ。強敵2部門の監査。
1つは相変わらず強い批判を浴びた。もう1つはいつもと違ってにこやかに話せた。
まぁ2連敗じゃなかったのでヨシとしよう。

去年は東北ボランティアは1月から始めた。今年もそろそろスタートしたい。
宮城県山元町、福島南相馬、幾つかツアーを申し込んだが人が集まらず中止。残念(-_-
で、昨年末参加したNPOのツアーに参加することに。今回の場所は福島県会津。ボクは初めて行く。

浦和からワゴンバスに乗って会津を目指す。若い人が多い。
常連さんのおばさんとお喋りしながら道中楽しく過ごす。
猫好きのこの方、ヨモちゃんの写真を見せると目を細めてらした(^_^:

今回の活動内容は除雪。つまり雪かき。目的地に着くと町中、雪だらけ。
屋根の上に雪が積もり道も家の壁も雪に埋まってる。
とある幼稚園の建物の周囲、入口の雪を20名程度で除雪。
シャベルで雪を掘り出し、ネコで運びだし水路に流し。
雪の無い地方で生きてきたボク。齢50にして生まれて初めての雪かき。
30分作業しただけで既に腰が痛い。肩が痛い(^_^; 今日1日ダイジョウブか?


辺り一面真っ白。掘っても掘っても雪が落ちてくる。雪、結構重いぞ。
あまりの大量の雪に「これ全部はムリ」と思ってた。
でも大勢で1日作業したら、終わったときはすっかりキレイに。
雪に埋もれていた道も家の壁も顔を出しました。


1日汗を流してキモチよく動けた。
でも、此処に住んでる人は普段これだけ大量の雪の中で生きている。
会津は目立った震災の痕は見られなかったけど、仮設住宅に住んでいる方もいる。
自分が係るのはホンの1日。その他にも見えない見ていない景色があるのだ。
それを絶対忘れまい。

帰りのバスの中、参加者の人と楽しくお喋りして過ごしました。
参加者の皆さんは気さくでリーダーもキャラがオモシロい。ウン、また参加しよう。
帰宅したら筋肉痛で寝込みました。今朝も腰が痛い(^^:

次回は南相馬、閖上、山元町でツアーがあれば参加しよう。

前の日記でも書いたけど最近ボラツアーの中止をよく見る。
山元町、南相馬・・申し込んだツアーがいずれも人が集まらず中止。
来月予定の南相馬ツアーも人が集まらず早々に中止。

もうすぐ。。。4年。忘却と風化が始まってるのか。
でも、昨日参加したNPOの様に継続して福島をサポートしてる方たちもいる。
細かく探して行けば東北に行く機会は幾らでもある筈だ。

風化?忘却?そんなの世間の阿呆やメディアが勝手にほざいてるだけだ。
オレの中では「風化」は有り得ない。オレには関係ない。
だから、今年も東北に行くぜ。何度でも。



(嫁@パンダがアプリで加工したヨモちゃんの写真。表紙モデルデビュー(゚゜)\バキ☆)
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福島いわきボランティアと衆議院選挙

2014年12月15日 | 東北のためできること
土曜日は久しぶりのボランティア。日帰りで福島いわきに行ってきました。
ボランティアは9月の荒浜以来。ここ最近、週末の予定が詰まっていて中々行けず。
でも年内にもう1度だけ行きたかった。
色々探したら福島いわきで農業支援とクリスマスイベントのお手伝いあり。
いわきのボランティアは2012年5月に1度行った。
今回ツアーの主宰は「絆ジャパン」。ここのツアーに参加するのは初めて。
http://ameblo.jp/hakuyukai/entry-11548202241.html

いつも行ってる宮城や相馬は深夜バスで行くが、今回は早朝集合。
いわきって東京から結構近いんだ。
参加者は全部で30名程度。若い人が多い。キャンピングカーで一路福島を目指す。
下の写真は旅のお供。
ヨモちゃんの写真は嫁@パンダが持たせてくれました。(「○○の土産」って(^_^;)

途中で友部SAで休憩。名物「あんこう焼」を食う。旨い!


10時過ぎに現地到着。ボクの所属するチームはある農家さんの農業支援。
なお、今回は諸事情により現地の写真は撮っていません。
作業内容は「綿花の収穫」。農家のおじさんとメンバー5人で作業。
和気藹々と話しながら楽しく作業ができました。
綿花の手触りはフワフワとしてキモチいい!丸でヨモちゃんを撫でてるみたい!(T▽T)

午後は別の畑でまた収穫作業。寒かったけど楽しく出来ました。
夕方作業終了。農家さんに別れを告げて東京に戻る。
楽しかったな。ただただ、楽しく作業ができた。
今回で東北ボランティア参加は20回目。
2011年9月の仙台荒浜初ボランティア以来、3年半で20回。
もっと行って人はいるし数の問題ではないが(笑)
今年はボランティア7回。その他に岩手にコレのライブ、相馬にチャボさん&洋のLIVEに行った。
一年間で実に9回。どれだけ東北が好きなんだ>自分(゚゜)\バキ☆。(゚゜)\バキ☆

そうオレは東北が好きだ。東北について何も分かってないし何も知らない。
でも勝手に好きだ。勝手に「第二のホームタウン」に決めてる(゚゜)\バキ☆
もう、「後ろめたさ・申しわけなさ」で行く段階は抜けた。
「好きな場所」だから行く。何度でも「還る」。それだけ、だ☆
東北、1年間世話になったな。また行くぜ☆

昨日は衆議院選挙。突然の解散。一体何の意義があるのか?よく分からん。
「安倍ノミクス」上手く行ってるなら、そのまま続ければイイじゃん。
色々考えて前回の選挙と同じ党に入れた。政党補助金も企業献金も貰わないこの党。
しかも毎週議員が金曜日の「脱原発デモ」に参加している。
「インディーズでロック」な感じがしたから入れた。この選択に後悔はしていない。

結果は予想通りの自民党大勝。投票率も過去最低。
ボクの入れた党は議席を伸ばしたが大勢に影響は無い。
TVの選挙特番で色んな政治家のインタビューを見た。
一番心に届いたのは若手の小泉進次郎の話だった。
当選確実でも彼は浮かれておらず「選挙後」に目を向け「これから」について話してた。
そんな議員は与野党とも、他に誰も居なかった。

大人たちは「選挙に行かない若者を非難する」前に彼を見習うべきだ。
敗けた選挙にこだわらず「次」を考えればいい。選挙以外にも政治に係り意見する機会はある。
アジカンのゴッチは「The Future Times」最新号の中で
「選択をしていけば時間が掛かっても変わる」と言った。
そう、これまでと別の選択をしていけば「未来(いつか)」何かが動くはずだ。
今回の選挙で政権を変えることはできなかった。
でも、今回「NO!」と突きつけたことが数年後、数十年後に繋がるかもしれない。

多額の借金・政治の暴走・危険な原発を若者に押し付けて
のうのうと生き延びる腐った年寄りにはなりたくない。
若い奴を非難してるヒマがあったら、もっとやるべきことがあるはずだ。

な、ヨモちゃん。これじゃ老後キミと安心して暮らせそうもない。
嫁@パンダとヨモちゃんとのLIFEを楽しむために、オレはあきらめないぜV(^^)

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てつがくカフェ@せんだい×TOKYO

2014年09月14日 | 東北のためできること
3連休。土曜日は都内であった震災関連のイベントに参加した。
「てつがくカフェ@せんだい×TOKYO」
http://tetsugaku.masa-mune.jp/

311を切っ掛けに仙台で始まった所謂「語り場カフェ」。
実はこのイベントの存在はずっと前からチェックしていた。
「311」について誰かと話したいキモチがあって、「語る場」が無いか
チェックしていたらこのイベントを見つけたが・・生憎仙台のみの開催。
でも今年から東京でも開催。良い機会だと思い参加しました。

会場は練成公園の中にある千代田アートギャラリー。
地下鉄を出た後、迷って(^^:・・かなり遠回りして到着。


主宰者スタッフは5人程度。東京の人、埼玉の人、仙台から来てる人も居る。
参加者は10人程度。若いヒトが多い。
ファシリテーターは主宰者の女性。終始穏やかに進行してくれたので緊張せず話せた。

今回のテーマは「震災を語る資格?」。重いタイトルだ。
先ず今回のテーマ「震災を語る資格?」について参加者が意見を自由に話す。
次にそこからキーワードを拾い、最後に1つ問いを決めて焦点をあてて話し合うという進行。
以下、備忘録を兼ねて各自の意見や思った事を列記します。


1.震災を語る資格
 ①東京に住んでて大した被害を受けてない自分に「語る資格」があるか
  ②東北に何度も行って色々見たが「語る自信」が未だ無い。
  何かを語ったとしても「それって真実か?」ともどかしさを感じる。
 ③誰に何を語るのか?
 ④語る「資格」は誰にでもある。感じたことは誰でも語れる。問題は「共有」できるか?
 ⑤「伝える」と「語る」は違う。「伝える」は事実を伝えること。
  「語る」は自分の感想や想いを表現すること。

2.キーワード
  ①「語る」とは何?言葉で伝える。意志を込める。キモチを込める。
 ②語る主体は「個人」。客観性は無くても良い。
 ③実際に知っていること、見たことでないと語れない。
  では「経験していない」と語る資格は無いのか?
 ④時間、空間、距離感

3.問い
  ①語ることで共感できるか?何を語るのか?何を以て語るのか?
 ②語ることで何を埋めたいのか?語ることのゴールは何か?
 ③なぜ震災を語る資格が問われるのか?
 →「③」をセッションテーマに決める。

4.なぜ震災を語る資格が問われるのか?
 ①他県から来た人で「阪神大震災を経験してる」とか
  「ボランティア何回も来てる」を言う人がいるけど「だから何なの?」と思う。
 ②①は「共感したい」という意志表明ではないか?
 ③「同じような経験をしてる」「現地に行ってる」を話すのは「怖い」から。
   第三者が当事者に話すときどう話してよいのか不安がある。
  だから「コミュニケーションの糸口」を模索する。
 ④東京に住んでいても311で喪ったものがある。
  他者に語ることで「311で喪った自分のアイデンティティ」を取り戻したい。
 ⑤ゴールは矢張り他者との「共感」だと思う。


議論は白熱したが残念ながら時間切れ。
参加者は積極的に意見を出してたし相手の意見を否定しない。
ファシリテーターは進行を急がず、仙台スタッフの議論を波立たせる(笑)
ツッコミもオモシロかった。
今日の一連の流れ、何となく元春の「ソングライターズ」を思い出した。
あれも元春がファシリテーターとなって参加者が自由に伸び伸びと意見交換ができた。
今日もそう、ファシリテーターが沈黙を怖がらずゆっくりと進めてくれたおかげで
キモチよく話せた。
若い参加者も臆すること無く堂々と意見を述べていて好感が持てた。

一旦議論が終わった後、残ったメンバーでフリートーク。
「311を切っ掛けに失恋した」「それも被害では?」
「経験したことしか話せないならボク等は戦争についても話せなくなる」
「経験=すべてならアーティストは何も歌えない」等々、色々話した。

ボクは幸い音楽友達と311について色々話す機会を持てている。
でもほかの参加者は日常生活の中でそれほど話す機会は無いのだろう。
皆さん、葛藤や逡巡を抱えながらも「自分の想いを語ろう」としていた。
それが素晴らしかった。
ボク自身は「語る資格が自分にあるか?」はワカンナイ。
東北には何度も行っている、色んな場所の被災状況は見てる。でも、だから何だ?
被災した方の本当の痛みを分かっているか?なんて言い切れない。
いや・・・多分分かってないんだろう。
でも、行って見て・・・こういうネット上でその体験を書き綴る。それはやめない。
黙っていたって何も変わらない。間違えようが勘違いしていようが、まずは語ること。
自分がこの眼で見てきたことを書き記すこと。そこから何かが始まるはずだ。
そう信じたい。

刺激的な時間だった。次回は11月開催。タイミングが合えば是非参加したい。

お休みの間、ヨモちゃんは矢鱈甘えっこ♪
嫁@パンダはウチにいるのがウレシイのか嫁にベッタリ(T▽T)
明日からまた仕事。「話したくない人」だらけだけど諦めて必要なだけは話します。(゚゜)\バキ☆



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リ・スタート~仙台荒浜ボランティアレポ

2014年09月08日 | 東北のためできること

週末、仙台荒浜にボランティアに行ってきました。
7月の日記で「暫く東北には行かない」と書いた舌の根が乾かぬうちにもう行きました(^_^;
スンマセン、オレは平気でウソをつく男です。(゚゜)\バキ☆

7月に行った荒浜、南相馬、福島で圧倒的な「無力」を感じた。
311以外でも色んな「無力感」に苛まされてた。
でも、もともと自分が「無力だ」なんて分かってたこと。
「無力だからって何もしない」それはイヤだ、腹が立つ、ムカつく。
全てはそこから始めたんじゃなかったのか?

今回、現地主宰者から「ひまわりプロジェクト」に誘われたので良い機会と飛びついた。
いつも通り深夜バスで仙台に入る。仙台の朝の空気は澄んでいる。空もキレイ。

バスで海岸部に向かう。いつも通り深沼海岸を見学。
海岸に向かう途中、学生ボランティアRe-Rootsのメンバーが作業をしていて声を掛けられた。
あ、チャンとオレの名前覚えてくれてるんだ。それが嬉しかった。
まぁ荒浜には10回近く来てるし、体型も目立つしね(^_^;

深沼公園は防災公園として利用するそう。工事が進んでる。
あちこちにRe-Rootsが植えたヒマワリが咲いている。
慰霊碑にお参りした後、色々歩いてみる。荒れた土地もだいぶキレイになった。
でも、此処にはもう人は住めない。それを考えると胸が痛くなる。

Re-Rootsに向かう。多くの人が集まっている。顔見知りもいる。
今日行う作業はヒマワリの種の収穫。再度海岸地区に向かう。

20人ほどで作業。ヒマワリの花を刈り取り種をこそぎ取る。
かなり暑い。今日の最高気温は30度。
ヒマワリの花、結構重い。種を取るのもちょっとした作業。
でも大勢で和気藹々とお喋りしながらの作業は楽しい。
何より、こんなに沢山のヒマワリを触ったのは生まれて初めて。貴重な体験をした。

午後まで作業して終了。
その後はRe-Rootsが行ってる「野菜の移動販売~くるまーと」を見学。
Re-Rootsでは被災した農家さんが再び作付に入るのをサポートしてる。
更には出来た農作物の販売をしている。
その一環として自分で車を改造し海岸周辺の地区で売っている。
この辺りは大きなスーパーマーケットは無いしお年寄りも多い。
よって「遠くまで行けない人」にとっては移動販売は大助かりなのだ。

大勢の人が野菜を買いに来ていて賑わっている。売っているのは皆大学生。
そのうちの一人は「くるまーと」のテーマソングを自分で作ったとの事。
聴かせてもらったけどかなりレベル高い!PV作ってYouTubeにUPしてほしい!
オレも折角なのでヒマワリの種からとれた「なたね油」を購入しました。

ここでRe-Rootsとはお別れ。知り合いに駅まで送ってもらった。
道中、2人で「Re-Roots凄いね」と話す。
知り合いと別れた後も、今日「見たこと」を振り返った。

農業の体験が無い学生が地元の農業の復興に携わり荒れた土地を復旧し
作付け出来るまでの段階に持っていく。更には販売まで行ってる。
東北の若者の実行力、発想力には只々感服する。
簡単に書いてるけど、これって凄い事なのだ。
東北の「底力」、しかと見せて貰った。

「支援」なんてとんでもない。彼らは自分(テメエ)の力で何とかしてる。
自分でチャンと「おとしまえ」をつけている。

もう「支援」とかじゃない。Re-Rootsが何処まで行くのか見たい。
これからも機会があれば「ボランティア」は参加するけど、むしろ
Re-Rootsが企画するイベントに参加するって形が増えていくんだろう。
イヤ、それは良いことだ。3年半経ってようやく次の段階(復興)に進んだんだ。
勿論、未解決の問題は山ほどある。でも彼らならそれも乗り越えていけるだろう。
その段階でオレにもお手伝い出来ることがあれば当然行く。

オレは彼らの未来(おとしまえ)を今後も見ていきたい。
そして、別の場所(南相馬、閖上)にもまた行こう。
「無力感」を感じて止まっている場合じゃない。
「無力感」があるのは当然なのだ。
だから行くのだ。東北へ。もう、それでイイじゃないか。

帰宅したらヨモちゃんが甘えてきてくれた。ヨシヨシ、イイ子、イイ子(T▽T)
昨日は筋肉痛で寝込んでました。今日は会社はお休み。(゚゜)\バキ☆

ヨモちゃん、行って良かったよ。
これでまた始められそうだ。オレの偽善(おとしまえ)を。また行くぜ。必ず、な☆


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無力を知るということ:仙台荒浜~相馬~福島

2014年07月10日 | 東北のためできること

先週末、仙台荒浜にボランティアに行ってきました。
また、その帰り福島市にも立ち寄りました。
以下、ざっとレポ。

◎仙台荒浜ボランティア
 おなじみボランティア「Re-Roots」で実施している「ひまわりプロジェクト」に参加。
 津波で荒れた海岸にひまわりを植えて景観を明るくしようという地元学生の試み。
 例によって事前に深沼海岸周辺を散策。
 防災道路を作るため、あちこちで土が高く盛ってある。丸で要塞みたいだ。
 安全のためには仕方ないけど、海が見えなくなるのは何とも複雑な気分。
 ひまわりが彼方此方に咲いてる。慰霊碑にお祈りを捧げる。
 そのとき、ここ数日抱えていた「ある想い」が溶けるのを感じた。
 「消えた」のでなく「溶けた」・・・何とも不思議な感じだった。
 
Re-Roots事務所に行く。現地の顔見知りもいる。
 荒浜ボランティアも10度目。何度か行っているうちに顔見知りが出来て
 FB等で繋がる様になった。こうして現地に来ればまた会える。楽しいことだ。
 今回のミッションはひまわりの育成管理のための雑草除去。

 30人程で雑草抜き。午前は暑かったが午後は風が涼しくキモチよく出来た。
 学生さんや顔見知りと和気藹々とお喋りしながら作業する。
 群馬から来たという謎のお婆ちゃん(笑)も登場して楽しく作業が出来た。
 ウン、すっかりキレイになった。ヒマワリ満開になるとイイな。
 
 作業後、深沼海岸の裏の地区を案内して貰う。普段行ったことが無い場所。
 ここは未だに手付かずの状態だ。松の木が倒れて荒れ放題。
 遠くには海が広がっている。こんな距離を津波が来たんだな。
 そう思うとゾッとした。
 
 帰りは山形から来た知人に駅まで送って貰う。
 先ほど見た海岸地区の風景について話し合う。色々話し、最後は握手して別れた。
 ありがとうございます。また会いましょう。

 仙台は復旧・復興が進んでいるとか言うけど、まだまだ時間が掛かる。
 もっと頑張らなくっちゃ。一方で重い気分を引きずっている自分がいる。
 仙台市内を見たいところだがバスに乗って一路、福島相馬へ。


◎福島相馬
 1時間半ほどで相馬着。ホテルに入り一休み。体中が痛い(笑
 少し休んで駅周辺を歩く。土曜日の夜ということで酔っ払ったオジサン
 を街中で見かけた。
 駅前の中華料理屋さんで夕食。餃子、チャーハンが旨い!
 ただ食欲が無くて残してしまった。かなり疲れてる。
 東京⇒仙台でボランティア⇒相馬の強行日程・・ムチャがあったか。
 チャボさんがライブをやったBar101で飲もうかとも思ったが
 ひたすら眠くて止めた。次回行く時は是非。
 
 翌日は相馬散策。過去2回来た時は駅周辺は歩いたが海岸地区は行かず。
 先ずは蒼龍寺に行く。ここには津波で亡くなった方は祀られている。
 とても静かなお寺。紫陽花が美しい。お祈りして後にする。

 その後は松川浦周辺をタクシーに案内して貰う。
津波被害が大きかった地区。あちこちで修復工事がされている。
 破壊された建物、歯抜け状態の店、更地になった個人宅。
折れ曲がったガードレール。
タクシーの運転手さんは地元の方、色々話してくれた。
 「これでも大分よくなったんですよ」と笑っていた。

 相馬は過去2度来たが、被害を目の当たりにしたのは今回初めて。
ショックを受けた。3年経っても未だ・・この状態なんだ。
昨日見た荒浜の海岸地区を思い出した。
勿論、復旧・復興がそんな簡単に進まないのは分かっている。
それでも色々考えてしまった。

 駅に戻って相馬市内を散策。街中で可愛いワンちゃんを見て気分が晴れる。
 相馬神社や中村神社に行って見る。以前来た時いた猫さんとは会えず。
逞しく聳える木々に見惚れる。神社境内にポニーが居る。撫でるとなついてくる。
  カワイイぞ。まるでヨモちゃんみたいだ(←アホ^^;)


◎福島
 翌日は相馬から福島に向かう。バスの窓の外に広がる風景。
 彼方此方で工事をしている。福島着。駅前は賑わっている。
福島市内はチャンと歩いたことが無かったので今回是非行ってみたかった。
 緑が多く歩いていてキモチいい。阿武隈川周辺の景色は美しい。
 一方で街中で除染作業が進められている。その光景に何も言えなくなる。
 今回、是非訪れたい場所があった。「カフェ風と木」
http://www008.upp.so-net.ne.jp/fuutoboku/
 チャボさん、リクオがライブをやってる場所。
 
ランチに「玄気膳」をいただく。ボリュームが結構あるけど美味しくて
 完食できた。ここ・・また来たいな。次はライブを見に。
 上野に着いて帰宅する。
 ヨモちゃんが少し甘えてくれた。嫁も帰ってきて一息。やっぱりウチはイイ。
 夜は疲れがどっと出て早目に寝ました(^_^;
  


以上、ざっと書いたけど東北で感じたこと、全然整理が出来ていない。
ライブ、ボランティア、いずれも楽しかった。行った甲斐があった。
一方で荒浜、相馬、福島で見た光景が未だに頭に残っている。消えない。
あの傷跡を目の当たりにしたときどうしようもない「無力感」を感じた。
それが今でも拭えない。

大きな物の前では自分が無力だ・・というのを認めざるを得ない。
東北で見た光景、いや、それだけじゃないな。
ここ数カ月の仕事、プライベート、最近いろいろなことで「無力感」を感じる。

東北支援ももう3年目になる。ボランティア、旅行、色んな形で続けてきた。
この辺りで・・いったん、小休止しようと思う。
勿論、今後も続けるよ。「休む」たってホンの1、2カ月だし。
オモシロそうな企画があれば乗ると思うし(^_^;
でも、この2年間、ほぼ2カ月に1度は東北に行っている。
自分がしたくてやってることだが、少し錆や綻びも出てきた。
だから、一旦休む。距離を置いてみる。

今回、仙台・相馬に行ってよかった。
あのまま突っ走ってたら、どっかですっ転んで大ケガをしていただろう。
おかげで「かんがえる」機会が持てた。自分の「無力さ」を知ることができた。

オレは無力だ。でも「無力」だからこそ、やるのだ。
力のある奴は力を使えばいい。
「無力な奴」こそ何かをやらねばならない。だから、やってきたし今後もやる。
そして、今後もつづけるために一旦ここで留まる。自分の意志として、だ。

力が無いから休み休み留まりながら進んでいこう。
これはオレの「ライフワーク」なんだから。

オレの旅(偽善)はまだ続きます。
東北の皆さん、元春のツアーがはじまった頃(笑)にまた会いましょうね☆

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