僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
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棘-スケッチ・ヒロシマ2010夏3

2010年09月06日 | ノンジャンル
ヒロシマ・・・行ってよかった。ホントよかった。
この目で実際に原爆ドーム、記念公園、爆心地を見て・・確かなものを感じた。

で、「戦争」についての結論。やっぱり「戦争はキライ」だ。なくすべきだ。
武器も核も要らない。持つ必要が無い。使う必要が無い。
他の奴はどうか知らないが、オレはそう思う。

戦争が起きて被害を受けるのは政治家や軍部の幹部じゃない。
奴等は安全な場所で指示だけしてる。危険な場所には出てこない。
痛い目に合うのはオレたち、一般の人間だ。
命を失い家族や友人を失い、怪我して仕事を無くし、冗談じゃないぞ。
それにオレは兵隊になって知らない国の知らない人に攻撃なんてしたくない。
そんなもん、絶対にお断りだ。

そして、国は兵士や被災者に必ずしも十分な補償はしていない。
それは日本もそうだしアメリカもそう。
結局、戦争して誰も「幸福」にはならない。だからする必要は無い。
って言うか、しちゃダメだ。
「武装すべきだ」「正しい戦争もある」そう思う奴は別にとめない。
思うのは自由だ。ただオレは御免だ。

ヒロシマに行ってオレにできること、するべきことが分かった気がする。
戦争だの核だの、そして戦争をしたがる奴を否定すること、認めないこと、だ。

やりたい奴はやれ。ただ、関係ない人を巻き込むな。
戦争をしたい奴同士でプロレスでも殴り合いでもすればイイ。
で起きた結果についても自分達で片を付けろ。

そして国のリーダーを任されてる奴が戦争を起こすなら絶対認めない。
どこの国でも、だ。
大勢の人の幸福を奪って文化や環境を破壊して責任を取れるのか?
それだけの覚悟があるのか?
ブッシュも小泉も結局何の責任も取ってない。詭弁で逃げただけだ。
だからオレは国のリーダーを信用しない。指示には従わない。

大体、国家とか政府とか政治家とかシステムは国民の幸福に寄与すべきだろ?
それを戦争だの紛争だの起こして自分の国の人を不幸に追い込んでどーする?
そんなの絶対にオレは認めない。認めねーぞ。

戦争なんか受容れたら嫁@パンダとヨモギに申しわけが建たない。
手塚さんを読みビートルズや元春やキヨシローを聴いて来た自分を恥じたくは無い。
だから「戦争」を認めない。受容れない。
ヒロシマに行って吐が決まった。これがオレの最終決議だ。

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刻-スケッチ・ヒロシマ2010夏2

2010年09月06日 | ノンジャンル
次に見るべきは平和記念公園。
元安橋を渡って公園に入る。観光客なのか地元の人か大勢居る。
平和の鐘、原爆の子の像を見る。

その後は「原爆死没者追悼平和祈念館」に。
地下に大きなドームがある。静かな空間。
そして別の階では被爆者自身による被爆体験を綴った手記。
原爆で亡くなった広島市民の顔写真、名前の一覧。
ここは・・・キツかった。でもこれは起きた「事実」だ。

その後は慰霊碑をお参り。中央の石室に以下の文章が刻まれてた。
「安らかに眠ってください。過ちは繰りかえしません」
怒りでも憎しみでも無く祈りだけが残されていた。

そして、いよいよ広島平和祈念資料館に入る。
被爆前、被爆時、被爆後から現代に至る広島の歴史の資料を展示した場。

入って先ず、映像とナレーションが流れる。
広島が原爆でどんな被害を受けたか?
そしてまだ全世界に2万個(!)の原爆があること。
広島は世界中の原爆が無くなる迄その廃止を訴えること等が流れる。

そして、それは言葉だけでなく実際の活動に現れていた。
諸外国で核実験がされる度に歴代の広島市長は抗議文を送っているとの事。
知らなかった・・・・。

先ず、東館で戦争前の広島の歴史が丁寧に説明される。当時の生活。
広島が軍事上、重要な地点だったこと。何故広島が狙われたか?
原爆が落ちる前と落ちた後の広島市街のジオラマ。
その違いには息を呑んだ。大きな賑やかな街が焼土と化す。
たった1つの爆弾が街の文化も環境も破壊し尽くす。

そして本館。被爆の恐ろしさを徹底的に訴える。
あくまで冷静に。冷徹に。事実だけを見せ付ける。

原子爆弾の模型。時間が止まった時計。焼かれたモンペ、制服。
人の影が焼き付けられた銀行の門。崩れ落ちて変形した塀。
あまりの高温にひっついて離れなくなったガラス瓶。
そして、被爆のため皮膚がただれケロイド上になった人々の写真。
観光客の何人かはあまりの惨さに目を背けていた。
でもボクは見た。目を背けなかった。チャンと見るんだ。
ここで目を背けちゃここに来た意味が無い。

一方で被爆した翌日から早速復興が始まったこと。
青空学級。原爆ドームの保存活動。募金。広島カープ創設。
国際的な原爆廃止アピール。ボランティアによるガイド。
たくましく前に進んでいくその強さ。頭を垂れるだけだった。

資料館を2時間くらい見て出た。すさまじい事実の羅列。
でもボクの中に残ったのは暗い想いで無くて静かで強い「祈り」だった。
それがうれしかった。来て見て良かったと想った。

記念公園の前にある平和の門を見て一旦この場所を辞した。
帰りにドームの傍を通る。不気味で恐ろしくて、なぜかキレイだった。


2日目。帰りの電車まで時間がある。どこに行くか考える。
最初ひろしま美術館でゴッホでも見ようかと思ったがやめた。
もう1度原爆ドーム、記念公園に行こう。
ゴッホは東京の美術館でも見れる。でも原爆ドームは広島でしか見れない。
もう1度この目に焼きつけよう。

歩いてドームに向かう。街中は緑にあふれ美しい。ほんとキレイだ。

ドームに着く。朝早いのに大勢の人が来ていた。
元安川では灯篭流しでもするのか折鶴のオブジェが浮かんでた。

昨日とは違う角度でドームを見る。改めてその破壊ぶりに声を無くす。

ちょうどボランティアの方が外人の観光客に説明しているのでお相伴する。
ガイドさんは70代のお爺さん。流暢な英語で説明する。
この年代の方がこんなに英語が堪能だなんて。
「伝えたい」一心で英語を一生懸命に勉強したんだろう。なんかうたれた。
そして側で見てた大学生らしき男の子がガイドを頼んでたのも嬉しかった。

慰霊碑をもう1度お参りする。昨日見れなかったアオギリを見る。
そして・・・最後もう1度ドームを見た。橋の上から。

もう1度そばに行って見ようか、と思ったがやめた。もう十分見た。
見るのはこれで終わりじゃない。ここにはまた来る。絶対来る。
だから、今回はとりあえずサヨナラだ。

そのまま広島駅に向かう。蒼空が広がってる。歩いてるうちに元気になる。
途中で迷子になったけど路面電車を使って無事到着。東京に戻りました。
また「ここに来ること」をココロに誓って。

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痕-スケッチ・ヒロシマ2010夏1

2010年09月06日 | NO NO NO WAR

「日本人なら死ぬまでに沖縄を見るべきだとそう想ってたから
沖縄人の私は死ぬまでに広島を見るべきだと想ったのです」(Cocco「六月二十三日沖縄・慰霊の日」)
「このお話はまだ終わりません 何度夕凪が終わっても終わっていません」(こうの史代「夕凪の街 桜の国」)


9月3日、4日夏休みを利用して広島、いやヒロシマを訪問。
以下「長く重い」です。興味ない方はスルーしてください。

ヒロシマ訪問の理由は何度も書いてる通り「自分の目で戦争の痕を直接見たかった」から。
それともう1つあります。ここ数年戦争についてネット上で色んな論議がありました。
ほとんどは「平和の大切さを考えよう」といったものですが一方で「日本のアジア侵略
は正しかった」「核を持たないで他国が攻めてきたらどうするんだ?」「日本が幾ら
平和・反戦を訴えても他の国は耳を貸さない」「日本も武装すべきだ」等々・・・・。
更には広島・長崎の記念式典に対する中傷まで飛び出る始末。
勿論ネット上での書込みなんて信用するに値しないだろう。
ただ「戦争・武装・核」を肯定する意見が少なからずあることに衝撃を受けました。
ボクは「戦争・核=絶対否定すべきもの」との意識があったので「そうでない人」が
居ることに結構ショックがありました。そして「彼等が言ってる事も有りかも」
なんてキモチも自分の中に確かにあって・・それが堪らなく嫌だった。

一方で「戦争・武装肯定論」について何か釈然としないものを感じてた。
リアリティが無いと云うか、所詮「机上の空論・他人事」と云うか。
実感や体温が伴わない画面上の記号のやりとり。こんなもんに振回されたくない。

戦争・核を政治手段・外交の道具でなく、自分と同じ一般の人の暮らしにどんな
影響を及ぼすのか?日常から何を奪うのか?を「実感」したかった。
その上で「戦争」が自分にとってどんな意味を持つのか考えてみたかった。
だから、ヒロシマに行こう、そう想いました。


広島に着いて先ず、向かったのは原爆ドーム。
猛暑の中ひたすら歩く。大通りを抜けると「それ」はいきなり現れた。

いきなり「原爆の破壊力」を思い知らされる。徹底した破壊の傷痕。
言葉なんて出なかった。涙なんか出るはずもなかった。ただ見るしかなかった。

原爆ドームは公園の中にある。静かで緑が溢れる平和なスペース。
でも至る所に色んな慰霊碑がある。
一方で大声で笑っているカップル。写真を矢鱈撮る外人。
川向こうの近代的なビル。あまりの相異に頭が混乱しました。
旅行者の壮年の夫婦に頼まれて原爆ドームを背景に写真を撮る。
それは何のための写真?記念写真?ここは「そういう場所」か?
若しオレが嫁とここに来てたら2人で「記念写真」を撮ったのか?
冗談じゃない。ふざけるな。

ドームを少し離れ「爆心地」に行く。原爆が落ちた場所。街中にある。
ある病院の敷地内に碑が建っている。とても小さな碑。

65年前、「ここ」に原子爆弾が落ちた。
今は普通の住宅街、でもホンの65年前、ここは破壊しつくされた。
空を見上げた。戦慄した。なんだか怖かった。

もう1度戻る。今度は平和記念公園を見るために。
公園は元安川の傍にある。広くて美しい川。
でも、この水底にも若しかして現在でも誰かが眠っているのかも知れない。
そう想うと・・・ただキレイ・美しいと言っていいのか分からなかった。

平和記念公園は大勢の人であふれていました。

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ヒロシマ2010夏(PHOTO DOCUMENTARY2)

2010年09月06日 | NO NO NO WAR





4段目真ん中の写真は「爆心地」の真上の空を撮りました。
65年前、この空から原爆が落とされたのです。
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