去年の2月に日比谷に荒木経惟さんの写真展に行った。
彫刻家舟越桂さんの作品とのコラボレーション。
でそこのショップで「愛しのチロ」という写真集を購入。
荒木さんの愛猫チロの写真集。写真集の表紙に「チロは、Aの愛人生」と書いてある。
チロは22年前、荒木さんのウチに来た。まもなく陽子さんが逝去。
それからずっと荒木さんの側にいた。
この写真集は天真爛漫なチロの暴れっぷりを楽しめる。猫好きにはたまらない写真集。
そのチロが去年3月に亡くなった。MIXIコミュで知ってショックだった。
そしてチロの追悼写真集「チロ愛死」が発売された事を知った、
NHKの特集番組でチロの写真を見たときコトバを失った。
あんなに元気だったチロがすっかり痩せて目に光を失ってる。
この写真集、買おうと思いつつ中々見つからなかった。
先週、会社の近くの本屋で偶然発見、購入した。帰ってから早速見た。
中身は1昨年12月から去年3月までのチロの写真でイッパイだ。
そして同時期に撮影した女性のヌード、風景写真も収められている。

12月の段階ではチロはまだ目にチカラがある。でも痩せ細っている。
時間の流れと共にチロは弱りジッと蹲っている。
その流れを遮る様に挿入される風景、ヌード、花、空。
丸でドキュメンタリー映画を視てるみたい。どの写真も力に溢れてる。
女性の活き活きとした表情。チロの姿は弱々しいけど清らかさを感じる。
「どうだ、素晴らしいだろ?」と訴えてくる写真の中のイキモノたち。
そのパワーは哀れな猫の姿に安易に泣くことを許さない。
やがてチロは逝く。その最後の姿も徹底的に映す。
チロの荒木さんを見る瞳。そこにあるのは信頼感、優しさ。
そのチロの姿の横に陽子さんが亡くなったときの写真が重なる。
棺の中で眠る陽子さんの横にお棺に入れられた眠るチロの写真。
焼かれて残ったチロの骨。
陽子さんのお骨を抱く荒木さん、チロのお骨を持つ荒木さん。
荒木さんは愛しているヒト(猫含む)が亡くなったとき必ず写真を撮る。
母親が亡くなった時もお棺で運ばれる様を写真に撮り親戚から非難轟々だったらしい。
陽子さんが逝ったときもそう。そして今回のチロも・・・・。
それは写真家としての業なんだろうか?芸術というのはそういうものなのか?
それともこれが荒木さん也の愛情表現なんだろうか?
自分が愛した者を自分が愛する写真というツールで遺したい、そういう想いなのか?
ワカラナイ。その想いはオレなんぞには測り知れない。
チロが亡くなった後の写真集は空で埋め尽くされる。空、空、空。
視てて・・・息が詰まりそうだった。
死の後に来る空。「東京日和」でもそうだった。
陽子さんが逝った後、荒木さんは「空しか撮ることが出来なかった」と書いてた。
写真集の最後、ぬけるように蒼い空。
荒木さん直筆の「チロはAの愛人生、ずーっと。」というコトバで終わる。
ズシンと重い胸に残る写真集だった。でも何度も見返してる。何故だろう?
ウチのにゃにゃんヨモギは今週は絶好調。
今朝は嫁が掃除機をかけていて怖いのか?走り回っています。怖がりやさん(^_^;
猫の寿命は15年から22年と言います。
でも、ヨモギはオレより先に逝かないでくれよ。
オレが先に逝って幽霊となってその辺に浮かんで嫁とヨモギを見て楽しむから。
それがオレの死後の楽しみ♪
そういうと嫁「それ迷惑だからやめてくれ」とバッサリ(^_^;
でも、最近ヨモギ、オレが近づくと逃げるんだよねぇ。嫌われてるのかな?(T_T)


彫刻家舟越桂さんの作品とのコラボレーション。
でそこのショップで「愛しのチロ」という写真集を購入。
荒木さんの愛猫チロの写真集。写真集の表紙に「チロは、Aの愛人生」と書いてある。
チロは22年前、荒木さんのウチに来た。まもなく陽子さんが逝去。
それからずっと荒木さんの側にいた。
この写真集は天真爛漫なチロの暴れっぷりを楽しめる。猫好きにはたまらない写真集。
そのチロが去年3月に亡くなった。MIXIコミュで知ってショックだった。
そしてチロの追悼写真集「チロ愛死」が発売された事を知った、
NHKの特集番組でチロの写真を見たときコトバを失った。
あんなに元気だったチロがすっかり痩せて目に光を失ってる。
この写真集、買おうと思いつつ中々見つからなかった。
先週、会社の近くの本屋で偶然発見、購入した。帰ってから早速見た。
中身は1昨年12月から去年3月までのチロの写真でイッパイだ。
そして同時期に撮影した女性のヌード、風景写真も収められている。

12月の段階ではチロはまだ目にチカラがある。でも痩せ細っている。
時間の流れと共にチロは弱りジッと蹲っている。
その流れを遮る様に挿入される風景、ヌード、花、空。
丸でドキュメンタリー映画を視てるみたい。どの写真も力に溢れてる。
女性の活き活きとした表情。チロの姿は弱々しいけど清らかさを感じる。
「どうだ、素晴らしいだろ?」と訴えてくる写真の中のイキモノたち。
そのパワーは哀れな猫の姿に安易に泣くことを許さない。
やがてチロは逝く。その最後の姿も徹底的に映す。
チロの荒木さんを見る瞳。そこにあるのは信頼感、優しさ。
そのチロの姿の横に陽子さんが亡くなったときの写真が重なる。
棺の中で眠る陽子さんの横にお棺に入れられた眠るチロの写真。
焼かれて残ったチロの骨。
陽子さんのお骨を抱く荒木さん、チロのお骨を持つ荒木さん。
荒木さんは愛しているヒト(猫含む)が亡くなったとき必ず写真を撮る。
母親が亡くなった時もお棺で運ばれる様を写真に撮り親戚から非難轟々だったらしい。
陽子さんが逝ったときもそう。そして今回のチロも・・・・。
それは写真家としての業なんだろうか?芸術というのはそういうものなのか?
それともこれが荒木さん也の愛情表現なんだろうか?
自分が愛した者を自分が愛する写真というツールで遺したい、そういう想いなのか?
ワカラナイ。その想いはオレなんぞには測り知れない。
チロが亡くなった後の写真集は空で埋め尽くされる。空、空、空。
視てて・・・息が詰まりそうだった。
死の後に来る空。「東京日和」でもそうだった。
陽子さんが逝った後、荒木さんは「空しか撮ることが出来なかった」と書いてた。
写真集の最後、ぬけるように蒼い空。
荒木さん直筆の「チロはAの愛人生、ずーっと。」というコトバで終わる。
ズシンと重い胸に残る写真集だった。でも何度も見返してる。何故だろう?
ウチのにゃにゃんヨモギは今週は絶好調。
今朝は嫁が掃除機をかけていて怖いのか?走り回っています。怖がりやさん(^_^;
猫の寿命は15年から22年と言います。
でも、ヨモギはオレより先に逝かないでくれよ。
オレが先に逝って幽霊となってその辺に浮かんで嫁とヨモギを見て楽しむから。
それがオレの死後の楽しみ♪
そういうと嫁「それ迷惑だからやめてくれ」とバッサリ(^_^;
でも、最近ヨモギ、オレが近づくと逃げるんだよねぇ。嫌われてるのかな?(T_T)

