今週、元春Newアルバム「MANIJU」が発売。
以来、毎日このアルバムだけをずっと繰り返し聴いてる。
それ迄、ハマってた寺尾紗穂とハンバートの新譜も聴かなくなっちゃった(^_^;
アルバムを聴いて浮かんだイメージ、雑想をまとめたので書き記しておきます。
唯、各曲の具体的イメージに踏み込んでるので、これから聴く人、他人のイメージに
左右されたくない人はスルーしてください。
前作「Blood Moon」はハード、ビターな作品だった。残酷な世界で振り回される個人。
夢や希望に破れ戸惑い立ち尽す人たち。「僕」も「君」も踊り「大丈夫」とやっと呟き、
最後は東京を飛び出す。行き先が視えずひたすら彷徨うそんな作品だった。
(オレは、「そこ」が大好きなんだけど、さ)
Newアルバムの第一印象は「新しいメロディ、新しい歌い方、新しい佐野元春に出逢った」だった。
今迄のどのアルバムとも違う。複雑なメロディ、リズム。消化するのに時間が掛かりそう。
イイさ。佐野元春は特別な存在だ。時間を掛けてオトの隅々迄、喰らってやる。
アルバム全体を包んでいるのは「明るく穏やかなトーン」。そして「ソウル&サイケ」。
元春のアルバムでここまでソウル色が強いのは嘗て無かったのでは?
唯、聴きこむに連れ「穏やか・明るい」のイメージは変わっていった。
オープニング「白夜旅行」は次から次に曲調が変わるマジックの様な曲。
グルーヴ感溢れるリズム隊、そしてシュンスケのKeyが素晴らしい。
踊るキーボードソロは何となくブルース・ホーンズビーを思わせた。
「悟りの涙」。最初は傷ついた誰かを励ます優しいソウルバラッドと思った。
そのうち、以下の歌詞が気になりだした。
「あの人はやってくるだろう ブルドーザーとシャベルを持って」
「あの人は押しつけるだろう 君の怒りの涙を踏みにじって」
これって「沖縄米軍基地反対運動」を歌ってるのでは?そこで闘ってる人に寄せる歌では?
「朽ちたスズラン」はボブ・ディラン「時代は変わる」を想わせる曲。
「心が通じない人」について柔らかく、でも強く語る。
「The Burn」の「誰も気にしちゃいない」を思い出した。
でも「ただせつない」で終わったあの曲と違い「くよくよするな忘れよう」と開き直り終わる。
そして「蒼い鳥」。Pマッカートニーのソロアルバムにあるような洒落た小品曲。
ユーモラスで穏やかな歌い方。でも、そこで歌われるのは自由に表現することへの強い意志。
これは共謀罪に対して寄せた詩「僕の蒼い鳥がそう言っている」の流れにある作品だろう。
ここまで聴いて気づいた。このアルバムで歌われる世界観は決して明るくない。
相変わらず悪い方向に向かう世界に対する危機感や不安や埋めようの無い対立を歌っている。
でも「Zooey」や「Blood Moon」の様に嘆いたり叫んだりしない。
あくまで優しく柔らかく歌ってる。丸で開き直ったかの様に、或いは覚悟を決めたか、の様に。
「夜間飛行」。オープニングの「白夜飛行」と同じモチーフだけどムードはシリアス。
ジョニ・ミッチェルの様な変幻自在のメロディ展開。
この曲を聴いてサン・デクジュペリの「夜間飛行」を読みたくなって買ってしまった(^_^;
そして、ラスト「MANIJU」。
過去の「Mr.アウトサイド」「太陽」「東京スカイライン」に繋がるサイケな曲。
次から次に溢れるイメージ。静かだけど狂気と破壊力を孕んだ歌・・・。
これ、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」だろ?
歌詞・・ハッキリ言って滅茶苦茶(笑)
散々、荒れ果てた世界を描いた挙句に、「君は僕のスタァ」なんて
あんまりなフレーズが飛び出して来るわ、最後はいきなり「もう心配ないよ」で閉じる。
歌詞に一貫性もストーリーも無い。ぶっ壊れてる。こんな壊れた元春の歌は初めてだ。
元春、サイコーだよ(笑)。素晴らしい!V(^^)
このアルバムに並んでいるのは極めてシンプルなコトバたち。
「大事な君と一歩前に前進」「くよくよするな」「忘れよう」「君はスタァだ」「心配ないよ」。
「つまらない大人になりたくない」「今までの君はまちがいじゃない」「遅すぎることはない」
みたいな聴き手を唸らせるようなキラーラインはもう無い。
簡単で身も蓋も無いヤケクソみたいなシンプルなコトバたち。
でも、もうそれでイイと思う。元春もオレも80年代や90年代を生きてるんじゃない。
生きてるのは「現在(いま)」だ。「現在(いま)」を生きてるんだ。
元春の現在(いま)のコトバが現在の自分を揺さぶり撃ちぬいていること。それを嬉しく想う。
このアルバムを聴き終った時、笑顔で解放されている自分が居た。
元春のアルバムはいつもそうだ。どんなにヘビーな内容でも最後は笑顔で聴き終える。
今回もそうだった。そこは昔から変わらない。
世界、この国、政治・・何だかおかしな方向に向かってる。
次から次とワケが分らん法律が出来たり、忖度だの自粛だのが求められる。
みんなが「正義」だの「正しさ」だの「定義」に囚われてお互いを責め合ってる。
自由なことをしたりヘンなことをすると見知らぬ誰かからコトバのミサイルが飛んでくる。
嗚呼、キュークツだ。ホント、キュークツだ。息苦しい。
オレも大人だから忖度もするし自粛も自己検閲もするよ。
でも、それを決めるのはオレだ。
間違っても国だの政府だの法律じゃない。まして他人じゃない。
オレが何を感じるか、何を言うか、何をするか、はオレ自身が決める。
他人に決められるのは真っ平ゴメンだ。
キュークツ極まりない世界でココロの自由をどう保つか、自分をどう解放するか。
元春のアルバムはそれを教えてくれてる気がする。「まとも」に、粋に。
そう、このアルバム・・
いや、元春の歌を聴いてれば「まとも」になれそうな気がする。少なくとも「狂わないで」済む。
だから何度でも聴こう。まともであるように。狂わないように。
世界が狂おうが、おかしくなろうが関係ない。まともに生きるぜ。生きよう、な。ヨモちゃん。
以来、毎日このアルバムだけをずっと繰り返し聴いてる。
それ迄、ハマってた寺尾紗穂とハンバートの新譜も聴かなくなっちゃった(^_^;
アルバムを聴いて浮かんだイメージ、雑想をまとめたので書き記しておきます。
唯、各曲の具体的イメージに踏み込んでるので、これから聴く人、他人のイメージに
左右されたくない人はスルーしてください。
前作「Blood Moon」はハード、ビターな作品だった。残酷な世界で振り回される個人。
夢や希望に破れ戸惑い立ち尽す人たち。「僕」も「君」も踊り「大丈夫」とやっと呟き、
最後は東京を飛び出す。行き先が視えずひたすら彷徨うそんな作品だった。
(オレは、「そこ」が大好きなんだけど、さ)
Newアルバムの第一印象は「新しいメロディ、新しい歌い方、新しい佐野元春に出逢った」だった。
今迄のどのアルバムとも違う。複雑なメロディ、リズム。消化するのに時間が掛かりそう。
イイさ。佐野元春は特別な存在だ。時間を掛けてオトの隅々迄、喰らってやる。
アルバム全体を包んでいるのは「明るく穏やかなトーン」。そして「ソウル&サイケ」。
元春のアルバムでここまでソウル色が強いのは嘗て無かったのでは?
唯、聴きこむに連れ「穏やか・明るい」のイメージは変わっていった。
オープニング「白夜旅行」は次から次に曲調が変わるマジックの様な曲。
グルーヴ感溢れるリズム隊、そしてシュンスケのKeyが素晴らしい。
踊るキーボードソロは何となくブルース・ホーンズビーを思わせた。
「悟りの涙」。最初は傷ついた誰かを励ます優しいソウルバラッドと思った。
そのうち、以下の歌詞が気になりだした。
「あの人はやってくるだろう ブルドーザーとシャベルを持って」
「あの人は押しつけるだろう 君の怒りの涙を踏みにじって」
これって「沖縄米軍基地反対運動」を歌ってるのでは?そこで闘ってる人に寄せる歌では?
「朽ちたスズラン」はボブ・ディラン「時代は変わる」を想わせる曲。
「心が通じない人」について柔らかく、でも強く語る。
「The Burn」の「誰も気にしちゃいない」を思い出した。
でも「ただせつない」で終わったあの曲と違い「くよくよするな忘れよう」と開き直り終わる。
そして「蒼い鳥」。Pマッカートニーのソロアルバムにあるような洒落た小品曲。
ユーモラスで穏やかな歌い方。でも、そこで歌われるのは自由に表現することへの強い意志。
これは共謀罪に対して寄せた詩「僕の蒼い鳥がそう言っている」の流れにある作品だろう。
ここまで聴いて気づいた。このアルバムで歌われる世界観は決して明るくない。
相変わらず悪い方向に向かう世界に対する危機感や不安や埋めようの無い対立を歌っている。
でも「Zooey」や「Blood Moon」の様に嘆いたり叫んだりしない。
あくまで優しく柔らかく歌ってる。丸で開き直ったかの様に、或いは覚悟を決めたか、の様に。
「夜間飛行」。オープニングの「白夜飛行」と同じモチーフだけどムードはシリアス。
ジョニ・ミッチェルの様な変幻自在のメロディ展開。
この曲を聴いてサン・デクジュペリの「夜間飛行」を読みたくなって買ってしまった(^_^;
そして、ラスト「MANIJU」。
過去の「Mr.アウトサイド」「太陽」「東京スカイライン」に繋がるサイケな曲。
次から次に溢れるイメージ。静かだけど狂気と破壊力を孕んだ歌・・・。
これ、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」だろ?
歌詞・・ハッキリ言って滅茶苦茶(笑)
散々、荒れ果てた世界を描いた挙句に、「君は僕のスタァ」なんて
あんまりなフレーズが飛び出して来るわ、最後はいきなり「もう心配ないよ」で閉じる。
歌詞に一貫性もストーリーも無い。ぶっ壊れてる。こんな壊れた元春の歌は初めてだ。
元春、サイコーだよ(笑)。素晴らしい!V(^^)
このアルバムに並んでいるのは極めてシンプルなコトバたち。
「大事な君と一歩前に前進」「くよくよするな」「忘れよう」「君はスタァだ」「心配ないよ」。
「つまらない大人になりたくない」「今までの君はまちがいじゃない」「遅すぎることはない」
みたいな聴き手を唸らせるようなキラーラインはもう無い。
簡単で身も蓋も無いヤケクソみたいなシンプルなコトバたち。
でも、もうそれでイイと思う。元春もオレも80年代や90年代を生きてるんじゃない。
生きてるのは「現在(いま)」だ。「現在(いま)」を生きてるんだ。
元春の現在(いま)のコトバが現在の自分を揺さぶり撃ちぬいていること。それを嬉しく想う。
このアルバムを聴き終った時、笑顔で解放されている自分が居た。
元春のアルバムはいつもそうだ。どんなにヘビーな内容でも最後は笑顔で聴き終える。
今回もそうだった。そこは昔から変わらない。
世界、この国、政治・・何だかおかしな方向に向かってる。
次から次とワケが分らん法律が出来たり、忖度だの自粛だのが求められる。
みんなが「正義」だの「正しさ」だの「定義」に囚われてお互いを責め合ってる。
自由なことをしたりヘンなことをすると見知らぬ誰かからコトバのミサイルが飛んでくる。
嗚呼、キュークツだ。ホント、キュークツだ。息苦しい。
オレも大人だから忖度もするし自粛も自己検閲もするよ。
でも、それを決めるのはオレだ。
間違っても国だの政府だの法律じゃない。まして他人じゃない。
オレが何を感じるか、何を言うか、何をするか、はオレ自身が決める。
他人に決められるのは真っ平ゴメンだ。
キュークツ極まりない世界でココロの自由をどう保つか、自分をどう解放するか。
元春のアルバムはそれを教えてくれてる気がする。「まとも」に、粋に。
そう、このアルバム・・
いや、元春の歌を聴いてれば「まとも」になれそうな気がする。少なくとも「狂わないで」済む。
だから何度でも聴こう。まともであるように。狂わないように。
世界が狂おうが、おかしくなろうが関係ない。まともに生きるぜ。生きよう、な。ヨモちゃん。