僕と猫のブルーズ

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喪の仕事~藤原新也写真展「祈り」

2023年01月09日 | Art・本・映画

3連休。土曜日は家でヨモフェス。嫁@パンダがIPodでヨモちゃんの写真を映しながら酒盛り。
ヨモちゃん
のオモシロ写真に二人で笑った。最後の方は少しシュンとしたけど。
ただ、
おはちゃんが鍋帽子に入った様子がヨモちゃんそっくりでまた笑った。
二人ともイイ子だよ🎵

 

昨日、朝新聞を見ると山田詠美さんの死に関するエッセイが掲載されていた。
山田さんが死を縁起悪い物として捉えている人に疑問を呈しているけどボクも同意見。
生きている時、大切な人は死んでも大切だ。死んだら縁起悪いとか忌み嫌うはしたくない。
死は悲しいけど縁起悪いワケがない。死は生の延長にある。
死も悲しみもオレにとっては大切な友だちだ。
一方でオレはSNSに頻繁に「死」について書く。父親、友人、震災、そしてヨモちゃん。
もしかしたらオレの死に関する文章を不快に思ってる人も居るかもしれない。
だとしたらスミマセン<(_ _)>
でも、オレは死を忌むべき物として遠ざけたくない。
これは自分にとって大切な喪の仕事なんだ。 だから、これからも書き続ける。

そんな気持ちを持って昨日世田谷に藤原新也の写真展「祈り」を観に行った。
NHKの日曜美術館で、この展覧会には多くの死を映し撮った写真が展示されていると知っていた。
ヨモちゃんが旅立って1年経ったこのタイミングで是非観たくて・・・独りで行った。

会場の世田谷美術館に用賀駅から歩いて向かった。
向かう途中、貝殻のアートや鬼瓦が道端に飾られて異界に向かう感じがして愉しかった(^^;

15分程歩いて到着。ボクは藤原さんの「メメントモリ」や「印度放浪」その他著書を持ってるが
作品を実際に観るのは初めて。期待と怖れにココロがドキドキしてた。


入場。最初に仏像の写真。「そして神はいるのかいないのか」というコトバに迎えられた。
この1枚だけでココロが撃ち抜かれた。一気に藤原さんの世界に取り込まれた。
展示された写真の横に藤原さんのコトバが添えられている。そのコトバは詩でありそれ自体が作品だった。
「メメントモリ」に掲載されていた死体を犬が喰らう写真、死体を火葬する様、強烈な写真が続く。
場内は撮影自由。でも生と死の際を映した作品を自分のケータイに収めるのは違う気がした。
2枚だけ映して後は・・・写真に映されている生、そして死とひたすら向かい合った。
一方で藤原さんのコトバは持帰りたくて写真を撮りまくった。



死は病ではない・・・のコトバにはただ泣いた。


数年前の雑誌Switchに掲載された香港雨傘運動とハロウィンの写真も良かった。
渋谷で大騒ぎするハロウィンには批判も多いが参加してる若者は色んな疵を抱えてる。

藤原さんの言う様に「参加しなければそれが何かわからない」、まさにそうだ。

 
生命に溢れたこの写真だけは映したかった。

病床の寂聴さんに送った私信、藤原さんの父上が臨終の間際に笑った写真は・・
ただただ・・・見入ってしまった。
美術館を出た後、重い物がココロに残っていた。でもそれは決して暗い物ではなかった。
帰りの電車の中、butchersやナンバーガールを掛けながら今日撮った藤原さんのコトバを振り返った。
ココロの中に温かい物が広がり泣きそうになった。

このタイミングで藤原さんの展覧会を観て良かった。
オレは生きてる人とも生きているが、先に死んだ者たちとも一緒に生きている。
先に逝った者との対話も自分にとって大切な時間だ。
だから、喪の仕事はやめない、やめるわけにはいかない。これからも続けよう。



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