「カランコエの花」。映画の感想は前トピで。ここからは映画とは関係ない内容。
昨今のマイノリティを巡る諸々について感じたことを列記します。
あくまで個人的見解です。不快に思った方居たらスルーしてください。
この10年マイノリティについてメディアで取上げる事が増えてきた。
ジェンダーも含めて毎週の様にネットや新聞に何らかの記事が載っている。
自分自身はマイノリティについて関心はあるが、詳細な知識を持っているワケでは無い。
気になる記事・本を読んで面白そうなイベントがあれば参加する程度。
例えば貧困ならばホームレス支援の「りんりんふぇす」に参加するとか。
或いはフェアな視点で語れるアーティスト、例えば
写真家の安田菜津紀さんやシンガーアジカンGotch、寺尾紗穂のコラムを読んだりする。
そんな程度。
当然差別や不公平はいけない。ここ数カ月世間を騒がせた「新潮45」の記事はダメだ。
議員さん・それを擁護するライターとも無礼極まりない内容だ。
「AよりBへの支援を優先すべき」「Aの支援を大勢の賛同を得られるでしょうか」。
これを、公共のメディアに載せて何の意味が有る?何かよくなるのか?
大体LGBTの方が特別な恩恵を受けてる話なんて聞いた事が無い。
「異性カップル」と同じ権利を求めるのがそんなにダメなんだろうか?
そんなに非難されることなんだろうか?
勿論、思想・表現の自由はあるが、公人なら自分の行動の意義を考えて欲しい。
一方で、これはホントに個人的な所感だが・・・・
「LGBT」「性的マイノリティ」「少数派」この手の表現に何か違和感・心地悪さを感じる。
この分け方・名称って何?マジョリティにより差別されてる・権利を奪われてるっつーのは
何となくイメージできる。
でも、「マイノリティ・少数派」なんて付けるのも・・・失礼な話じゃないか?
一体「マイノリティ」だの「少数派」って誰が決めてるんだよ?どんな定義があるんだよ?
同時に「マジョリティ・多数派」ってのも何だ?それ誰が決めた?
オレ自身は「男性」で女性を愛してる。そして結婚してる。
「ストレートで既婚者」。これって「フツー」なのか?「マジョリティ」なのか?
よせよ。オレが「マジョリティ・多数派」なんてワケがあるか。
子供の頃から周囲から散々「変わってる、浮いてる、おかしい、ズレてる」
と言われ続けてきたニンゲンが「多数派」のワケが無い。
それにオレは別に男に生まれたくて生まれてきたワケじゃない。
別に男にしてくれ、なんて頼んでねーし。
生まれたときから男なんだから仕方なく男で生きてる。
別に女性や他のモノになりたいワケじゃない。男って事で色々得してる事もあるだろう。
でも、若い頃、周囲が押付ける「男性像」と自分にズレを感じてホント苦しかった。
苦痛だった。今なら「草食系」だのフツーなんだろうが。
「男らしくない」だの「ナヨナヨしてる」だの、いつも否定されてきた。
今なら言える。「オマエらが勝手に決めた男をオレに押付けるな」。
でも、若い頃はそうじゃなかった。
周囲の言う「フツーの男」になれない自分がダメな奴・劣ってると思って落ち込んだ。
だから、多数派・少数派なんて分類はキライだ。意義を感じない。
勿論マクロ的な視点で「少数派」のために社会制度を整える意見は大賛成。
そういう場合は仕方なく使うけど・・・他の場面では使いたくない表現だ。
「多様性」もそう。「多様性を損なう意見はダメだ・、認めない」・・・って
それ自分の決めた基準に合わない奴を「多様性」というコトバを利用して、
ディスってるだけじゃん。
「多様性の実現」のため、マイノリティを支援するのか?違うだろ?
ある属性のため他の属性と同じ利益を享受できない。それ不平等じゃん。理不尽じゃん。
それは質すべきこと。それは「多様性実現」とかは関係ないと思うけど。
(多様性の実現に反対してる訳じゃなくて「多様性」を他人を攻撃する武器として
使う事に・・違和感があるってこと)
LGBT、マイノリティの方の苦しみは理解したいけど・・・分かるワケが無い。
理解できるなんて言ったらウソだ。詭弁だ。
そもそもLGBTもマイノリティも・・・要は個人だ。それぞれ違うんだ。
それを十羽一括りに理解しようなんて大雑把すぎる。傲慢だろう。
社会制度の整備・改善については勿論声を出して訴えていく。
ただ、それ以上、ムリに「分かろう」とかしないでおこうと思う。
機会があれば触れる。考えてみる。そして、飛び込んでみる。
それを続けていこう。
そうすれば何かが視えるかもしれない。わかるのでなく「視える」かも・・。
そして・・・もし、いつか彼ら・彼女らと友達になれたら・・・チャンとつきあいたい。
彼ら・彼女らの属性は・・・こういっちゃなんだがオレにはどうでもイイ。
国籍だの人種だの宗教だの属性と付き合うワケじゃない。
そいつがオモシロい奴か、愉快な奴か、オレにとってメリットがある奴か。
大事なのはソレダケ、だ。
我ながら乱暴だし矛盾だらけだが・・
でも、そいつと笑って酒呑めるなら・・・後はどうでもイイ。
キヨシローがこう歌っている。">
″もしもオイラが偉くなったら 偉くない奴とはつきあいたくない
たとえそいつが古い友達でも 偉くない奴とはつきあいたくない
オイラが昔世話になった奴でも いくらいい奴でもつきあいたくない
だけどそいつがアレを持ってたら オレは差別しない Ohつきあいたい
つ・き・あ・い・た・い
(RCサクセション「つ・き・あ・い・た・い」)
これだよ!これ!流石キヨシロー。いい事歌ってるぜV(^^)
単純に考えすぎかもしれないけど、多様性!とかポリコレ!とか訴える前に、
目の前に居る人と面白可笑しく過ごしたい。願うのはソレダケ、だ。
そして、オレも人に「つきあいたい・オモシロい奴」と思って貰えたらサイコーだ。
生きてたら、どんな出逢いがあるかワカラン。
オレは嫁と逢った。結婚したら何と彼女はパンダだった\(T▽T)/
そして・・ヨモちゃんと逢った。超オモシロいにゃにゃんだった。
これから、どんな人たち・イキモノたちと逢うのかな?楽しみだぜ☆
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昨今のマイノリティを巡る諸々について感じたことを列記します。
あくまで個人的見解です。不快に思った方居たらスルーしてください。
この10年マイノリティについてメディアで取上げる事が増えてきた。
ジェンダーも含めて毎週の様にネットや新聞に何らかの記事が載っている。
自分自身はマイノリティについて関心はあるが、詳細な知識を持っているワケでは無い。
気になる記事・本を読んで面白そうなイベントがあれば参加する程度。
例えば貧困ならばホームレス支援の「りんりんふぇす」に参加するとか。
或いはフェアな視点で語れるアーティスト、例えば
写真家の安田菜津紀さんやシンガーアジカンGotch、寺尾紗穂のコラムを読んだりする。
そんな程度。
当然差別や不公平はいけない。ここ数カ月世間を騒がせた「新潮45」の記事はダメだ。
議員さん・それを擁護するライターとも無礼極まりない内容だ。
「AよりBへの支援を優先すべき」「Aの支援を大勢の賛同を得られるでしょうか」。
これを、公共のメディアに載せて何の意味が有る?何かよくなるのか?
大体LGBTの方が特別な恩恵を受けてる話なんて聞いた事が無い。
「異性カップル」と同じ権利を求めるのがそんなにダメなんだろうか?
そんなに非難されることなんだろうか?
勿論、思想・表現の自由はあるが、公人なら自分の行動の意義を考えて欲しい。
一方で、これはホントに個人的な所感だが・・・・
「LGBT」「性的マイノリティ」「少数派」この手の表現に何か違和感・心地悪さを感じる。
この分け方・名称って何?マジョリティにより差別されてる・権利を奪われてるっつーのは
何となくイメージできる。
でも、「マイノリティ・少数派」なんて付けるのも・・・失礼な話じゃないか?
一体「マイノリティ」だの「少数派」って誰が決めてるんだよ?どんな定義があるんだよ?
同時に「マジョリティ・多数派」ってのも何だ?それ誰が決めた?
オレ自身は「男性」で女性を愛してる。そして結婚してる。
「ストレートで既婚者」。これって「フツー」なのか?「マジョリティ」なのか?
よせよ。オレが「マジョリティ・多数派」なんてワケがあるか。
子供の頃から周囲から散々「変わってる、浮いてる、おかしい、ズレてる」
と言われ続けてきたニンゲンが「多数派」のワケが無い。
それにオレは別に男に生まれたくて生まれてきたワケじゃない。
別に男にしてくれ、なんて頼んでねーし。
生まれたときから男なんだから仕方なく男で生きてる。
別に女性や他のモノになりたいワケじゃない。男って事で色々得してる事もあるだろう。
でも、若い頃、周囲が押付ける「男性像」と自分にズレを感じてホント苦しかった。
苦痛だった。今なら「草食系」だのフツーなんだろうが。
「男らしくない」だの「ナヨナヨしてる」だの、いつも否定されてきた。
今なら言える。「オマエらが勝手に決めた男をオレに押付けるな」。
でも、若い頃はそうじゃなかった。
周囲の言う「フツーの男」になれない自分がダメな奴・劣ってると思って落ち込んだ。
だから、多数派・少数派なんて分類はキライだ。意義を感じない。
勿論マクロ的な視点で「少数派」のために社会制度を整える意見は大賛成。
そういう場合は仕方なく使うけど・・・他の場面では使いたくない表現だ。
「多様性」もそう。「多様性を損なう意見はダメだ・、認めない」・・・って
それ自分の決めた基準に合わない奴を「多様性」というコトバを利用して、
ディスってるだけじゃん。
「多様性の実現」のため、マイノリティを支援するのか?違うだろ?
ある属性のため他の属性と同じ利益を享受できない。それ不平等じゃん。理不尽じゃん。
それは質すべきこと。それは「多様性実現」とかは関係ないと思うけど。
(多様性の実現に反対してる訳じゃなくて「多様性」を他人を攻撃する武器として
使う事に・・違和感があるってこと)
LGBT、マイノリティの方の苦しみは理解したいけど・・・分かるワケが無い。
理解できるなんて言ったらウソだ。詭弁だ。
そもそもLGBTもマイノリティも・・・要は個人だ。それぞれ違うんだ。
それを十羽一括りに理解しようなんて大雑把すぎる。傲慢だろう。
社会制度の整備・改善については勿論声を出して訴えていく。
ただ、それ以上、ムリに「分かろう」とかしないでおこうと思う。
機会があれば触れる。考えてみる。そして、飛び込んでみる。
それを続けていこう。
そうすれば何かが視えるかもしれない。わかるのでなく「視える」かも・・。
そして・・・もし、いつか彼ら・彼女らと友達になれたら・・・チャンとつきあいたい。
彼ら・彼女らの属性は・・・こういっちゃなんだがオレにはどうでもイイ。
国籍だの人種だの宗教だの属性と付き合うワケじゃない。
そいつがオモシロい奴か、愉快な奴か、オレにとってメリットがある奴か。
大事なのはソレダケ、だ。
我ながら乱暴だし矛盾だらけだが・・
でも、そいつと笑って酒呑めるなら・・・後はどうでもイイ。
キヨシローがこう歌っている。">
″もしもオイラが偉くなったら 偉くない奴とはつきあいたくない
たとえそいつが古い友達でも 偉くない奴とはつきあいたくない
オイラが昔世話になった奴でも いくらいい奴でもつきあいたくない
だけどそいつがアレを持ってたら オレは差別しない Ohつきあいたい
つ・き・あ・い・た・い
(RCサクセション「つ・き・あ・い・た・い」)
これだよ!これ!流石キヨシロー。いい事歌ってるぜV(^^)
単純に考えすぎかもしれないけど、多様性!とかポリコレ!とか訴える前に、
目の前に居る人と面白可笑しく過ごしたい。願うのはソレダケ、だ。
そして、オレも人に「つきあいたい・オモシロい奴」と思って貰えたらサイコーだ。
生きてたら、どんな出逢いがあるかワカラン。
オレは嫁と逢った。結婚したら何と彼女はパンダだった\(T▽T)/
そして・・ヨモちゃんと逢った。超オモシロいにゃにゃんだった。
これから、どんな人たち・イキモノたちと逢うのかな?楽しみだぜ☆
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