「呉市の歴史」 1937年(昭和12年)、呉線新宮トンネル出口付近から約800mの区間に目隠し板が設置されました。その高さは線路上から7~8m位、 沿線に突き出したコンクリート支柱を設置し、車窓の高さにトタン板を張り巡らせたものでした。
その支柱の一部が、現在も海岸四丁目に残っています。線路際から逆L字型のコンクリート製の支柱が突き出しています。
これが目隠し板の支柱です。支柱こそ第一号艦(軍艦大和)を建造する際、機密保持のため呉線を走る列車の車窓から軍港を見せないようトタン板で目隠しした支柱の名残です。
現在残っているのは、道路から確認できる3基だけです。 この付近は、列車の車窓から呉港が一望できます。
目隠し板が設置されたのは戦艦大和の起工時期と重なっています。大和だけでなく呉海軍工廠の機密保持の目的でもあったとの事です。
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