日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区の北側、耳川のほとり立磐神社入口にあります。
美々津は神武天皇お船出の地として有名ですが、その伝説から神武天皇御進発の聖地という意味での海軍発祥の地ということです。石碑の隣には近代の艦船のイカリが展示してあります。
日本海軍の昔を尋ねてゆけば、神武天皇御東遷当時の船団が一番古いのではないか、これこそが日本海軍の始めである、ということで、紀元二千六百年(昭和十五年)宮崎県奉祝記念事業として、立磐神社境内に建立されました。
日本海軍の昔を尋ねてゆけば、神武天皇御東遷当時の船団が一番古いのではないか、これこそが日本海軍の始めである、ということで、紀元二千六百年(昭和十五年)宮崎県奉祝記念事業として、立磐神社境内に建立されました。
波涛を象り前面に古代の兵船を象った船形埴輪の模像が配置してある。題字は、元内閣総理大臣・海軍大将米内光政の揮毫(きごう)に成り、碑の設計は八紘基柱の設計者日名子実三(ひなこじつぞう)。
神武天皇御東遷
「何地に坐さば天の下の政を平らけく聞こしめさむ。なほ東に行かむと思う。」
『古事記』中つ巻冒頭より
「どこにいけば、天下の政を平安に治めることができるであろうか。もっと東に行こうかと思う。」
カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)が高千穂の宮で、兄イツセノミコトに相談し仰せられた言葉です。
立磐神社は、その昔、神武天皇御東遷の際、美々津港より御船出するにあたり、航海の安全を御祈念され、海上の守護神であられる底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を奉斎したことに因んで、第十二代景行天皇の御代に創祀されました。
天正六年、大友氏と島津氏の耳川の合戦の戦火により、社殿及び宝物、貴重なる文献等は消失しましたが、元和九年に再興されました。
境内には、神武天皇が座られたという「神武天皇御腰掛の岩」があり、玉垣を巡らして岩其のものを神武天皇の御神体として崇拝しております。
昭和九年には、神武天皇が当美々津港を御船出され二千六百年に相当することを祝う記念事業として、境内の拡張、社殿の修築が行われました。
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