観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

いすゞ・BX141 いすゞ製ボンネットバス(大分県豊後高田市 ロマン号)

2024-05-06 06:46:10 | 乗り物(鉄道:船:飛行機:バスなどなど)
いすゞ・BX141 いすゞ製ボンネットバス(大分県豊後高田市 ロマン号)


いすゞ・BX(いすゞ・ビーエックス)は、いすゞ自動車が1947年(昭和22年)から1970年(昭和45年)にかけて製造・販売していたバス車両である。

すゞBX141型ボンネットバスは平成18年頃までの約37年間、秋田県大仙市内に放置されていた。
翌年、豊後高田市観光協会豊後高田市観光まちづくり株式会社が譲り受けレストアを福山自動車時計博物館が行い、平成21年には法定整備が完了。レストアについてはエンジンの換装を初めとし、20項目の整備が行われた。

大分県豊後高田市では、ボンネットバスを町おこし計画に採用することでバスの管理・維持が可能となっているが、ボンネットバスによる集客力や行政が後押しする支援事業と経済波及効果無しでは容易ではない。国内で動態保存または運用されているものは調査の結果63台と百台未満にとどまり、製造年より半世紀を超えるものが殆どである。バスでは一般的に100万kmが走行距離の寿命の目安とされており、年換算すると約10年に相当する。走破状況やメンテナンス頻度にもよるが最大でも約20年であり、頻繁に停車・発車を繰り返し行うほど車体や機関の劣化は顕著に表れる。バスとしての寿命を2倍以上運用されているボンネットバスは今後の保存、運用の為に多方面からの支援が必須となる。価値を持つボンネットバスを消滅させないよう、今後一層保存する活動を促進させる必要がある。

主要諸元
BX80 7.84m(4.30m)/2.40m/2.70m/72PS
BX91 7.84m(4.30m)/2.40m/2.70m/85PS
BX92 7.84m(4.30m)/2.40m/2.70m/85PS
BX95 8.71m(5.00m)/2.40m/2.83m/85PS
BX41 7.50m(4.00m)/2.20m/2.82m/100PS

1925年(大正14年) - 東京石川島造船所 自動車部製 ウーズレー・CG型バス 全国の私営/公営バスとして採用される。
1929年(昭和4年) - スミダ・M型バス
1930年(昭和5年) - スミダ・LB型低床式省営バス
1932年(昭和7年) - スミダ・R型低床式バス完成 35人乗り
1933年(昭和8年) - スミダ・S型6輪バス

             いすゞ・BX35バス 16人 - 20人乗り
             いすゞ・BX40バス 21人 - 29人乗り
             いすゞ・BX45バス 25人 - 33人乗り
1935年(昭和10年) - スミダ・BT型バストラクター 水平シリンダーの直6を床下に置くアンダーフロアーエンジントレーラーバス。トラクターにも客室があり、閑散時は切り離して親のみでの運用が可能。エアブレーキ装備。ボディ架装は脇田自工。
1940年(昭和15年) - いすゞ・BX50ディーゼルバス
1941年(昭和16年) - いすゞ・BX60ディーゼル中型バス
1942年(昭和17年) - いすゞ・BB60ディーゼル大型バス
「いすゞ」は車名であって会社名ではない。
スミダ・BT型バストラクターを除き、いずれもフロントエンジン・ボンネットバスである。

フロントエンジンバス
1947年(昭和22年)、BX80ボンネットバスが登場する。ガソリンエンジントラックTX80をベースに、前寄運転席の専用低床フレームにした車両である。
1948年(昭和23年)にはBX91が登場する。 BX80のエンジンをディーゼルトラックTX61用DA43型に変更したディーゼルボンネットバスで、ハイドロバックブレーキ(倍力装置付きブレーキ)を装備。車内は前向きの座席だと7列装備でき、三方シートだと立ち席を入れて50名以上の定員を確保できた。第一号車は東海自動車に納入されている。
1949年(昭和24年)にはBX91ベースのキャブオーバーバス、BX92が登場する。運転席がフロントオーバーハングへ移設されている。同年には同じくBX91ベースの長尺モデル、BX95に移行する。ヘッドランプ、フェンダー及びバンパーに改良が加えられ、スタイルが一新した。定員も前向きシートで54名、三方シートで62名に増えた。
1950年(昭和25年)にはBX91ベースの左ハンドル車、BX93も登場した。当時外国だった沖縄県その他に輸出されている。
キャブオーバー型の登場後、乗車定員を増やしたいボンネットバスユーザーの為にBX92改造指示書が架装メーカーに配布された。


1955年(昭和30年)にはBX91ベースでホイールベース4mの最小モデル、BX41が登場する。主に山間地や自家用に用いられた。また、同型のBX43、ガソリンエンジン車も製造された。
1956年(昭和31年)には105PSのDA110形エンジンが開発され、ホイールベース4mのBX131、同4.15mのBX141、同5.2mのBX151/BX152へ移行となった。これに前後してボンネットのラジエーターカバー(フロントグリル)の吸気口(スリット)が大型化し、後年まで親しまれる形状となった。
1958年(昭和33年)には118PSのDA120形エンジンが登場、BX331/BX341/BX352に移行する。
1959年(昭和34年)にはDA120形が125PSに増強され、BX521/BX531/BX552に移行した。同時にボンネットの形状が変わり、フードの開閉方式が中央ヒンジのバタフライ式から、後ろヒンジで1枚跳ね上げのアリゲーター式となり、幅も拡大されて箱型となったフェンダーと一体化した。灯火類やラジエターグリルもリニューアルされている。
1961年(昭和36年)には130PSのDA640形エンジンが開発されたことから、BX721/BX731/BX752に移行した。
1962年(昭和37年)にはキャブオーバー車がモデルチェンジし、BX721E/731Eが登場している。これらは1963年(昭和38年)にBXD20E/BXD30Eに移行し、1964年(昭和39年)にBF20/BF30系となる。その後もキャブオーバーバスシャーシーは特装車等の需要があった為、BF系は195PSのDH100形エンジンを搭載した後継のBD30/40系にモデルチェンジし、1970年代まで製造された。



1974年式 BD40 キャブオーバーエンジンバス(リヤーに車椅子用リフトを装備した特装車) 東京特殊車体製車体 自家用
1974年式 BD40 キャブオーバーエンジンバス(リヤーに車椅子用リフトを装備した特装車)
東京特殊車体製車体 自家用
1962年(昭和37年)、フロントグリルのプレス変更とともに、いすゞの全社的な型式(かたしき)称号の変更に伴い、BXD20/BXD30/BXD50に変更となって登場した。エンジンは従来のままDA640形で、BXD20がホイールベース4m、BXD30が4.3m、BXD50が5.2mとなっている。1964年(昭和39年)からTXDのモデルチェンジに伴い、ヘッドランプが4灯化され、同時にフロントグリルも変更となった。過渡期には以前からのフロントグリルに4灯タイプのヘッドランプの車も製造された。
 1967年(昭和42年)に製造が中止となり、長きにわたる歴史に幕が引かれた。

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