大正4年開業の香春駅は、福岡県田川郡香春町大字香春にある、九州旅客鉄道(JR九州)日田彦山線の駅です。かつては添田線が昭和61年まで接続していました。駅は香春町の南西部の中心市街地に位置します。
駅の約150m北西を国道322号が、約400m北西を国道201号が日田彦山線に並行する形で通り、国道201号の隣を金辺川が流れています。駅前から望まれる香春岳は五木寛之、青春の門のシンボルです。
「香春」駅という名称は、明治18年に開業した平成筑豊鉄道(当時豊州鉄道)の勾金駅が最初に使用していました。朝に田川後藤寺方面から当駅折り返しの列車が設定されています。
単式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎の外観は洋館風、入口の柱は石灰石産地らしく大理石が使用されています。駅名板も洋館風です。
現在の駅舎は焼失したため建て替えられたものです。かつては2面3線であったが、中線と旧2番線が撤去されています。2番線、中線の撤去跡には花壇が整備されています。
構内踏切でホームとは結ばれ警報機はありますが遮断機はありません。
九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅で、マルスは無いがPOS端末が設置されています。待合室の。三方の壁沿いにはFRP製の椅子が設置されています。下りホームには大きめですが短めの上屋が設置されています。
日本セメント専用線 :香春駅では、開業時から国鉄分割民営化前の1986年(昭和61年)まで貨物営業を行っていた。また、駅には日本セメント(現・太平洋セメント)の専用線が接続していた。
1935年(昭和10年)6月、駅の西に浅野セメント(後の日本セメント)の香春工場が建設され、操業を開始した。専用線の敷設時期は不明だが、1951年(昭和26年)8月に、バラ積みセメントの専用貨車を用いたセメント輸送が日本セメント門司工場(葛葉駅隣接)との間で開始された。さらに、1955年(昭和30年)11月には東小倉駅との間でもセメント輸送が開始された。専用線では、D51形蒸気機関車やDD51形ディーゼル機関車が乗り入れてホキ3500形貨車などの貨車を牽引していた。
駅の貨物取扱量は1979年(昭和54年)をピークに徐々に減少。1986年10月3日限りで日本セメント専用線からの貨物輸送は廃止された。なお、香春工場は2004年(平成16年)に閉鎖されている。
1915年(大正4年)4月1日 - 小倉鉄道の上香春駅(かみかわらえき)として開業、旅客・貨物営業を開始。
1943年(昭和18年)5月1日 - 小倉鉄道が戦時買収により国有化、旧・小倉鉄道線は添田線(初代)に改称。同時に、香春駅に改称。
1956年(昭和31年)3月15日 - 添田線(初代)が日田線に改称。
1957年(昭和32年)10月1日 - 当駅 - 伊田間を結ぶ日田線の短絡線が開業。
1960年(昭和36年)4月1日 - 当駅 - 大任 - 添田間を添田線(2代目)として分離、城野 - 後藤寺 - 夜明間が日田彦山線となる。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止。
1985年(昭和60年)4月1日 - 添田線廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 車扱貨物の取り扱いを廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州が継承。
電報略号 カハ←カワラ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1915年(大正4年)4月1日
備考 業務委託駅
* 1943年に上香春駅から改称。
祖母の実家が、この香春駅近くでした。
懐かしい景色ばかりです。
洋風の駅舎を初めて見た時は、違和感を感じました(苦笑)
削られ低くなっていく香春岳を見てるとせつなくなりますね。