“世界記憶遺産”で沸き立っている田川市石炭・歴史博物館の最寄り駅である田川伊田駅は、福岡県田川市大字伊田にある、九州旅客鉄道(JR九州)・平成筑豊鉄道の駅です。
JR九州の日田彦山線と、平成筑豊鉄道の伊田線、田川線の3路線が乗り入れています。平成筑豊鉄道の2路線はいずれも田川伊田駅が終点である。
平成筑豊鉄道の駅についてはディスカウントストア「MrMax」を運営する株式会社ミスターマックスがネーミングライツを取得し、2009年4月1日より愛称付きの駅名がMrMax田川伊田駅となっています。
平成筑豊鉄道の田川線と伊田線の終着駅(下りのない駅)です。また日田彦山線の乗り換え駅で、万葉のふるさと香春や、大自然の英彦山(添田町)へ足を伸ばせます。
駅横の石炭記念公園通路を利用して石炭・歴史博物館へ行けます。 当資料館には、屋内と屋外の展示会場に筑豊地方の炭鉱文化史料や機材が系統立てて保存展示されており、そのスケールに圧倒されます。
ここからの展望は素晴らしく市街から香春岳(「青春の門」、「炭坑節」で有名)まで眺望できます。
また駅前近くに川渡り神幸祭の際、神輿が出る風治八幡神社(ふうじはちまんじんじゃ)や伊田商店街があります。筑豊で唯一内外の名画の展示等多彩な活動を展開している田川市美術館にはここからタクシーで約5分です。
田川市は、昔の伊田町と後藤寺町が合併して発足した市である。市制施行以前から伊田町の中心駅「伊田駅」、同じく後藤寺町の中心駅「後藤寺駅」が存在していた。
その歴史の経緯から市制施行以後も田川市の中心地は伊田地区、後藤寺地区に二分されたままであり、市の中心駅も伊田駅と後藤寺駅の両方という扱いのため、外部のものには「どちらが中心駅か分からない」「田川市の駅なのに田川を名乗らないのは分かりにくい」という意見が絶えなかった。
そのため、中心駅として伊田駅か後藤寺駅のどちらかを 「田川駅」にしようという案が浮上。伊田、後藤寺双方の地元商店街を巻き込んで、どちらが田川駅と名のるか大論争に発展した。
最終的に田川市民にアンケートを取り、様々な検討を重ねて、伊田、後藤寺の両駅名の頭に「田川」の二文字を付けることが決まり 現在の名前に落ち着いた。地元では現在でも「伊田駅」「後藤寺駅」のように、頭の「田川」を省いて言うことが多い。
島式ホーム2面4線を有する地上駅。駅本屋側ホーム(1・2番線)は平成筑豊鉄道が使用し、もう一方のホーム(3・4番線)はJRが使用します。両者の線路はつながっています。
改札は(隣り合ってはいるが)別々に設置されており、ホームへは地下通路(線路は高架上にあるため、通路自体は地平レベル)を通っていくことになります。
駅構内に平成筑豊鉄道田川線・伊田線田川伊田駅があります。
JRの駅は九州交通企画が駅業務を行う業務委託駅です。みどりの窓口が設置されています。
1895年(明治28年)8月15日 - 豊州鉄道 (初代) 行橋・当駅間(後の田川線)開業にともない、伊田駅(いたえき)として開設。一般駅。
1896年(明治29年)2月5日 - 豊州鉄道の当駅・後藤寺間が開業。
1899年(明治32年)3月25日 - 豊州鉄道の直方・当駅間(後の伊田線)が開業。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道を九州鉄道 (初代) が合併。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化され帝国鉄道庁が所管。
1957年(昭和32年)10月1日 - 香春・当駅間の短絡線(日田線)が開業。
1971年(昭和46年)3月24日 - 橋はかり廃止。
1971年(昭和46年)10月20日 - 貨物取り扱い廃止。
1982年(昭和57年)11月3日 - 田川伊田駅に改称。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取り扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州が継承。
1989年(平成元年)10月1日 - 田川線と伊田線が平成筑豊鉄道に転換。
2009年(平成21年)4月1日 - 平成筑豊鉄道の駅にネーミングライツにより「MrMax」の愛称が付く。
電報略号 イタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗降人員
-統計年度- (平成筑豊鉄道)1,022人/日
-2009年-
開業年月日 1895年(明治28年)8月15日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■日田彦山線
キロ程 27.4km(城野起点)
◄一本松 (2.4km)(2.6km) 田川後藤寺►
所属路線 ■田川線
キロ程 26.3km(行橋起点)
◄上伊田 (1.4km)
所属路線 ■伊田線
キロ程 16.1km(直方起点)
◄下伊田 (1.6km)
備考 共同使用駅
JR九州:業務委託駅
JR九州:みどりの窓口 有
* 1982年に伊田駅から改称。
田川市石炭・歴史博物館(たがわしせきたんれきしはくぶつかん、Tagawa City Coal-mining Museum)は福岡県田川市にあり、筑豊地方最大の炭鉱であった三井田川鉱業所伊田坑の跡地に1983年オープンした、かつて日本のエネルギーを支えた筑豊炭田の石炭産業に関する資料を展示した石炭鉱業史の専門館である。
田川市の石炭記念公園内にあり、地上2階建て。
筑豊地区の石炭の生成の地質学的な解説から始まり、原始的な採掘から近代的な採掘までの、炭鉱で使われた道具や機械類の変遷を展示解説している。また炭鉱労働者の労働風景や生活を描いた絵画、写真や文学の展示もある。屋外展示スペースには実際に炭坑での作業に使われた電気機関車やトロッコ、炭坑用機械などが展示され、当時の炭鉱夫が暮らした標準的な炭鉱住宅が再現されている。現在の日本のエネルギー事情まで解説した内容の濃い博物館である。また、石炭採掘中に出土したものなどを中心とする歴史的資料も展示されている。
博物館の向かいには“『炭坑節』発祥の地”の記念碑が建っている。この公園内には三井田川炭鉱の二本煙突と伊田竪坑櫓、筑豊地区で使われた蒸気機関車9600形(59684)と貨車(石炭車)1両が保存されている。収蔵している実際の炭坑労働者だった山本作兵衛作の絵画697点が、2011年5月25日、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)により日本で初めて“世界記憶遺産”(世界の記憶)に登録された。
こちらがあの炭坑節で有名な筑豊炭田ですか。
福島県いわき市の石炭・化石館は行ったことがあるのですが、炭鉱の歴史って奥深いですよね。
それに青春の門も確かに筑豊編でしたからね。当時は夢中で読みました。
一度は行ってみたいですね^^