淀江駅は明治35年開業で、山陰地方で初めて鉄道が開通したときからある歴史のある駅です。中心部からは若干外れに位置しますが、旧淀江町の代表駅で比較的利用が多い駅です。米子市東端、鳥取県米子市淀江町淀江にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅です。
快速列車は鳥取方面の片道に限り、半数強の列車が停車いたします(以前は米子方面の列車の停車もあった)。非電化の駅。
相対式2面2線のホームを持つ、行違い可能な地上駅で簡易なプレハブ風駅舎となっています。駅舎に並ぶ、駅舎よりも立派なトイレがあります。遺跡(日本最古級彩色仏教壁画の出土地)があるので、埴輪の頭を模しているようです。
米子駅管理の無人駅でJR化後しばらく有人駅でしたが、現在は窓口も封鎖され簡易型の自動券売機が設置されています。待合室にはFRP製の長椅子が設置されています。1番のりば側に駅舎があり、互いのホームは跨線橋で連絡しています。
以前は単式・島式の複合型2面3線だったが、2003年の鳥取県鉄道高速化事業の一線スルー化工事に伴って3番線を廃止し、現在に至る。駅舎側にも留置線跡と思しき駐車場があります。
淀江駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■山陰本線 上り 倉吉・鳥取方面
下り 米子・松江方面
1番のりばを上下本線、2番のりばを上下副本線とした一線スルーとなっているため、通過列車及び行違いを行わない停車列車は上下線とも1番のりばを通る。
反対方向からの通過列車と行違いを行う停車列車は、上下線とも2番のりばに停車する。
停車列車同士の行違いの場合は、鳥取方面行(上り)が1番のりば、米子方面行(下り)が2番のりばに入る。
1902年(明治35年)11月1日 - 官設鉄道の御来屋駅 - 米子駅 - 境駅(現・境港駅)間開業と同時に設置。客貨取扱を開始。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陰本線の所属となる。
1962年(昭和37年)10月1日 - 貨物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
電報略号 ヨエ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1902年(明治35年)11月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)
妻木晩田遺跡、あるいは妻木晩田遺跡群は、鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田から米子市淀江町福岡に所在する国内最大級の弥生集落遺跡。遺跡の面積は156ヘクタールにもなり、これは発掘当時国内最大級と喧伝された吉野ヶ里遺跡(当時32ヘクタール、現在は調査が進み、約2倍の面積になっている)の5倍にも及ぶ大規模なものです。大山山系から続く丘陵(通称「晩田山」)上に位置し、美保湾(日本海)を一望できる。島根県安来市から、この妻木晩田遺跡まで弥生後期に栄えた古代出雲の中心地であったと考えられています。
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