JR難波駅(ジェイアールなんばえき)は、大阪府大阪市浪速区湊町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)関西本線の駅である。駅番号はJR-Q17。同線の終着駅で、「大和路線」の愛称区間に含まれている。駅周辺はミナミの西外れに位置しています。
かつては湊町と称した地上駅で、周辺の再開発に伴って移転・改称されています。駅が入居するOCATビルはライバルとなる関西空港行きリムジンバスのターミナルでもある。
大阪ミナミの繁華街に含まれる難波に位置し、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の難波駅、近畿日本鉄道(近鉄)・阪神電気鉄道(阪神)の大阪難波駅にも近接している。南海電気鉄道(南海)の難波駅、大阪市営地下鉄の日本橋駅ともなんばウォーク(地下街)を介して結ばれているが、ある程度距離がある。
かつては関西本線の始発駅として、東京・名古屋・伊勢方面の優等列車が当駅始発で運転されていたが、東海道新幹線や東海道本線経由の優等列車および近鉄特急と競合した結果、1973年に全廃された。以後、当駅発着の列車で加茂駅より先に直通する列車の設定はない。
駅名の由来
駅開業の1889年から1994年まで湊町駅(みなとまちえき)と称しており、道頓堀川八丁のひとつである道頓堀湊町(駅開業時は大阪市南区湊町)に開業したことによる。ただし、当時の湊町の範囲は道頓堀川に面した狭小なもので、西成郡難波村(のち大阪市に編入され、難波東円手町)にもまたがっていた(現在の湊町の範囲は1980年に拡大されたものである)。1989年の駅移転によって、元来の湊町から完全に離れて難波側にのみ位置するようになり、地下駅化して私鉄・地下鉄の難波駅と連絡する計画もあったため、1994年9月4日の関西国際空港開港と同日にJR難波駅に改称された。
なお、正式駅名として「JR」を冠したのはJRグループ各社を通して初めてで、駅名にアルファベットが入ったのも日本では初めてである。これ以降、JR西日本の近畿エリアの新駅では、駅名に「JR」を冠したものが登場するようになった。
駅構造
新今宮駅が管理する直営駅で、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属している。ICカード乗車券「ICOCA」の利用も可能である。切符売場いはOCATでのイベント対応か、タッチパネル式の券売機が5台と指定席券売機が1台設置されています。オープンカウンター式のみどりの窓口です。改札口に改札機は6台。ICカード専用機も複数導入されています。
今宮駅から続いた地下線の「なにわトンネル」による島式ホーム2面4線を持ち、大阪シティエアターミナル (OCAT) の真下にある地下駅である。架線は剛体架線である。終着駅ではあるが頭端式ホームではなく、将来のなにわ筋線延伸を見越して通過構造となっているほか、1番のりばと4番のりばの奥に引き上げ線がある。有効長は8両編成分だが、使用していない部分も含めると10両編成分ある。
のりば
ホームは主に、1・2番のりばには普通電車が、3・4番のりばには快速電車がそれぞれ発着する。1994年9月4日~2008年3月14日の間は関空快速(当駅~関西空港駅間)が昼間1時間に1本発着していた。
のりば 路線 行先
1 - 4 Q 大和路線 天王寺・王寺・奈良・加茂方面
地上駅時代
1996年(平成8年)3月に地下化される前は地上駅で、櫛形ホームを設置していた。ホームの表示は2・3・5・6番線(のちに2・3・4・5番線、さらに1・2・4・5番線、そして0・1・2・3・4番線に変更)となっていて、欠番となっている番号は蒸気機関車付け替えのための機回し線にあてられていた(のちに撤去)。国鉄時代は、急行「かすが」は2番線、夜行寝台急行「大和」は3番線から発車していた。
西側に貨車入換用の線路が広がり、駅操車場内の南端には蒸気機関車の転車台が設けられていた(現在は振興局詰所)。また、道頓堀川から入堀が開削されていた。南側には留置線が広がり、夜間滞泊の車両が留置されていた。
駅には町の東西を結ぶ歩行者用の跨線橋(地元の人は「たかばし」と呼んでいた)がかけられていた。駅の東側の跨線橋上り口付近には、駅職員のための厚生施設(理髪室、浴場)も設けられており、地元の人も利用できた。
また、車両が通行できる踏切は駅南側にあり、それも貨車入換線を横切る長さ50 m近い踏切だったため、時々「開かずの踏切」となっていた。地元では降車時に、北端の改札まで行かずに車掌に切符を渡し、ホームの南端から跨線橋下の通用門を通って出るようなこともあった。
2016年度の1日平均乗車人員は24,913人である。難波の中心地から離れていることや、利用客が大和路線の沿線ぐらいであり、ほかの難波駅と比べて利用者が少ない。また、近年では大和路線の快速が当駅始発から環状線直通にシフトしつつあることも要因である。天王寺駅まで阪和線や大和路線を利用する場合であっても、天王寺駅で御堂筋線に乗り換えて、中心地に便利ななんば駅を使う者が少なくない。
駅周辺
難波駅および大阪難波駅とは地下道や地下街で結ばれている。Osaka Metro四つ橋線の難波駅および近鉄・阪神の大阪難波駅(西口)とは比較的近いが、Osaka Metro千日前線・御堂筋線の難波駅とはやや離れ、南海の難波駅とはかなり離れている(最低でも徒歩10~15分程度はかかる)ため、南海との乗り換えはこの駅よりもむしろ2駅先の新今宮駅の方が便利である。
難波新地(現・中央区難波)およびミナミの南北基軸となる心斎橋筋・戎橋筋からはやや西へ外れてしまう反面、南堀江へのアクセスが良く、最寄駅のひとつとなっている。また、Osaka Metro千日前線の桜川駅へも徒歩数分で行ける。
なにわトンネルの地上部(地下化以前の線路跡)は難波塩草敷津公と称する都市公園となっており、南北に細長い区画を有する。
路線バス
大阪シティエアターミナル (OCAT) の2階に「湊町バスターミナル」(呼称は乗り入れ各社により異なる)があり、関西国際空港や大阪国際空港行きのリムジンバスや、日本各地への高速バスが発着している。
また、千日前通沿いに大阪シティバスのJR難波駅前バス停がある。
1889年(明治22年)5月14日 - 大阪鉄道の湊町駅(みなとまちえき、一般駅)として開業し、同社の創業路線である湊町駅 - 柏原駅間の起点となる。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継し、同社の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 国有化により国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、関西本線所属となる。
1973年(昭和48年)9月20日 - 関西本線湊町駅 - 奈良駅間の電化が完成し、10月1日までに当駅発着の全ての定期旅客列車が電車による運転となる。それに伴い、9月30日をもって急行「かすが」の始発駅が奈良駅に変更され、当駅発着の優等列車が消滅する。
1985年(昭和60年)3月14日 - 貨物の営業が廃止され、旅客駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、関西本線の当駅 - 加茂駅間で「大和路線」の愛称を使用開始。
1989年(平成元年)12月28日 - 南西へ約100m移転する。
元の駅舎があったところは、北方を迂回していた千日前通を西へ直進させ、元の千日前通と駅舎跡の一部に湊町リバープレイスが2002年7月16日に開業した。
1994年(平成6年)9月4日 - JR難波駅に改称する。これにより、JR各社では初めて「JR」を冠した駅となる。関西国際空港へのアクセス列車として、阪和線・関西空港線へ直通する関空快速の運行を開始する。
1996年(平成8年)3月22日 - 連続立体交差事業により、JR西日本では初の地下駅となる[1]。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[2]。
2008年(平成20年)3月15日 - ダイヤ改正に伴い、当駅を発着する関空快速の運用が廃止される。関空快速は大阪方面へ直通するようになる。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2015年(平成27年)5月9日 - 南海難波駅付近で不発弾処理を行った影響で南海本線・南海高野線の一部区間が運休。これに伴って阪和線鳳駅始発当駅行きの臨時快速電車が3本運転され、2008年以来7年ぶりに223系が、また旅客電車では初めて225系が8両編成で入線した。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
JR難波駅
じぇいあーるなんば
JR-Namba
◄今宮 (1.3km)(JR-Q18)
所在地 大阪市浪速区湊町一丁目4-1
北緯34度39分59.1秒 東経135度29分43.2秒
駅番号 JR-Q17
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 Q 関西本線(大和路線)
キロ程 174.9km(名古屋起点)
加茂から54.0km
電報略号 ナハ
駅構造 地下駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 24,913人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月14日
乗換 南海電気鉄道(難波駅)
大阪市営地下鉄(難波駅)
近畿日本鉄道・阪神電気鉄道(大阪難波駅)
備考 直営駅
みどりの窓口 有
阪 大阪市内駅
* 1994年に湊町駅から改称。
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