あじさい寺を後に松本市山辺から百名山美ヶ原に向かうつもりだった・・・バイクに跨り良いご機嫌で
気持ち良く走る・・・山辺を抜け近道の「桜清水」まで行って、ふと気が付いた・・「あっ!ガソリン」
そう、寺を出る際「あ~ガソリン入れないといけないな・・・山辺のガソスタで良いか~」と・・・
が、筑摩からついつい近道をし入山辺~桜清水と来てしまったものだからスタンドなど無し!!
あちゃ~やっちまった!戻らんと…ここから先はガソスタ無いし ショック予定変更を余儀なくされる
で、私が毎年葡萄を入山辺まで買いに来るさい必ず通る場所ですし松本に20数年住んでいて知らない
場所があるのでこの際だ!そこに行ってみるか~
え~面倒いので毎度の手抜きでごめんなさい 気になった方はお読みください もしくはスルー?
急坂を何度も折り返しながら登って行きます。足元に注意
途中、視界が開けたところがありベンチもありました 大城の中で最も展望のよい場所のようです
おっ?ここか 意外と近いなと、思ったら 堂平と言う場所
江戸時代に慈眼寺(じげんじ)の観音堂があった場所 東屋で一息 標高715メートル
この後まあ~何もないない・・・上の地図の様に何かしら此処がそうですと、表記してくれ
ていればありがたいのですがね~ 松本市さん!!
あるのは『ヒトクチタケ』の生えた松の木のみ・・・え~ヒトクチタケとは?
ヒトクチタケはカサの直径が2~5cm程度、形は樹木の側面に沿った形のハマグリ型で、色は上面
と下面で違いがあり、上面部分は黄褐色~褐色で表面には光沢が見られ、下面はクリーム色の膜で
覆われていますがやがてその膜は破れ、楕円形の穴が開きます
尚、一説にはヒトクチタケは枯れてから二年目の松の木にしか発生しない為、このキノコが発生
している松の木は枯れから二年目である事が分かるとも言われています
ヒトクチタケと言うと如何にも食べれそうですが煮ても焼いても食えない奴です
堂平から200メートル程の場所どうやら此処が「堀切B」のようです
あれ?ここか? と、思ったら 正面の石段は明治時代に主郭(しゅかく)に建てられた
古峯神社(ふるみねじんじゃ)の参道として造られたものです。本来主郭の石垣に使用されて
いた石材が転用されています
福郭 主郭に次ぐ規模の広い平場です。 周囲を土塁に囲まれ、その内側は幅30メートル
奥行き38メートル 標高835メートル
人がいましたね~ 一寸声をけてみると・・・たまにいらして「ヨウシュヤマゴボウ」を引き抜いて
いるそうです!まっ毒草ですからね 抜いても抜いても出て来て・・・と話し 此処についても
詳しく教えて頂きこの先の道も色んな所に通じていることを教えて頂きましたが往復よりは
此処から主郭に行き(すぐそこ)そこから大嵩崎(おおつき)集落と言う『廃村』間近の集落が
あるから行って見な!と言われ・・そりゃ~気になるよね!大好物だもん(笑)
主郭 大城の中で最も大きい平場 堀切を越えてようやく林城の中枢部である主郭へ
内寸幅約23メートル、長さ60メートルのとても広い平場
周囲を土塁に囲まれ、土塁には石積(いしづみ)がわずかに残ります。東側の土塁には虎口
(こぐち)(曲輪(くるわ)の出入り口)と戦国期に築かれた石積が見られます
標高844メートル
さらっと流し・・・下ります 大嵩崎集落目指して
大嵩崎村山の神 集落は目前です
なるほどねぇ。
信州で訪ねたことがある城は
松本城、松代城、上田城、小諸城、
高遠城、高島城ですかねぇ。
応援ぽち
何気なく置かれているリヤカーに
目が行きました!
全国に多々ある城址・城跡・・・
この類を回られる方はそうはいないでしょうね?
私も目に飛び込んだのはリヤカーでした
このお宅が最上部の家でしたので特にですね