雨乞岳登山口の神社で、山頂での雨乞い儀式に先だってお参りしてから登る事とされていたそうです
石尊神社には250~300年生のアカマツが約50本あり、アカマツの松並木が約200メートル
続いているのですが、全国的にも珍しいそうで自然記念物に指定されていました。
石尊神社の境内はとても広く、広大な林の中を延々と参道が続いています・・・奥が深いな~
疲れている足にはきついか?と、思うもまっ!何とかなるだろうと無事下れた事への報告も兼ねて
昔は近郷に相撲好きな
人がたくさんいて、江戸後期の1829年以降、現在の諏訪大社のように相撲が奉納され賑わっていたそうです
『 文政12年(1829)その筋の上司より甲州相撲目代名取弥惣の書付を賜わり、爾来9月28日の大祭
には力士相撲が奉納され近郷より参拝者多くにぎわいを呈していた。』 (案内板より)
え?まだ奥・・・更に
この階段は何段あるんだ?結構、急だよね・・・少し考えてしまいした が!折角なのでお参りすことに
途中にも石段の両側には
石段を上りきるまで、不動明王の眷属の三十六童子の石仏が20体くらい安置されております
200段の階段でした・・・踏み幅の狭い・急な階段で下りは気を付けないと、と思いながら
石段を上りきると正面に拝殿があり、拝殿前は広場になっていました。 祭神は大山祇命と日本武尊。
室町時代創建で、約200年後に再興されたのが荒廃したので、江戸末期に復興したと伝えられている
そうですが、拝殿はすべて遠近の信者による寄進だそうです。
大山祇命と日本武尊の二神を祀り、当社の創建は応永5年(1398)と、伝えられ約200年後の文禄3年(1594)
に再興されたのが荒廃したので江戸時代末期に至って、諏訪の宮大工立川流の工匠によって復興されたと
伝えられている 白州町教育委員会案内板より
- 石尊神社 - 祭神 大山祇神、日本武尊
創建 応永5年(1398)
由緒 再建文禄3年(1594)甲斐守武田信虎の崇敬が厚く家臣馬場美濃守信房も
営繕料若干を寄進され、寛文12年徳川家より田1反17歩を寄進せられた。
(案内板より)
気まぐれおやじさんは、神社仏閣も多く訪れていらっしゃいますね。
信心深くていらっしゃいます。
長野、山梨には多いというのもあるのでしょうが、、、
それが写真とも結びついて、良い事だと思います。
記事が参考になり、ありがとうございます。石尊神社から雨乞岳登山は、急上りでしょうか。雨乞岳は登ったことがあるのですが、同じところへ下りたので、石尊神社には行かずじまいでした。今度は、石尊神社からの往復にしたいと考えています。
私は正直、そんなに信心深い訳では無いと思います
只、神社仏閣の空気・所感・情調又は匂い?が好き
鳥居を入った最に感じるピン張った空気感が好きなんです
登られた事があるのですね?
白州ビレッジからの登りは新しく、古くからは
石尊神社からしか無かったそうです
石尊神社からの登りはダラダラと長く白州ビレッジ
からの登りと比べると相当、距離があります
水晶ナギからは一気の急登りとなりそこから
40分位見ないといけないでしょう(雨乞岳山頂まで)
此のピストンだと7時間位見ないといけないと思います(個人的に)
頑張ってください
おはようございます。
ものすごい数の階段ですね。
どうしても神社仏閣と言えば階段がつきものです。
山につくられているものが多いせいでしょうか?
苦労して登らせてぱっと開けた所に拝殿があると、なんともありがたく思えますね!
うがった見方をして罰が当たるかも。(笑)
確かに、階段はつきものですね・・・
山肌を削って作る所も多いのでそうなるのかもしれませんね
山岳信仰にも関係があるのかもしれません
今回は正直、山門から見た際少し遠いな~とは
感じましたが、奥まで行って見ると更に『階段』
それもかなり急で、歩幅は狭いうえに少し斜めっている所も
山行の帰りだったので少し躊躇しました