今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

登山の日、山の日

2006-10-03 | 記念日
今日(10月3日)は、「登山の日、山の日」
日本アルパイン・ガイド協会の重野太肚二氏が発案し、同協会が1992(平成4)年に制定。「と(10)ざん(3)」の語呂合せ。
1971年に設立、運営されてきた「社団法人日本アルパインガイド協会」は全国団体であり「日本山岳ガイド連盟」を合併し、より発展的で社会的な基盤と、本邦における山岳ガイド並びに自然ガイドの養成・認定の水準を確立するため、新たに「社団法人日本山岳ガイド協会」として再スタートしたようだ。
社団法人日本山岳ガイド協会 設立趣意書↓
http://www.jfmga.com/what_jfmga.html
山の高さ(標高)は、海面を基準とする(海抜という)ことが一般的である。
、山岳は、比較的小規模な山を丘陵、丘、岡と呼び、山と区別しているような場合があるが、特段に山との特別な区別があるわけではない。ただ、山の定義には、周囲との相対的な高さが用いられる場合もあり、例えばブリタニカ百科事典では、相対的に2000フィート(610m)の高さを持つものを山としているようだ。
登山とは、読んで字のごとくに登ることであるが、その対象は、簡単に登れる近隣の丘陵からヒマラヤ山脈まで様々である。
世界の多くの地域では、古代より山に対する信仰が生まれ、そのような、山岳信仰には、山へ登るという形態もあれば、山を敬遠して眺めるだけという形態もあったが、このうち前者が、近代に入って信仰色が希薄化・消滅し、余暇としての登山へと変わり、今では、山へ登る人達の山との触れ方も、信仰だけでなく、娯楽、スポーツ、職業としての登山など、広範な人に親しまれるようになった。
歴史的には、121年にローマ帝国のハドリアヌス帝が朝日を見るためにエトナ山を登頂したのが、宗教目的以外で記録されている初めての登山だといわれている。13世紀になるまでヨーロッパでは、登山は記録されていない(これは単に文盲率が高く記録を残さなかったためなのか、それとも登山自体が行われなかったのかは不明)そうで、1336年4月26日にイタリアの詩人、ペトラルカが弟ジェラルドを連れてフランスのアビニョン近郊ヴァントゥ山の登山に挑み、その頂上まで登った。その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っていることから、ペトラルカは登山の父と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としているそうだ。これは、文化史家のヤコブ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されており、旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の登山ということになるそうである。
日本でも、宗教目的以外で記録される著名な登山といえば、安土桃山時代の佐々成政による積雪期に敢行された「さらさら越え」(北アルプス越え)があるが、これも山に登ること自体を目的としたものではない。フリー百科事典『ウィキペディア』によれば、日本の近代登山のはじまりをどの時点に置くかは、人によって解釈が様々のようであるが、1874(明治7)年に六甲山における、ガウランド、アトキンソン、サトウの三人の外国人パーティによるピッケルとナーゲルを用いた登山が、日本の近代登山の最初とされることが多いという。ガウランドは1881(明治14)年に槍ヶ岳と前穂高岳に登山して「日本アルプス」を命名した人物で、サトウは富士山に最初に登った外国人としても知られる。
エベレストの登頂に成功した、ジョージ・マロリーが記者の「なぜ"未踏峰エベレストに登るのか」という質問にたいして、「そこにそれがあるから-Because it is there.-」と答えたのはあまりに有名であるが、次第に、登山者達は、競って、世界の高い山に登るようになった。
六甲山は、兵庫県神戸市の北部に位置する六甲山系の山塊である。六甲山最高峰は標高931m。六甲山を中心に、長さ数10kmにわたる六甲山地を形成する。瀬戸内海国立公園の区域に指定されている。 接する市は、神戸市の他、芦屋市、西宮市がある。この山の名は上代には「むこやま」と呼ばれ、「武庫山」などと字が当てられた。江戸時代後期以降、「六甲山」の字が当てられ、読みも「ろっこうさん」と変化した。
現在の六甲山の歴史は、明治時代以降に欧米人によって開発されたハイリゾートに始まる。神戸の貿易商A・H・グルームは、六甲山の開祖と言われている。1894(明治28)年、彼は当時人跡まれであった六甲山頂にはじめて別荘を建て、この別荘では多くの外国人が週末をすごした。数年後、山頂には2・30件の別荘が建ちならぶ、外国人別荘村が出現した。
彼らは山頂にゴルフ場を開発し、春から秋にかけてはゴルフに興じた。これが、日本で最初のゴルフ場といわれる神戸ゴルフ倶楽部である。
神戸の市街地の背後に連なる六甲山は、四季それぞれに姿をかえ、私達の目を楽しませてくれ、休日に楽しむハイキング、再度山や高取山などの早朝登山、須磨から宝塚への全山縦走と、六甲の山は神戸市民にはたいへん親しみ深い山である。この六甲山系には、じつに100以上もの登山道があると言われている。数多くの登山道の中にシェール道、アゴニー坂、ドゥントリッジ、トゥエンティクロス、シュラインロード、カスケードバレイなど、ハイカラな名前のものがいくつかあるが、これらは明治の昔、神戸に住んだ外国人が、六甲の山を愛して名づけたものである。以下の六甲山のカタカナの道では、場所と名前の謂れがわかる。
六甲山のカタカナの道↓
http://www.geocities.jp/jyunkubo/kobe/kanaroad/kanaroad.htm
もともと日本での登山は、御獄や富士などへの宗教的な登山であった。そこに近代スポーツとしての登山を持ち込んだのが、ウォルター・ウェストンやグルームら神戸の外国人たちであった。1889(明治22)年には、ウェストンによって登山にテント・ザイル等が持ち込こまれ、ウエストンの助言で小島烏水らが1905(明治38)年に日本で最初の「山岳会」(後の「日本山岳会」を設立した。この年を近代登山のはじまりとする説もある。
グルームらとゴルフ場を開発していた中のひとりH・E・ドーントは、ゴルフのシーズンオフに六甲の山を歩く登山会、「The Kobe Goat Mountain Club」を創設し、その活動を記録した機関誌『INAKA』を創刊した。彼らは朝の出勤前に布引や再度筋あたりを散策し、週末には六甲山頂でゴルフやハイキングを楽しみ、また日本各地の山に登ったりと、多彩な方法で登山そのものを楽しんだ。
三宮の直ぐ北側にある標高470mの再度山の南山麓に再度山大龍寺(ふたたびさん・たいりゅうじ)がある。山門を潜って参道を登っていくと「毎日登山発祥の地」である善助茶屋跡がある。「毎日登山」は、明治時代に神戸在住の欧米人H・E・ドーントらが早朝、山に登り、登山した外国人が善助茶屋にサイン帳を置いて、登るたびに署名しているのを真似て神戸市民も六甲山に登り始めたのが毎日登山へと発展してきたと言われている。そして、1910(銘じ3)年に、創立された神戸草鞋会(後の神戸徒歩会)によって再度山に最初のコース開設された。
神戸で私達は、この毎日登山を「裏山登山」ともいう。海と山とに挟まれて東西に伸びる狭い街の神戸で、屏風のように連なる六甲連山の山は、神戸市街地の住民にとって南の海に向かって家が建っておりその面では住んでいる家の北側(南に対して裏)にあるので裏山になるのである。すぐに山に登れる環境にあり、清涼な空気を吸って、心身ともに爽快になる裏山登山は毎朝の習慣として定着している。
過去においては、登山というとワンダーフォーゲルや山岳部のイメージが強く、厳しく辛く、特殊な世界と見られがちであったが、近年は、高齢者でも気軽に登山やトレッキングが出来るように登山道も整備がされ、体力にあった登山ルートで無理なく景色や運動を楽しむことが出来るようになってきている。
このような、レクリエーションとしての登山の魅力は、ゆっくりと傾斜を歩くことによる有酸素運動や、新陳代謝の活性化、あるいは景観や自然の風景そのものを楽しむことにある。他にも、森林浴(リラクゼーション効果)を楽しんだり、共に登山をする人との交流を目的とする場合もある。私達が登っている裏山には、4軒ほどの茶店があり、茶店ごとに、輪投げや、卓球、弓の道場、詩吟教室、謡曲教室、日本舞踊の教室などもあり、又、毎朝茶店横の広場ではラジオ体操もある。茶店では、囲碁や将棋を楽しんでいる人、店によっては朝からカラオケをやっているところもある。茶店ごとに登山帳が置いてあり、そこに登山のサインをするようになっている。私は、今は普通、週に2~3回しか登らないが、毎日登っている人が多く、山であった人たちは、見知らぬ人達でも、皆、おはよーの挨拶をするのが、常識となっている。最近は、団塊の世代が退職の時期を迎えていることからであろう、私達が登っている裏山にも定年を迎えた人達と思われる今まで見なかった新しいご夫婦と思われる登山者が非常に増えてきた。今、一種の登山ブームともに高齢者の無理な登山も増え、遭難事故件数も増えつつあるというが、この裏山は300メートルほどの山であり、無理なく登れて健康管理には丁度よい。又、世間では、登山者の増加とともに、山にゴミを捨てる人も増えているようであるが、私達が上っている裏山は、みんなの生活の場のようにもなっており、ボランティアたちも多く、登山者が自主的に、ゴミを拾ったり、登山道の整備や清掃、休憩所のベンチなどの補修、木や花の手入れなどもやっており、先に述べた団塊の世代の退職者なども増えてきてその人達も、山の手入れに自主的に加わっているのだろう、以前より、ずっと、環境がよくなってきている。
神戸では、正に、裏山登山は、神戸市民の生活の場ともなっているのである。海と山とに挟まれた狭い街神戸では、山は自分の家の裏庭のようなものなのである。素敵な環境に恵まれている事をいつも感謝している。
神戸の街を歌った歌には、「神戸裏山ハイキングの歌」、「神戸麻耶小唄」「山は六甲」「山と港と花時計」など山を歌った歌も多い。以下の私のHPでは、歌詞を紹介しています。
神戸の街を歌った歌↓
http://www.geocities.jp/yousan02/kobe-uta-07-1.htm
(画像は左:川西英版画「神戸」神戸の背景は六甲山脈。右:善助茶屋跡の碑・「登山発祥の地」)
参考:
社団法人日本山岳ガイド協会 
http://www.jfmga.com/
全国山データ検索&山行情報交換サイト/登山専門ドットコム
http://www.tozan-senmon.com/
民衆を愛した佐々成政~真実だった、厳冬の北アルプス"さらさら越え"~
http://www.ccis-toyama.or.jp/toyama/magazine/narimasa/sasa0204.html
アーネスト・サトウ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%A6
六甲山の歴史・文化
http://www.hint.ne.jp/rokkosan/rekisi/rekisi.htm
神戸市文書館 収蔵資料:古文書
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/shiryou/komonzyo04.html
神戸背山の道
http://www.geocities.jp/jyunkubo/kobe/
のんびり ゆっくり 神戸の遊歩道
http://www.all-suzurandai.com/bunka/arukou.html
神戸労山のホームページ
http://homepage3.nifty.com/koberozan/index.html
神戸六甲山系の森林
http://shinrin.cool.ne.jp/index.html
神戸市民山の会
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/033/sports/yamanokai.pdf
(NPO)日本トレッキング協会
http://www.j-trek.jp/
作家別作品リスト:小島 烏水
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person27.html
六甲山・摩耶山・再度山
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/17/010/area/scape/rokko.html
登山史年表
http://www.ameame.com/dic/lib2-sub.htm
徳川道 ~幻の西国街道のバイパス~
http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/tokugawa.htm
K O B E の本棚-神戸ふるさと文庫だより-第20号 平成8年9月20日編集・発行 神戸市立中央図書館
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/070/hon_20.html