今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

陶器の日

2006-10-04 | 記念日
今日(10月4日)は、「陶器の日」
愛知県瀬戸市の提唱により日本陶磁器卸商業協同組合連合会が1984(昭和59)年に制定。
以下参考の日本陶磁器卸商業協同組合連合会のHPをみると、「陶器の日」の説明として、以下のように記載されていた。
”現代日本の陶磁器を古代にさかのぼってみると、1万年前の縄文土器に始まり、紀元前後に焼かれた弥生土器、古墳時代の後につくられた土師器、その後5世紀から12世紀頃にかけて日本の陶磁器の源流である須恵器といわれる陶質の土器が焼かれていた。奈良時代、平安時代になってわが国で初めて緑釉、二彩、三彩の釉(うわぐすり)をかけた陶器が焼かれた。当時これを「陶瓷」と呼び緑釉、三彩など釉瓷の製作、技法については正倉院文書の「造仏所作物帳」に、天平5年(733年)から1ヵ年にわたって行われた興福寺・西金堂の造営にかかる記録が残っているが、それに造瓷に関する部分がかなり詳しく載っている。古代の日本では「陶器」を「陶瓷」と呼んでいたので、陶瓷の陶を十とし、瓷を四となぞらえ10月4日を日本の陶器の日としたゆえんである。 「陶瓷」について漢和辞典を引いてみると、「トウシ」と読み「きめがこまかく質の硬い陶器」「磁器」と説明してありました。” ・・・とあった。要するに、数字の語呂合わせ記念日である。
現在使われている「やきもの」には、吸水性のある粘土質の素土に釉薬を施した現在使われている志野、薩摩、唐津、萩焼のような「陶器」。石の粉に粘土や石英などを混ぜた陶石を使って焼いた有田焼、伊万里焼、清水焼のような「磁器」、「陶器」と「磁器」の中間的なやきものである備前焼、常滑焼のような「器(せっき)」の3種類が中心である。これ以外に最も原始的なやきもので、歴史が古く、日本でも1万年以上前の縄文土器が始まりと言われる粘土を原料とした、無釉、素焼きの「土器」があるが、このような「土器」は、今では、神社などどで
みられるカワラケ(素焼きの小さな皿)ぐらいしか見ない。
やきものの、「陶器」「磁器」、「器」など、それぞれに特色があり味わい深いものがあるが、今、家庭生活の中で使われているものには、やはり、「器磁」のものが一番の多いのではないか。
「磁器」はどこの国でも、やきものの中では一番遅く(逆に言えば、一番新しく)誕生している。日本の場合は、17世紀初頭である。文禄、慶長の役(1592~1598)の時、鍋島藩主・直茂(なおしげ)に伴われて朝鮮から渡来した陶工・李参平(り さんぺい。日本名:金ケ江三兵衛)が、佐賀県有田町の泉山(いずみやま)で、原料の白磁鉱を発見し、そばの天狗谷で、その焼成に成功してからである。中国に比べざっと、千年、朝鮮半島や安南にも700~800年遅れてスタートしたことになる。しかし、材料が、「土器」や「器」「陶器」の土と違って”石”であるからやきものの中では、一番硬い上に、吸水性がないから水漏れの心配もないし、上釉薬をかけているので永く使っても汚れや臭いがつきにくく、薄手であるが、陶器より硬くて耐久性もあるなど質の点では一番優れているといえ、このため、日常の器としての食器として最適だからである。また、素焼きが白いので、美しい色絵を描く事がでるので、観賞用の美術品としても沢山作られている。
「陶器」は、粘土類の土を焼いて作られる器のうち、素地(きじ)に吸水性がありを施したやきものであることは先に述べたが、「磁器」の生産地である愛知県瀬戸市の提唱により日本陶磁器卸商業協同組合連合会が「陶器の日」を制定しているのを見ても分かるように、陶器は、陶磁器の一般を指す場合がある。この陶器について、フリー百科事典『ウィキペディア』で非常に興味あるあることがわかった。
大阪府堺市中区に陶器の名のある地名があり、かつては東陶器村西陶器村が存在していた(現在の住居表示では「陶器北」のみが残されている)。
江戸時代には、ここ和泉国大鳥郡陶器庄(現在の大阪府堺市中区陶器北→Mapion地図)に、陶器藩が設置されていた。
陶器藩は、慶長9年(1604年)、但馬国出石藩主であった小出吉英が、叔父の小出三尹(みつまさ)に1万石を分与。これにより三尹は諸侯に列し、陶器藩の立藩となったというのである。ちなみに三尹は、豊臣秀吉の生母・大政所なかの妹を妻とする小出秀政の四男である。
三尹は慶長14年(1609年)から徳川氏に仕え、大坂の陣においても徳川方として参戦した。そして尾張国遠州で奉行職を務めるなどの功績を挙げている。三尹は寛永19年(1643年)4月29日に死去し、後を小出有棟が継いだ。有棟の後は小出有重が継ぎ、和泉陶器藩の第3代藩主となった。陶器藩は1万石の小藩に過ぎなかったが、この頃には農作物や海産物に恵まれて最盛期を迎え、実質的には1万石以上の収入を得ていた。そのため、「物毎、自由叶フ」とまで称されたという。ところがそれをいいことに、無能な有重は遊興にふけり、酒と女に溺れて贅の限りを尽くし、さらに性格が短気な上に粗暴であったため、これを諫言する家臣を処罰し、領民に対しては悪政を敷いたとまで言われているそうだ。このような悪政を次第に幕府も看過できなくなり、遂に元禄4(1691)年7月26日、幕府は、改易では無く、大名のまま身柄だけを半井瑞慶に預けるという、(身柄だけを流罪にするという)処罰を下した。
翌元禄5(1692)年5月9日に罪を許されて大名として復帰したが、翌々元禄6(1693)年5月23日に死去。このような暴政を重ねた経緯から、有重の死後は子の小出重興へと受け継がれたが、重興は元禄9年(1696年)4月に病に倒れた。しかし、重興には嗣子が無かったため、弟の小出重昌を養子とすることで存続を願い出たが、その許可が出る前に重興が死去したため、陶器藩は無嗣子のために改易となったというのである。
以下参考の「和泉陶器藩陣屋跡」によると、和泉陶器藩の第3代藩主となった有重は先にも述べたようなことから「愚闇之悪大将」と評された暗君で、幕府はこの頃から陶器藩の取り潰しを画策し、隠密を放って藩情を探っていたという。小出秀政の岸和田入封以来、100年間和泉国に根を張ってきた小出家は、周辺の代官にも息のかかった者が多く、わずか1万石の大名ながら国内に隠然たる勢力を保持しており、また、豊臣色の濃い家という事もあって、幕府にとっては目障りな存在であったらしい。幕府はこの頃から陶器藩の取り潰しを画策し、隠密を放って藩情を探っていたという。
陶器藩のあった陣屋跡は現在は公園になっていて、建物等は一切残されていない。
地図上この近くの台地の(上堺市上之1215)に「陶荒田神社」がある。又、「吉川工業陶器団地」の名も見える。
かっての住居表示は陶器村大字太田字上之で、「陶器」は「スエキ」と訓むそうだ。 以下参考に記載の「延喜式神社の調査/陶荒田神社」「神奈備・陶荒田神社 』などを読み、総合すると、この神社の森は太田の森と言い、『崇神紀七年』の大和の三輪の神大物主神を祀った「茅淳県陶邑(陶村)」の大田田根子命に関わる地名で、大田田根子の父は大物主神、母は陶津耳の娘の活玉依姫命。『古事記』では大物主神の四世孫。『古事記』によると大田田根子命は三輪君や鴨君の祖となっているそうだ。
この周辺は茅淳県大村椰と呼ばれ、丘陵の連なる山間地で陶土と薪に恵まれ、後世「陶器村」と称するほど、古代にあつては陶器(須恵器)の生産が盛んに行なわれていたそうで、その窯跡は凡そ220カ箇所におよび、1956(昭和31)年1月に「陶器山古代窯跡」として史跡に指定されているそうだ。当社も陶器を生産する氏の氏神・鎮守神として祀られたのが本来の姿であろう。社名陶荒田の由来 は大田田根子命が勅命をうけて大三輪大神を奉斎することとなつたとき、この陶器郷の太田森に祖神を祀る社殿を建立したといわれる。
以来当社は陶器郷の氏神として崇敬され、且つ陶器の生産に携わる 業者の守神として又衣食住(生活の神様)の守護神として崇拝を受け尊敬されて連綿 として祭祀を続けているということだ。三輪山が見えるライン上の高地で、かつ陶器生産の適地(粘土、木材)に神社が出来たと言うことであって、それがここの神社の神主だった大田田根子命が三輪山の祭祀に招かれた伝承となったのではないか。それは、渡来人の陶器(須恵器)をよくする技術者達を配下に組み入れるべく、三輪君や鴨君が赴いたのであろうと推測している。詳しくは、以下参考のHPで、見るとよく分かる。
陶器藩の小出家もこの神社へ参拝していたのだろうね。又、この小出氏の家系をみると、やきものの里である「出石」、「丹波」、「備前」などと縁も深いようであるが、私はやきものが好きなので、ここらの窯元は神戸からも遠いところではないので窯元巡りも楽しんできた。それぞれ、特徴があり、味わい深いものがあるが、私は、「磁器」のものよりも土で出来た「陶器」のものの方が、温かみがあって好きである。特に、お酒の好きな私は骨董品の酒器類などをコレクションしているが、いつの間にか、お酒に適した「備前」のものが増えている。
やきもの好き、お酒好き、骨董好きの人など興味があったら、本館のコレクションも見てくれると嬉しいよ。( ^_-)-☆パチッ              
よーさんの我楽多部屋 常設展示室Ⅰ酒器類 常設展示室Ⅱ骨董類
(画像は、画像はコレクションの備前焼徳利。初代小西陶古作品)
参考:
陶器 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E5%99%A8
和泉陶器藩陣屋跡/wolfpac.press.ne.jp
http://wolfpac.press.ne.jp/shiseki.html
田園陣屋
http://www.geocities.jp/kitamejirou/new_page_14.htm
延喜式神社の調査/陶荒田神社
http://www.geocities.jp/engisiki/izumi/bun/iz050111-01.html
神奈備・陶荒田神社 
http://kamnavi.jp/en/izumi/suearata.htm