今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

釣りの日

2006-10-10 | 記念日
今日(10月10日)は、「釣りの日」
全日本つり団体協議会と日本釣振興会が1977(昭和52)年に制定。
魚の幼児語から「ト(10)ト(10)」の語呂合せ。
釣り(つり)とは、釣り竿、釣り糸、釣り針などの道具を使って、などの動物を採捕する方法のことである。
「とんぼつり、今日は何処(ドコ)まで行ったやら」この句は江戸時代の女流俳人の句で「とんぼつり〔=トンボ釣に余念の無い、うちの子供は〕きょうはどこまで行ったやら」とさおの先に付けた糸に、囮(オトリ)のトンボを結びつけておき、それを追うトンボを捕らえる”様子を詠んだ句であり、「釣り」の対象は、必ずしも、魚だけではないが、普通に「釣り」といえば、主な対象は、海・川・湖・沼などの水圏に生息する魚を指すことが多い。以下参考の魚の雑学の「サ・カ・ナの語源」では、” 生きている魚は昔「イオ」と読んでいたようだが、この魚の字をイと訓むのはイオの略称で、オと訓むのは朝鮮語に由来する発音だという説があり、「古事記伝では、生きている魚を宇乎・<ウオ>といい、饌・<せん>(料理して供えるもの)にした場合はナ(那とかき嘗める・<なめる>という意味)とよんだ。」とあるそうだ。トトは大言海によると「韃靼・<だつたん>(蒙古系のタタール族)の言葉なりといい、数を数える言葉に始まる。」”とある。又、以下参考の「愛媛の伝承文化・「魚」の幼児語 」によれば、”狂言本の『腰折』に、「ととをくれうならば、はがわるいほどに、ほねはいや、みばかりくれいと云」とあるように、江戸時代には既に「トト」と呼んでいたようだ。元禄5年成立の『女重宝記』に「うをは、とと」とある(魚を「トト」と呼ぶ意味)。室町時代の辞書である『節用集』には、「斗斗 トト 倭国小児女、魚を呼びて斗斗と曰ふ。類節に云く、南朝、食を呼んで頭となす。魚を呼びて斗となす。此れ本や。」とあり、室町時代には既に「トト」に関して、このような説明がある"ようだ。古くから、魚をトトと呼んでいたのは、幼児だけでなく、女房詞でもあったようだ。先に案内のHPを見れば、魚の語源他、魚名の由来 ・魚に関する言葉 ・魚の食べ物語源 などいろいろと面白いことがわかるよ。
釣りの手法には、対象とする魚の種類によって、釣竿を使わない手釣り(ワカサギ釣りなど)よるものや、マグロ漁業で行われるはえなわなどもあるが、一般的な釣りはやはり、、釣竿での釣りであろう。私は、今は新鮮な魚なら大概のものは食べるし、肉類よりも好きになったぐらいだが、もともとは魚が嫌いで、あまり、食べなかった。私達が子どもの頃は、魚も瀬戸内の青物が主体だったし、流通や販売方法が今の時代のように進んでいなかったので、市場などで売られているものも、鮮度が良いとは言えず、家で食べる頃には、臭いがしていたので食べれなかったのである。それでも、神戸は、海が近く、又、池も多かったので、近所の釣り好きの兄さんや同じ様な年頃の者同士で、よく釣りには出かけた。しかし、もともと、魚が嫌いなので、釣り針に餌をつけるのも好きでなかったし、釣りの方法もあまり積極的に覚えようとしなかったので、仲間は釣っても私は、余り連れなかった。それで、よかったのだ。仲間と一緒に海や池などに遊びに行って、釣り竿を垂らしておればそれでよかったのだ。
釣りは食料を獲得する一手段として古くから行われており、日本では、石器時代の遺跡からも骨角器の釣針が見つかっているようだ。釣りは、それを業とするだけではなく、江戸時代ごろからは趣味としても行われるようになった。
日本では釣りをしている人、釣り好きの人のことを太公望と言ったりするが、これは、の文王が、渭水で釣りをしていた呂尚(りよしよう)を見て、「吾が太公(祖父、古公亶父(ここうたんぽ)、子(し)を望むこと久し」と言ったという「史記(斉世家)」の故事からつけられた尚の尊称である。呂尚は軍事の専門家で、商()王を倒すためにいつか誰かが自分を求めてくるものと考え、彼は渭水の支流(現在の西安近郊)で、80才になるまで静かに魚釣りをしながら待ったという。つまり、太公望は文王の目にとまるために釣りをしているふりをしていただけで、実は釣針もつけていなかったといい、中国で「太公望の魚釣り」(太公釣魚)と言えば、「下手の横好き」と言うニュアンスらしい。
私がいつも行っている理髪店のご主人は大の釣り好きで、酷いときには、休みの前の日から遠方まで釣りに出かけるのはよいが、疲れたといって、営業の日でも開店の時刻が遅れる事がよくある。仕事よりも釣りの方が大事って感じであるが、腕はいいのだろう、店内には立派な魚拓(ぎょたく)が沢山、これ見よがしに掲示している。散髪中に、もし、釣りの話でもしようものならもう覚悟をしなければならない。釣りの話で始まり、釣りの話しで終わってしまう。釣り好きというより「釣りキチ」「釣りバカ」といえるのではないか。そういえば、以前「釣りキチ三平という、魚釣りが大好きな「釣りキチ」(「釣りキチガイ」の略、つまり熱狂的に釣りが好きな人のこと)少年三平の漫画が流行っていたが、今は「釣りバカ日誌」という、万年ヒラ社員のサラリーマンであるハマちゃんこと浜崎伝助と、「スーさん」(ハマちゃんの会社の社長・鈴木一之助)の二人の奇妙な友情を中心に、ハマちゃんの釣りバカぶりがもたらす珍騒動を描いた人気シリーズが流行っている。映画にもなり今年、「釣りバカ日誌17」が上映されている。原作の漫画は読んでいないが、映画の方は、原作より「釣り」に対する描写は薄められ、西田敏行演ずる浜崎伝助のベタなキャラクターと三國連太郎の渋めの鈴木社長とのやり取りに重点が置かれているようだ。私が現役時代の会社にも釣り好きが大勢いたが、どうも、このような釣り好きには「釣りバカ」に近いような者が結構いるね~。映画の方はテレビでの放映のものを何本か見たが、私には、どうもハマちゃん役の西田敏行は好きになれないが、スーさん役の三國連太郎がいい味出していて大好きだ。恐らく、この映画は、スーさんがいなくなると流行らなくなるのではないかな~。スーさんがいなければ、ただのおふざけ映画だよ。
この釣りの、日本最古の釣り指南書とされているのが『何羨録』であるが、この著者として知られるのが、津軽弘前藩分家の黒石藩三代当主津軽政兕(つがるまさたけ)、通称・津軽采女である。
旗本津軽采女の屋敷は江戸本所三つ目橋南側にあったようであり、これはかの俳聖・芭蕉庵の近所となる。 松尾芭蕉は延宝8年(1680)の冬、突如として宗匠生活を捨て、江戸市中から深川の草庵(第一期・芭蕉庵)に転居した。「しばの戸にちゃをこの葉かくあらし哉 」(「続深川集」)。入庵直後の作で、前書に「こゝのとせ(九年)の春秋、市中に住み侘て、居を深川のほとりに移す。長安は古来名利の地、空手(くうしゅ)にして金なきものは行路難しと云けむ人のかしこく覚え侍るは、この身のとぼしき故にや。 」とある。なぜ芭蕉が隠棲の道を選択したかについては、この「しばの戸」の句から、内なるものが垣間見られる。それは、名誉欲や利欲の渦巻く俗世間からのがれ、深川、草庵、隅田川といったシチュエーションの中に自らを誘い、清貧を礎にした漢詩文中の世界を自己の現実生活で体現しようとした芭蕉の心中であろう。(以下参考の芭蕉庵・ドットコムの「大川端芭蕉句選碑めぐり」の「しばの戸」より)
芭蕉は、深川・芭蕉庵に移り、元禄7年(1694)10月12日に旅先の大阪で51歳で没するまで、この地を根拠地として全国の旅に出ていた。芭蕉庵は、弟子の杉山杉風(さんぷう)の土地で、生簀があり、その番小屋を改装したものに、芭蕉を住まわせたものといわれている。この草庵は門人から送られた芭蕉の株が生い茂ったところから「芭蕉庵」と呼ばれ、芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれて保存されていたが、幕末から明治にかけて消滅し、今は、場所が特定できないそうだ。
なにやら釣りとの奇縁を感じられ、芭蕉が風雅の目で隅田川を眺めている足元にて、津軽采女が釣果を求めて釣りをしている図を想像すると本当に楽しくなるね~。
「嗚呼、釣徒の楽しみは一に釣糸の外なり。利名は軽く一に釣艇の内なり。生涯淡括、しずかに無心、しばしば塵世を避くる。すなわち仁者は静を、智者は水を楽しむ。あにその他に有らんか」
この一文は、彼の著書「何羨録」の序文である。
意訳すると「あー、釣り人の楽しみはやっぱり”釣果”に尽きるでしょう。社会的名誉とかはどうでもいいかなぁ。だけど生きていくと、どうしてもなにかと煩わしい。難しいもので。
だから自分は時々、そんなことは忘れることにしている。つまり、仁(この場合は慈悲や憐憫)の心を持つ者は静かに暮らし、智恵のある者は水に楽しむ(釣り)のだ。どうだい!こんな楽しみがほかにあろうか!」・・・といったところのようであるが、この一文に釣りの真髄および、采女の生涯の心情が読み取れる。
幸田露伴(こうだ ろはん、慶応3年7月23日(1867年8月20日) - 昭和22年(1947年)7月30日)は、江戸(現東京都)下谷生れであるが、彼は、その当時の隅田川界隈での釣り(漁)の様子を「夜の隅田川」で詳しく書いている。”羽田あたりからも隅田川へ入り込んで来て、鰻を捕って居るやつもあり、又釣をして居る人もある。昼間は賑わっている隅田川も人によると、夜は淋しいだろうと云うが決してそうでない。陸の八百八街は夜中過ぎればそれこそ大層淋しいが、大川は通船の道路にもなって居る。漁士も出て居る、また闇の夜でも水の上は明るくて陽気なものであるから川は思ったよりも賑やかなものだ。”と当時は、猟師や釣り人で非常に賑わっていたようだ。
夜の隅田川・幸田露伴(青空文庫)↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/1447_17578.html
釣りについては、書き出すといくらでも書くことがあるので、このくらいにしよう。
最近は、遊漁人口の増加と産業化によって、釣りによるゴミの発生や、養殖によるまき餌の問題、スポーツフィッシングなどから外来種魚の繁殖などいろいろな環境問題なども発生しているようだ。今日の「釣りの日」を機会に、「釣り」にまつわる諸問題を考え、反省するのもよいことだ。
(画像は、コレクションの映画「釣りバカ日誌17」のチラシ)
参考:
(社)全日本釣り団体協議会 公式ホームページ
http://www.zenturi-jofi.or.jp/
Welcome to 日本釣振興会
http://www.jsafishing.or.jp/
釣り-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A3%E3%82%8A
魚の雑学
http://homepage2.nifty.com/bouhatei/zatugaku.mokuzi.htm
愛媛の伝承文化・「魚」の幼児語
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/1728/2002-4.html
斉の歴史
http://www.sun-inet.or.jp/~satoshin/chunqiu/sei/seilist.htm
近世の家政学ー重宝記・料理本の世界ー
http://www.suma.kobe-wu.ac.jp/geinou/ten_kase.html
[PDF] 『易林本平井板節用集』解説 川嶋 秀之
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/kan-db/namazu-d/kai/kai-setsuyoushu.pdf#search=%22%E7%AF%80%E7%94%A8%E9%9B%86%22
芭蕉庵・ドットコム
http://www.bashouan.com/index.htm