今日(10月27日)は、「読書の日」
「読書週間」の1日目の日である。(読書週間 10月27日~11月9日)
現在の読書週間は1947(昭和22)年に読書週間実行委員会(現在の読書推進運動協議会(読進協))が始めた。
19248大正13)年に日本図書館協会が「図書週間」(11月17日~23日)を制定した。昭和8年には「図書館週間」と改称され、出版界では「図書祭」が開催されていた。しかし、戦争の影響で、1939(昭和14)年には一旦廃止されてしまった。
1945(昭和20)年の終戦直後、食べるのもやっとという日々にもかかわらず、日本の出版活動は活発に動き出した。一般の人々の読書欲も高く、その機運を感じとった出版社・図書館・取次・書店・報道・文化関連各団体約30が「新生日本を文化国家に」との合い言葉のもと、1947(昭和22)年に読書週間実行委員会を結成。11月17日から23日まで第1回の読書週間が行われた。当時の反響は大きく、「一週間では惜しい」ということで、2回目からは10月27日から11月9日まで文化の日をはさんだ2週間となり、現在に続いている。
1959(昭和34)年11月に、読書週間実行委員会の任務を引き継いで「読書推進運動協議会」が発足した。その後、1969(昭和44)年10月に社団法人に改組されている。(読書推進運動協議会HPより )
2006(平成18)年10月27日(金)~11月9日(木)の期間中「書店くじ」実施店で、書籍・雑誌500円を買い上げの人は「書店くじ」が貰えるらしい。枚数に限りがあるらしいが、どうせ本を買うなら、この機会に買いたいね~。
昨・2005(平成17)年10月27日から始まった「読書週間」を前に、読売新聞社が行った全国世論調査では、”国民の「本離れ」が定着化の傾向を示す一方で、読書で「満足」した人が9割に達し、人生観に影響を受けた人も6割を占めた。IT(情報技術)時代にあって、若者を中心にインターネットによる本の購入が増える傾向もみられ、価値観の多様化や環境の変化を受け、読書の世界もいろいろと変わりつつあるようだ。”・・・とのことである。ここ参照。
このデーターが示しているように、読書で「満足」している人が9割というが、「1か月間本を読まず」の男性は49%女性54%、平均52%であり、本を読んだと答えた半数以下の48%の人の9割が「満足」しているという事なんだよね。しかも、本を読んだといっても、パソコンなどのほか、実用的なものが殆どのようであり、純粋な文学などのものは、少ないのだろう。だから、最初から、自分の求めていた内容のものを買うから、満足度も高くなるんだろうね~。私など文学作品など、昔よく読んだが、それなりに気に入りそうなものを購入してもなかなか満足できないものも多くあった。兎に角、若者の「活字離れ」は相当深刻になっているようだ。最近は、テレビや、漫画など映像文化が発達しており、これはこれでよい事だが、活字を読むことからは離れているようだ。
私など、一番心配しているのは、先日もTVでやっていたが、日本人でありながら、日本語の分からない若者が増えてきていることだ。本当に「ここまで来たか!」と唖然とする状況だ。その要因に、携帯電話でのメールなども影響しているというが、短い文字数で要件を伝えるというのは悪い事ではないが、正確に伝えるのは、非常に難しい事である。よく言われるように、「俳句」などの、5・7・5のたった17文字で、相当深い意味のことを表現する技法は、幅広い奥の深い知識があった上に季語などの約束事を前提に表現できる事であり、又、内容を理解できるものである。つまらぬわけの分からぬ絵文字等を使って文章の表現をしていると、しまいに、アホばかりになってしまうのではないか。
最近は、音楽ブームで、若者が器用に作曲をしたり、作詞をしたりして、それを自分で歌ったりしている。しかし、ものすごい数の曲が作られているようであるが、昔のような名曲は少ない。日本語を知らない人間に日本の詩など作れるわけがなく、つまらない詩に適当な曲をつけて歌っても人に訴えるものなど出来る訳がないと私は思っている。
メールなどで使われている絵文字を見ても分かるように、戦後の日本人に一番欠けていることは、「ほどほど」と言うことがなくなった事である。要するに、何事もデジタル化し、「イエス」か「ノー」しかなくなっているのである。中庸というものがなくなった。昔、凄く人気のあった宮武外骨の『面白半分』と言う雑誌があった。
外骨は、ジャーナリスト、新聞史研究家、江戸明治期の世相風俗研究家であるが、外骨の出版した刊行物の中でももっとも有名な『滑稽新聞』は、1901(明治34)年に大阪で創刊された。時事批評だけでなく下世話な世相の話題まで扱い、現代の週刊誌に相当する内容であった。外骨の記事は巧みに仕込まれた毒とパロディー精神に富み、さらに挿絵も腕の良い職人の手になるもので、一般大衆に人気を博した。1908(明治41)年10月、売れ行きは好調だったが、173号を以て「自殺号」として廃刊。しかし翌月には『大阪滑稽新聞』を創刊して事実上の後継誌とした。
宮武外骨の”外骨”とは一見すると号のようであるが、幼名の亀四郎の亀は"外骨内肉"の動物であることにちなみ、19歳の時に自ら正式に改名したもので戸籍上の本名であり、図書館の窓口などで「号ではなく本名をお願いします」などとたびたび言われるのが癪だと言って、「是本名也」と彫った印鑑を用いたというエピソードがあるという。又、”のちに〈がいこつ〉を〈とぼね〉と改めた。姓の“宮”と“武”がともに権力を示すとして嫌い、「我国には姓のない御方がある」ので、姓や氏は必要がないとして「廃姓広告」を出した。墳墓廃止を主張し、自分の死体を買い取る人を求めた。悪習慣に従う道徳家であるよりも、悪習慣に逆らう「不道徳家」であろうとした。”という。(以下参考のペンネーム図鑑より)兎に角、反骨と風刺諧謔に富む奇人として知られ、権力揶揄による入獄4回、罰金、発禁などの筆禍は29回に及ぶという。そんな外骨が1929(昭和4)年 創刊、(5号か6号で廃刊 )した”面白半分・真面目半分”のエッセイ集が『面白半分』である。内容は別として、外骨のこの『面白半分』のタイトルと、そのスタイルに学んだかたちで、1972(昭和47)年から1980(昭和55)年まで続刊された雑誌があった。1970年代を象徴するサブカルチャー・マガジン『面白半分』は佐藤 嘉尚が株式会社面白半分を設立、創刊したものであるが、吉行淳之介、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一が交代で編集長を務めていた。永井荷風作ではないかといわれる、『四畳半襖の下張り』を掲載して、裁判で闘ったことで知られた『面白半分』は、その後、外骨の『滑稽新聞』の「自殺号」を思わせる、「臨終号」というのを出して、1980(昭和55)年12月号をもって廃刊した。
この雑誌は名前の通り、”面白半分・真面目半分”を特徴としているが、廃刊された1980(昭和55)年も頃だったと思うが新聞の「天声人語」に、雑誌が廃刊となった理由に、言葉は違っているかもしれないが、”今や「面白半分」が理解されない時代に入った。・・といったような事が書かれていた。確かに、コメディーの舞台にしても、松竹新喜劇の寛美などの”笑いと涙”のお笑いから、吉本新喜劇の芸ではない、ただのギャグの連発だけの笑いのものに替わっていた。以降、どんどんと単純化してゆき、今や、お笑いも落ちるところまで落ちないと笑えない人達が多くなっている。同じ笑いにしても、文学上はいろいろな笑いがある。それを単に絵文字の(^0^)だけで、笑いを表現するようになると、もうお仕舞いである。こんなことをしていると、簡単に言えば、笑っていなければ、泣いているか、怒っているか、普通にしているかしかなくなるのである。外骨や、それ以降の『面白半分』の作家達の、一貫したメソッド(method)は、「諷刺」と「滑稽」にあったと思うが、今や、「非難・中傷」と「下種な笑い」しか見られない時代になっているといってよい。そのようなことが、今のようなすさんだ時代を作っている背景にある様な気がしてならない。昔の日本人の豊かな表現力が、例え角の立つ話であっても角の立たないようにし、やわらかく表現し”和をもっ尊し”といった世界をつくっていたように思うのだが・・・。活字を読まないことから言葉を忘れ、表現力が低下し、単純なデジタル思想の蔓延は、きっと、国を滅ぼす事にもつながってゆくのではないかと思われる。単に読書のことだよと侮ってはいけないのではないか。
(画像は2006「読書週間」ポスター。読書推進運動協議会 より借用)
参考:
読書推進運動協議会
http://www.dokusyo.or.jp/index.htm
読書週間 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E9%80%B1%E9%96%93
本屋さんへ行こう
http://www.shoten.co.jp/nisho/
読書週間 “本離れ”傾向変わらず…本社世論調査(2005年10月28日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20051028bk01.htm
宮武外骨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%AD%A6%E5%A4%96%E9%AA%A8
宮武外骨解剖
http://www2s.biglobe.ne.jp/~dolly/
宮武外骨(みやたけがいこつ)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/miyatakegaikotu.htm
宮武 外骨 と は
http://www.geocities.jp/shioji2002/gaikotu.htm
全国小売書店経営実態調査報告書(PDF)
http://www.shoten.co.jp/Nisho/information/bookstorereport.pdf
「世界 本の日 サン・ジョルディの日」にちなんで募集した第1回読書アンケートの結果
http://www.shoten.co.jp/Nisho/worldbookday/campaign/06anke/06anke.html
宮武外骨著・「面白半分」 書評
http://y-kyorochann.at.webry.info/200603/article_2.html
「面白半分」の作家たち―70年代元祖サブカル雑誌の日々 (集英社新書) 佐藤 嘉尚 (著)
http://www.book-navi.com/book/syoseki/omoshiro.html
「読書週間」の1日目の日である。(読書週間 10月27日~11月9日)
現在の読書週間は1947(昭和22)年に読書週間実行委員会(現在の読書推進運動協議会(読進協))が始めた。
19248大正13)年に日本図書館協会が「図書週間」(11月17日~23日)を制定した。昭和8年には「図書館週間」と改称され、出版界では「図書祭」が開催されていた。しかし、戦争の影響で、1939(昭和14)年には一旦廃止されてしまった。
1945(昭和20)年の終戦直後、食べるのもやっとという日々にもかかわらず、日本の出版活動は活発に動き出した。一般の人々の読書欲も高く、その機運を感じとった出版社・図書館・取次・書店・報道・文化関連各団体約30が「新生日本を文化国家に」との合い言葉のもと、1947(昭和22)年に読書週間実行委員会を結成。11月17日から23日まで第1回の読書週間が行われた。当時の反響は大きく、「一週間では惜しい」ということで、2回目からは10月27日から11月9日まで文化の日をはさんだ2週間となり、現在に続いている。
1959(昭和34)年11月に、読書週間実行委員会の任務を引き継いで「読書推進運動協議会」が発足した。その後、1969(昭和44)年10月に社団法人に改組されている。(読書推進運動協議会HPより )
2006(平成18)年10月27日(金)~11月9日(木)の期間中「書店くじ」実施店で、書籍・雑誌500円を買い上げの人は「書店くじ」が貰えるらしい。枚数に限りがあるらしいが、どうせ本を買うなら、この機会に買いたいね~。
昨・2005(平成17)年10月27日から始まった「読書週間」を前に、読売新聞社が行った全国世論調査では、”国民の「本離れ」が定着化の傾向を示す一方で、読書で「満足」した人が9割に達し、人生観に影響を受けた人も6割を占めた。IT(情報技術)時代にあって、若者を中心にインターネットによる本の購入が増える傾向もみられ、価値観の多様化や環境の変化を受け、読書の世界もいろいろと変わりつつあるようだ。”・・・とのことである。ここ参照。
このデーターが示しているように、読書で「満足」している人が9割というが、「1か月間本を読まず」の男性は49%女性54%、平均52%であり、本を読んだと答えた半数以下の48%の人の9割が「満足」しているという事なんだよね。しかも、本を読んだといっても、パソコンなどのほか、実用的なものが殆どのようであり、純粋な文学などのものは、少ないのだろう。だから、最初から、自分の求めていた内容のものを買うから、満足度も高くなるんだろうね~。私など文学作品など、昔よく読んだが、それなりに気に入りそうなものを購入してもなかなか満足できないものも多くあった。兎に角、若者の「活字離れ」は相当深刻になっているようだ。最近は、テレビや、漫画など映像文化が発達しており、これはこれでよい事だが、活字を読むことからは離れているようだ。
私など、一番心配しているのは、先日もTVでやっていたが、日本人でありながら、日本語の分からない若者が増えてきていることだ。本当に「ここまで来たか!」と唖然とする状況だ。その要因に、携帯電話でのメールなども影響しているというが、短い文字数で要件を伝えるというのは悪い事ではないが、正確に伝えるのは、非常に難しい事である。よく言われるように、「俳句」などの、5・7・5のたった17文字で、相当深い意味のことを表現する技法は、幅広い奥の深い知識があった上に季語などの約束事を前提に表現できる事であり、又、内容を理解できるものである。つまらぬわけの分からぬ絵文字等を使って文章の表現をしていると、しまいに、アホばかりになってしまうのではないか。
最近は、音楽ブームで、若者が器用に作曲をしたり、作詞をしたりして、それを自分で歌ったりしている。しかし、ものすごい数の曲が作られているようであるが、昔のような名曲は少ない。日本語を知らない人間に日本の詩など作れるわけがなく、つまらない詩に適当な曲をつけて歌っても人に訴えるものなど出来る訳がないと私は思っている。
メールなどで使われている絵文字を見ても分かるように、戦後の日本人に一番欠けていることは、「ほどほど」と言うことがなくなった事である。要するに、何事もデジタル化し、「イエス」か「ノー」しかなくなっているのである。中庸というものがなくなった。昔、凄く人気のあった宮武外骨の『面白半分』と言う雑誌があった。
外骨は、ジャーナリスト、新聞史研究家、江戸明治期の世相風俗研究家であるが、外骨の出版した刊行物の中でももっとも有名な『滑稽新聞』は、1901(明治34)年に大阪で創刊された。時事批評だけでなく下世話な世相の話題まで扱い、現代の週刊誌に相当する内容であった。外骨の記事は巧みに仕込まれた毒とパロディー精神に富み、さらに挿絵も腕の良い職人の手になるもので、一般大衆に人気を博した。1908(明治41)年10月、売れ行きは好調だったが、173号を以て「自殺号」として廃刊。しかし翌月には『大阪滑稽新聞』を創刊して事実上の後継誌とした。
宮武外骨の”外骨”とは一見すると号のようであるが、幼名の亀四郎の亀は"外骨内肉"の動物であることにちなみ、19歳の時に自ら正式に改名したもので戸籍上の本名であり、図書館の窓口などで「号ではなく本名をお願いします」などとたびたび言われるのが癪だと言って、「是本名也」と彫った印鑑を用いたというエピソードがあるという。又、”のちに〈がいこつ〉を〈とぼね〉と改めた。姓の“宮”と“武”がともに権力を示すとして嫌い、「我国には姓のない御方がある」ので、姓や氏は必要がないとして「廃姓広告」を出した。墳墓廃止を主張し、自分の死体を買い取る人を求めた。悪習慣に従う道徳家であるよりも、悪習慣に逆らう「不道徳家」であろうとした。”という。(以下参考のペンネーム図鑑より)兎に角、反骨と風刺諧謔に富む奇人として知られ、権力揶揄による入獄4回、罰金、発禁などの筆禍は29回に及ぶという。そんな外骨が1929(昭和4)年 創刊、(5号か6号で廃刊 )した”面白半分・真面目半分”のエッセイ集が『面白半分』である。内容は別として、外骨のこの『面白半分』のタイトルと、そのスタイルに学んだかたちで、1972(昭和47)年から1980(昭和55)年まで続刊された雑誌があった。1970年代を象徴するサブカルチャー・マガジン『面白半分』は佐藤 嘉尚が株式会社面白半分を設立、創刊したものであるが、吉行淳之介、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一が交代で編集長を務めていた。永井荷風作ではないかといわれる、『四畳半襖の下張り』を掲載して、裁判で闘ったことで知られた『面白半分』は、その後、外骨の『滑稽新聞』の「自殺号」を思わせる、「臨終号」というのを出して、1980(昭和55)年12月号をもって廃刊した。
この雑誌は名前の通り、”面白半分・真面目半分”を特徴としているが、廃刊された1980(昭和55)年も頃だったと思うが新聞の「天声人語」に、雑誌が廃刊となった理由に、言葉は違っているかもしれないが、”今や「面白半分」が理解されない時代に入った。・・といったような事が書かれていた。確かに、コメディーの舞台にしても、松竹新喜劇の寛美などの”笑いと涙”のお笑いから、吉本新喜劇の芸ではない、ただのギャグの連発だけの笑いのものに替わっていた。以降、どんどんと単純化してゆき、今や、お笑いも落ちるところまで落ちないと笑えない人達が多くなっている。同じ笑いにしても、文学上はいろいろな笑いがある。それを単に絵文字の(^0^)だけで、笑いを表現するようになると、もうお仕舞いである。こんなことをしていると、簡単に言えば、笑っていなければ、泣いているか、怒っているか、普通にしているかしかなくなるのである。外骨や、それ以降の『面白半分』の作家達の、一貫したメソッド(method)は、「諷刺」と「滑稽」にあったと思うが、今や、「非難・中傷」と「下種な笑い」しか見られない時代になっているといってよい。そのようなことが、今のようなすさんだ時代を作っている背景にある様な気がしてならない。昔の日本人の豊かな表現力が、例え角の立つ話であっても角の立たないようにし、やわらかく表現し”和をもっ尊し”といった世界をつくっていたように思うのだが・・・。活字を読まないことから言葉を忘れ、表現力が低下し、単純なデジタル思想の蔓延は、きっと、国を滅ぼす事にもつながってゆくのではないかと思われる。単に読書のことだよと侮ってはいけないのではないか。
(画像は2006「読書週間」ポスター。読書推進運動協議会 より借用)
参考:
読書推進運動協議会
http://www.dokusyo.or.jp/index.htm
読書週間 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E9%80%B1%E9%96%93
本屋さんへ行こう
http://www.shoten.co.jp/nisho/
読書週間 “本離れ”傾向変わらず…本社世論調査(2005年10月28日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20051028bk01.htm
宮武外骨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%AD%A6%E5%A4%96%E9%AA%A8
宮武外骨解剖
http://www2s.biglobe.ne.jp/~dolly/
宮武外骨(みやたけがいこつ)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/miyatakegaikotu.htm
宮武 外骨 と は
http://www.geocities.jp/shioji2002/gaikotu.htm
全国小売書店経営実態調査報告書(PDF)
http://www.shoten.co.jp/Nisho/information/bookstorereport.pdf
「世界 本の日 サン・ジョルディの日」にちなんで募集した第1回読書アンケートの結果
http://www.shoten.co.jp/Nisho/worldbookday/campaign/06anke/06anke.html
宮武外骨著・「面白半分」 書評
http://y-kyorochann.at.webry.info/200603/article_2.html
「面白半分」の作家たち―70年代元祖サブカル雑誌の日々 (集英社新書) 佐藤 嘉尚 (著)
http://www.book-navi.com/book/syoseki/omoshiro.html