陳子昂「登幽州臺歌」
半紙
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登幽州臺歌
前不見古人
後不見來者
念天地之悠悠
獨愴然而涕下
前に古人を見ず
後に来者を見ず
天地の悠悠たるを念(おも)い
獨(ひと)り愴然(そうぜん)として涕(なみだ)下る
ずっと前に生まれた人に会うことはできない。
はるか後に生まれる人に会うこともできない。
ただ天地が悠々と続いていくのを思うとき、
人の一生の短さを思い知らされ、涙が流れるのだ。
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漢詩には、高い所にのぼって、自らの感慨を述べるという趣向がおおくみられます。
高い所は、日常から離れたところであり、
そこに立ったとき、おのずから自らの人生に思いを馳せることになるのでしょう。
「古人」にも「来者」にも会うことができず
天地の間にぽつんと取り残されたような自分の人生のはかなさ。
それを思うと、胸がいっぱいになり、涙が流れるのだった、と詩人はいうのです。
けれども、「古人」の書いたものを読むことで、私たちは「古人」と親しく語りあうことができ
自分がものを書き残すことで、「来者」は同じ思いで自分を思い出してくれるのもまた事実でしょう。
天地の間にただ一人で存在するような個人は
「言葉」によって、深く繋がりうるのです。